† FAKE † (亜久津&跡部)
川べりに背を預け、空を見上げて煙を燻らせていると、視界の隅に影がかかった。
性懲りも無く何処かの馬鹿が難癖つけてくるつもりかと、亜久津は平素から凶悪的な眼光に更に険を含ませて視線を流す。大抵の相手は、それだけでびびって逃げ出すのが常であった。
「――――――」
一瞬、光が目を灼いた。
沈みかけた太陽の光が、その人物を包みこむ。まるでそいつから、放たれた光彩であるかのように眩し気な光。煌く光に、瞳の奥に感じる軽い痛み。
ぱたりと瞼を閉じて再び開いた目には、先程のが単なる反射であったと知れる。そう、前の晩にふらふらと繁華街をぶらつき、あまり睡眠を取っていなかったせいだ。高慢そうな笑みを浮かべ、亜久津という存在を見知っておきながら臆する事なく見下ろす事ができる男―――跡部景吾の存在故などではない。
「・・・・・・お坊っちゃんが何の用だよ。泣かされてーのか?」
「糞珍しいモンが落ちてっから、覗きに来ただけだ」
女どもが騒ぎそうな繊細な風貌は、それこそそいつらが夢に描く白馬の王子様そのものだろう。だが、その優美な口元から放たれる言葉は、亜久津とタメ張るぐらいに口汚い。存在自体がムカツク奴だぜ、と亜久津は吐き捨てるように思った。この整いきったお綺麗な面を、見る影も無いぐらいにボコボコに殴りつけ、散々叩きのめしてやればみっともないぐらいに恐怖と脅えを垂れ流して、泣いて許しを乞うてくるだろう。それで亜久津の気分がすっきりするかと言えば、むしろ反対である。余計に苛立ちが増すだけなのだろうが。結局、虫が好かない奴というものは、とことんまで好かないものなのだ。
「はっ!物騒な目つきだな。俺様と遊んで欲しいのはそっちの方かよ」
「ちっ。身の程知らずに喧嘩売るつもりかよ。ションベンちびらせてやんぜ?」
好き勝手言い放つ跡部の言葉をここまで黙って聞いていたとは、亜久津にしては随分と忍耐力を行使していたと思う。気に入らない奴は叩きのめす。それが亜久津の身上であった。後がどんな騒ぎになろうと、構う事ではない。寝そべっていた状態から、ぱっと上半身だけを引き起こし、今にも飛び掛ろうかという気を放つ。亜久津の類稀な身体能力と柔軟さは、喧嘩においても存分に力を発揮される。先の状態からでも、一瞬後には跡部を組み臥す事も可能であった。
そう、亜久津は相手を軽んじていた。たかだかテニスで少しばかり名が知られてるだけの跡部景吾という男に、高い評価など持ちようがないからだ。しかし、その侮りが誤りであったと、亜久津は一瞬で理解した。つつと背筋を一筋の汗がつたる。目の前の男から放たれる空気に圧されているなどとは、絶対に認めるつもりなどないが。
跡部は何か動きを見せたわけではない。だが、亜久津の放った殺気に呼応するかのように跡部の身から放たれる冷たい空気と得体の知れない何か。こいつ、素人じゃねぇ・・・・と、喧嘩慣れした亜久津の目には、簡単に組み伏せる相手ではないと映った。
氷帝の跡部と言えば、常に後輩らしい馬鹿でかい奴を侍らせていると聞いた事がある。そいつは恐らく跡部のボディガードのようなものだろう、と囁かれていた。亜久津でなくとも、この跡部という男を前にすれば、喧嘩をふっかけたくなる奴は多数であろう。だが、今はそれが違うと言い切れる。こいつは自分一人で火の粉など始末できる奴だ、と。
負けるつもりはないが、そこそこ手こずりそうな相手に亜久津はむしろ高揚感を抱いていた。弱い相手を叩きのめすより、多少は歯応えのある相手の方が良い。だが、そんなやる気満々の亜久津とは違い、跡部の方はここで亜久津と一戦交えるつもりはなかったようだ。亜久津の「さぁ来いよ」との態度を、「てめーの相手をするつもりはねーよ」とばかりに鼻で笑った。それが丁度亜久津が動こうかとした一瞬というタイミングであったので、亜久津にとっては肩透かしとなってしまった。この間が僅かにずれていただけでも、亜久津は余計に煽られて跡部に掴みかかっていたのだろうが。
「―――やる気ねーんなら、行けよ。昼寝の邪魔すんじゃねぇ」
「・・・・・・・昼寝、ね。ったく、どいつもこいつも気が抜けた奴等ばかりだぜ」
「邪魔すんなっつってんだろ。てめーのツラ見てるだけで気分悪ぃーんだよ!大概にしねーとぶっ潰すぜ」
「へぇ。『怪物』 亜久津サンも結構繊細なんじゃねーのよ」
「てめー、人の話聞いてんのか?」
「聞いてるぜ?その証拠にちゃんと会話になってんだろ?」
「・・・・・・・・・・・・」
なってねーだろうが、と吐き捨てようと思った亜久津であるが口にしたら負けのような気がした。こいつは厄介だ。関わらぬ方が良い。知らぬ間にペースに乗せられていく・・・・そういう奴には脅しも何も聞かないのだ。亜久津の脳裏に古狸で知られる伴田の顔が一瞬去来した。
「そういえば亜久津よ、高校も山吹なんだろ?テニスはやんねーのか?」
「球遊びなんざつまんねーんだよ」
「老い先短い爺さんを、少しは喜ばしてやりゃぁいいのにな。世話になったんだろ?」
