01 あと1cm
人と人の縁というものは、思いもよらないものであると言える。 人付き合いという面からいくと、自分が大層未熟であるという事はよくわかっていた。
部長や生徒会長といった役割りについてはいるが、大石という潤滑油になってくれる存在が居なければ、自分の頑なさによって縦にも横にも人間関係において齟齬をきたしていたであろう。
己を振り返ってみるに、進んでリーダーシップを取ろうとは思わない。むしろ面倒だ。頼られれば断れないが自ら立とうという気にはあまりなれない。部長は、竜崎先生の依頼。大石が補助を申し出てくれたから受けたようなものだ。生徒会長に至っては、知らぬ間に推薦されていて、何故だか知らないが周りが盛り上がり、対抗馬も居ないままに当選してしまった。
実りが無かったとは言わない。随分と勉強させて貰ったし、鍛えられたと思う。だが、もし選択の余地があるのならば、部長職はともかく生徒会長は辞退しただろう。
だがこいつは違うのだろうな、と部屋の主より堂々と寝転がる猫を彷彿とさせる男の背を眺めた。
先程からテニス雑誌を真剣に読み耽っている。書物に夢中になると跡部はそれのみに集中する為静かになる。子供に飴を与えるようなものだ。跡部家の邸宅に何度か足を運んだ事があるが、跡部には専用の書斎があり、その品揃えたるやちょっとした図書館なみであった。全部読んだわけじゃねぇ、とその時は言っていたが、どうだろうかと思う。客である手塚が横に居ても、一度本の世界に入ってしまうと、一切合切反応しなくなってくれる跡部だ。あの集中力からすると、1日に3〜4冊の読破は容易であろう。例え跡部がどれほど雑務に追われて時間が無いにしても、好きなものに費やす時間は捻出するだろう。
ふわりと室内には柔らかな香りが漂っている。発生源は跡部だ。普段は余程近づかなければわからぬ程の微かな芳香であるのだが、1時間も室内に閉じこもっていると部屋の中も満たされるらしい。
そう、跡部がこの部屋を訪れてまともに会話をしたのはほんの数分。先に片付ける事があると言ったのは手塚が先だが、以降跡部は全くこちらに気を向ける事なく一点集中で過ごしてくれている。それはそれで少々面白くない。
これほど跡部と親しい関係を築こうとは、以前は想像もしなかった。馬が合うなどとは到底思えないし、性質も全く正反対であると思っていたのだ。だが、部を引退してしばらく後に、たまたま跡部と行きあう事となり、その際何故だか話し込み、跡部はこんな奴だったのかと新たな発見をする事となった。
もともと、気にならなかった存在というわけではない。皆はそっけないというが、それは誰に対しても同じように接していた。そんな中でも跡部だけは無視できぬ存在であったのだ。
また、ふわりふわりと漂う花のような香りにどこか落ち着かなくなる。それは、最近の困惑の元でもあった。跡部が帰った後に、微かに残る香り。今日のようにベッドを占有された後は特にそうだ。夜眠りにつく際に酷く落ち着かない気分を味わいそうだった。
ぎしりと、ベッドが軋む。香りの発生源を確かめてみたくなり、寝転がる跡部へと近づいた。くんと鼻を鳴らすが、元々そういう方面で鋭い感覚を抱いているわけではないから当然か。
背後から見下ろす形であるので、襟足から跡部の白い首筋が見えた。香りの元はあそこだろうか。ひかれるままに顔を近づけ、どうとも判断がつかぬままに触れてみたらどうなるのだろう、と疑問が沸いた。この香りの如く甘さを感じるのだろうか。
触れる寸前。唇が落ちる寸前。あと1センチというところで手塚は、はっと己を取り戻した。吸い寄せられるような白い首筋に、困惑ど動揺が誘発される。自分は一体何をしようとしていたのか。いかなる過ちを犯そうとしていたのか。
「―――手塚?」
「・・・なんだ」
「重ぇ」
「すまない。すぐにどく」
「別に怒ってるわけじゃねぇんだけどよ。珍しいよな。じゃれたいのか?」
「じゃれる、とは?」
「よくジローの奴が、そうやって圧し掛かってくんだよな。ま、てめーほど重くはないが」
「芥川の奴か」
「まぁな。ったく甘ったれで仕方がねぇ。・・・・っておい!重いって言ってんだろ?!」
「我慢してくれ」
「何なんだよ。あーはいはい。甘えてーんだな。わかったわかった。誰にも言わねーでおいてやるから、思う存分甘えやがれ。てめーの質じゃ、他所でこんな真似はできねーだろうしな」
「・・・・・・・・」
あやすようにぽんぽんと頭を叩かれ、まるで年若い弟にでもするが如く、跡部は手塚の体を抱きかかえた。それは、そうされる手塚の方に、微妙に複雑な感情を与えたのだった。