06 家賃は払えないので土下座で家主をお出迎え
「――やべぇっ!急がねぇとっ!」
「待って下さい、宍戸さぁぁ〜んっ!!」
ばたばたと駆け抜けていくテニス部部員が約2名。
部内においても練習熱心な方にあたる2人であるが、この日ばかりは常より必死さを伴っている。
急造ダブルスながら、一足飛びに部内でトップのコンビにまで成長したこの2人は、プライベートにおいても仲が良い。しかしながら、この時ばかりは日頃は面倒見の良い宍戸が無情にも鳳を置いていかんばかりの勢いだった。
そればかりではない。おっとりがたなで悠々自適。マイペースに所構わず寝こける滋郎も、何故だか毎回ぎりぎりに駆け込んでくる岳人すらも、この日ばかりはすでに用意を終えてすでに部室を後にしている。
優等生気質の日吉や滝に至っては言うまでもなく、また、いつもは跡部にぴたりと張り付いている樺地ですらも、この日ばかりは仲間や先輩達に引き連れられて、準備運動を始めている事だろう。この光景を監督である榊が見れば、何故いつもこのようにできないのか・・とそっと額を押さえる事だろうか。
月に一度、氷帝学園テニス部内には最大級の要注意日がある。日頃自由気侭にやってくるレギュラー陣も、授業終了の鐘が鳴るなり息急き切って部室へと駆け込んでくるのだ。
素早く着替えて皆が我先にとコートへ飛び出していく。それは練習熱心さや、勝利にかける気迫から生まれた熱意の現れでは、けしてないのだった。
彼等が急がねばならないことには理由がある。万が一出遅れてその場に居合わせてしまった者は、氷の帝王様による絶対零度の冷気を存分に味わう事となる。空気がとてつもなく痛いのだ。幾ら回数を重ねても、こればかりは慣れるものではない。
その極寒の地を作り上げる帝王様といえば、取り立てて急ぐ事もなく、いつも通りのゆったりとした足取りで部室へと現れる。慌てる事など何もないからだ。
最後の最後に登場とはいえ、別段遅い時間というわけではない。ただ単にいつもと変わらぬだけだ。日によっては一番乗りともなる跡部であるので、その時間的余裕さ加減は推して知るべきだろう。
前だけを見据え、廊下を歩く姿に他の生徒は壁にへばり付くようにして道を空ける。
別段跡部が周囲を邪魔だと睨みつけたわけではない。最高学年である3年生が通る時には下級生達は総じて頭を垂れろ、などという決まり事があるわけでもない。
第一ものすごい勢いで悲鳴すらあげかねんばかりに真っ先に逃げたのは、跡部の同年たる生徒だ。しかも、クラスメイトだったりする。
確かに跡部の本気の迫力は一般人には耐え難いものだろう。日常生活において激発する事は殆どないが、テニス部内において跡部の逆鱗に触れる行為が為され打場合、いかなる夜叉が降臨するか、知らぬテニス部部員は一人としていない。触らぬ跡部に祟りなし、という所だ。
しかしながら、この氷帝学園テニス部においては、毎度毎度、毎月毎月、繰り返し繰り返し、跡部の逆鱗に思う様抱きつくような愚か者というか剛の者というか無謀なんだか考え無しなんだか腹の底から豪胆なのかただ単に鈍いのか常人には理解し難い人物が存在する。
その男の名を―――忍足侑士といった。
「・・・・・・・・・・・・・」
跡部が部室の扉を開けると、室内は整然と片付いていた。床も窓も机も照明すらも、隅から隅までぴっかぴかに磨き上げられている。
潔癖な質を持つ跡部であるので、本来ならばそれは好ましい現象と言える。ただし、ちょうど部室内の中央、扉を開けて真正面に当たる位置に、とある物体が無ければ・・・・だ。
ぴったりと指を揃え、深々と頭を下げて額を床に擦りつけんばかりの平伏土下座。日常生活において、真の土下座たるものを見る者はそう多くはないだろう。例えば武道に順ずる者ならばそういうものもある程度身近であるかもしれないが、跡部のように生まれも育ちも西洋風なる場合、そもそも和の体質からは縁遠い。
