03 伝わらない
時に、二人同時に読書に耽入る時もあった。
会話もなく、ただ頁を綴る音だけが流れる穏やかで静かな時間。
文と文の合間。章の区切り。句の区切り。そんな時にふと顔をあげると、そこに居た筈の跡部の姿が消えている事もしばしばだった。
ベッドの上に窪んだ痕跡と微かな残り香のみ残し忽然と姿を消す。触れてみて、温もりが残っていれば僅かな時間しか立っておらず、ひんやりとした感触の場合は随分時が立っていたと知れる。そんな時は軽い溜め息が漏れる。読みかけの本を閉じて脇に寄せるのが常だ。
別れの挨拶くらいかけてくれても良かろうに、と思う所もあるのだが、「客人放ったからしてたのはてめぇだろ」、とでも言われたら返す言葉もない。
果たして跡部を客人として良いのかと思う近ごろでもあるが、ともあれ、思うだけでは伝わらない。それは当然といえば当然の事なのだが。
跡部には手塚の内なる意思を汲み取って先回りして周囲に伝えたり、本人すら自覚していない感情を表面化させわからせてくれる義理などない。ただ手塚の方からすると、敵にすれば厄介な、味方にすれば頼もしい、外から見れば底意地の悪いあの鋭い洞察力の集大成「インサイト」を時には発動して欲しい――と思わない事もないが。
いや、それはそれで面倒なだけだろうか。何にしても厄介な奴だ。
そんな事を考えていると、ふと喉の乾きを覚えた。生憎と常備している水のボトルを切らしていたので階下へと降りていくと母の鼻歌が聞こえてくる。
「楽しそうですね」
「あら国光、どうしたの?」
「少々喉が乾きまして」
「麦茶で良いかしら」
「いえ自分で用意します。どなたか客人でも?」
「いやね、跡部君よ」
「は?」
「ちょうど玄関に向かっている所だったので、お茶に誘ったの」
「はぁ」
「彼、楽しい子ね。話題も抱負だし、聞き上手でとても気持ちの良い話相手ね。口下手の国光と会話が続く子なんて珍しいものね」
「――お母さん、跡部とはそう会話をするわけではありませんよ。確かに饒舌な面もる奴ですが、喋らない時はとことん寡黙です。現に今日などは挨拶以外の会話をした覚えも――」
「いやね。国光の部屋が静かだと思っていたらそんな事になっていたの?跡部君、国光と居て楽しいのかしら?」
「・・・・お母さん」
随分な言葉に思わず悲しくなる。そう指摘されると、実際心配になってくるから不思議だ。人付き合いが下手で、気配りが下手な自分と二人きりで過ごして、果たして跡部は本当に楽しいのだろうか・・・・?
だが、そんな風に思い悩み始めた手塚に向ける母の言葉は厳しいというよりは、方向性が変則的で理解不能なものだった。
「今から倦怠期の夫婦のような状態はどうかと思うわよ?」
「・・・・その表現は適切でなく思いますが」
「精進なさいね。ふられても知らないわよ?」
「・・・・何故そういう方向に話がいくのですか」
何よりも母に意思を伝える事こそが困難なのではないかと、思い始めた手塚である。まずは母に伝わらぬ己の意志というか考えを、理解して貰うのが先決のようだった。
菩薩の如く笑む母の微笑みを前に、手塚はひとつの試練を感じていた。