しかしながら、跡部はこの氷帝学園に入学して以来、この土下座なる行為を頻繁に目にする事となった。それも、ただ一人の人物によって。
「―――かんにん、したって!」
「・・・・・・・・・・・」
土下座のままの訴えを跡部は思い切り無視し、自分のロッカーの方へと脇目も振らずに進む。バンっと音を立てての扉の開閉は、跡部が珍しく不快と怒りを表に出していると言えるだろう。
「あと三日・・・・や、五日・・・・・・・・・・・・・一週間程、待ってくれへん?」
「・・・・・・・・・・・」
増えてんじゃねぇじかよ!との今更な事を言いはしない。本気で今更なのだ。このやり取りも、その後の顛末までも。
「もう米も味噌もないねん。塩しかないんや。逆さに振っても何もでぇへん」
「・・・・・・・・・・・」
だったら逆さに振ってやろうか、あぁ?!との極悪非道な脅しっぷりは、すでに前に経験済みだ。実際何も出なかった。
「電気もガスも止められとんねん。水道も時間の問題やわ」
「・・・・・・・・・・・」
止めてねぇよ!と突っ込みたいが敢えて我慢。ここで乗ったらそのまま相手のペースに飲まれまくるからだ。実際、前に止めた事はある。最後の最後のライフライン、水道供給すらもだ。しかしながら、その後に公園やら学校やらで水を汲んではバケツを抱えて帰っていく忍足の姿を見るに、跡部は口惜しさに唇を噛む羽目となった。
どう見ても敗残者。敗北者である忍足。だが、そこで負けた気分になるのは一体何故だろうか・・・・?
「なぁ跡部ぇ・・・・・・家賃なぁ・・・・ちょぉ、待ってくれへん・・・・?今は金無うて払えへんのや」
「・・・・・・・・・・・」
今じゃなくていつもだろうがっ!!と怒鳴りつけたい衝動を何とか堪え、脱いだシャツを乱暴に後方へと投げる。何かに当たらなければやっていられない、そんな気分なのだ。そのシャツをまた忍足が下僕よろしくいそいそと拾い上げ、埃を払って皺を伸ばし、ハンガーに通したりと甲斐甲斐しかったりるするのが、またさらに跡部の怒りを増幅させる。
何故忍足が家賃云々を言うかと言えば、忍足が現在住んでいる部屋の持ち主が跡部であるからだ。監督に忍足の住む部屋を探して欲しいと頼まれて、ならばと普段使っていないマンションの一室を提供したのだ。
居候のような間柄であって、家賃は現金制。別にただで貸しても全く困りはしないが、けじめというものもある。跡部家の教育方針もあって、すでにビジネス社会に半分足を踏み入れているような跡部でもあったので、ここらあたりは馴れ合いでは済まさぬ事にしたのだ。それでも、通常の家賃よりも遥かに安いわけで、それこそワケアリ物件並みの破格値であった筈なのだが。
家賃はほぼ毎月といって良い(いや実は毎月なのだが)程に滞納状態だった。
忍足が跡部にその月の家賃として支払いをする日、忍足はこうして部室を一人清めまくって磨きあげた後に、丁寧にそれはもう丁重な態度で、跡部を迎えるのだ。土下座付きで。
一度や二度なら許しもしよう。だが毎月毎月ともなれば・・・・・・・跡部でなくとも限界を超えようというもの。そうして跡部の窓をも揺らし、罅すら発生させそうな盛大なる怒声罵倒罵声罵詈雑言が部室内に響きわたる事となるのである。
そんな場面に居合わせてしまった部員は、とても、とてもいたたまれない。自分に対して言われているわけではなくとも、思わず涙も流れてくる。そのまま泣きながら何処かの山へと逃げ出したいような気分となるのだ。
毎月毎月訪れる家賃の支払い日。その日は、氷帝のテニス部員達にとって、史上最大級の危険なる要注意日となっている。
07 動くとカロリーを消費するので出来るだけ動かない