「誰が世話になってっかよ。あの爺が勝手に付きまとってきただけだ。何が留学だ。勝手に盛り上がりやがって」
「ふ、ん。JFHの話が亜久津に持っていかれたっつー噂はどうやら本物だったようだな。それだけてめーは期待されてるって事だろ?ま、留学の類は余程本気でなきゃできねーがな。今のてめーじゃ先ず無理か」
「んだとぉ?オラ、死にてーのか?!」
がっと首元を締め付けるように掴み上げ、鼻先が触れ合わんばかりの距離で凄む亜久津に、跡部は脅えすら見せなかった。むしろ更に顔を寄せ、それこそ本当に唇が触れるのではとむしろ亜久津の方がたじろぐ距離でくんと鼻を鳴らした。その至近距離の中で亜久津は、「こいつ、本気で美形だ・・・・」と、男に見惚れてしまうという失態を犯した。幸いにして、跡部の方は亜久津の一瞬の硬直が自分の容貌によるものだとは、気づかなかったようだけれども。
「臭ぇな」
「ア?」
「こびり付いてんだよ、ニコチン臭がよ。――幾ら素材が良くてもな、毒が混じりゃぁ死んでいく。今のてめーならば、まだあの千石の阿呆の方がマシだろうな」
「・・・・・・・・てめーにゃ、関係ねーだろ」
「ああ。関係ねぇな。ただ、腹が立つだけで」
「・・・・・・・・・・・・・?」
ひやりとしたものを感じ、亜久津は改めて跡部を見つめた。静かな口調の中に、抑えこまれた怒りを感じる。それはテニスを馬鹿にされたからなのか、それとも他に理由があるのか。
とんと押され、身体が後ろに傾く。何しやがる、とは思わなかった。目の前にある跡部の顔から、魅入られたように目が離せなかったからだ。
冷たい微笑みは、それを目にした者を威竦ませる。嘘偽りを赦さぬ蒼灰色の瞳は、心の奥底まで見透かしてくるかのようだった。
「――――恵まれた当人は、わかんねーもんだよな」
「・・・・・・・・・・・」
「なぁ、亜久津よ。つまんねーんだろ?何やっても、燃えねーんだろ?そりゃそうだよな。一度たりとも、本気で向き合った事がねーんだろうからな、てめーはよ」
「・・・・・・・・・・・」
それがどうしたと、吐き捨てるのは簡単な事の筈だった。けれども亜久津の口は、凍りついたかのように動かない。
何故この男はこのような表情を浮かべているのだろうか。恵まれているというのならば、跡部景吾こそそれであると、誰もが言うだろう。頭脳。容貌。そして生まれすらも、特別中の特別であるのがこの男だ。望めば手に入らぬものなど無い。そんな男が・・・・何故?
滅多にない事であるが、亜久津は目の前の人物――跡部という男に興味を抱いた。単純な相手ではないからこそなのかもしれない。
その跡部が、黄色いボールを宙に放つのと同じ無造作な動きで、何かを亜久津の方へと放った。反射的に翳した手の中に、それがパシリと収まる。
「・・・・・・・・・・・」
手の中によく馴染んだ形容。普段から、胸ポケットには同様の物が入っている。メーカーの類は異なるのだろうが。
お高い氷帝学園の生徒もこんなもんか・・と、それでも詫びのつもりか何か知らないが、寄越すというなら貰ってやるか・・・と丁度最後の1本を吸いきってしまった為に都合が良いというせいもあった。。
「―――何のつもりだ?」
「さぁな。・・・・1年、そいつに代替してみな。その上で、てめーの本気を見せてみろ」
妙に力在る言葉だった。「いらねーよ」、と突き返そうかと思った手は、跡部の浮かべた笑みに阻まれる。沈みかけた太陽の光を受けて、まるで消え入るような微笑がそこにあった。
亜久津は、跡部が立去った後もしばらくの間、跡部が投げて寄越したそれを捨てる事もしまいこむ事もなく、ただ握り締めていた。
夕刻の出来事が嘘のように、時間が立つにつれて思えてくる。あれはただのお坊っちゃんの気紛れだと、殴ってでも振り払えば良かったのだと思えるが、それはすでに今更な事だ。家に帰る気も起きず、ふらふらと街中をうろついていると、ぽんと軽く肩を叩かれた。
「亜久津〜、どうしたの?何か気の抜けた顔してんね」
「・・・・・・・・・千石」
へらりと笑うしまりの無い顔は、今は見たくない物の筆頭だった。千石がどうこうというよりは、奴を思い出させる・・・・テニスに絡むものと関わりたくなかったのだ。
苛立ちを抑える為に、亜久津は胸元から煙草のケースを取り出した。「あ!駄目じゃん!亜久津!」と、手を延ばして阻止しようとしてくる千石をかわしながら。
封を開け取り出した1本を無造作に口に咥えた亜久津の表情が、盛大に顰められる。それなりに亜久津の事を知る千石が、あれほど凶悪な顔は見たことないよ・・と後に言うぐらいのものだった。
「・・・・・・・・・・・甘い」
「え?」
ぎりと噛み締めた煙草は、口内の熱によりしんなりと緩みをもっていく。それは、普通の煙草であるならばあり得ない事で。そもそも、亜久津の舌に伝わる甘味は、本来煙草から得られるものではない。
「甘いって・・・・あれ?亜久津、これってシガレットチョコ?いつの間に宗旨替えしたの?」
「するわけねーだろうが。押し付けられたんだ。くそ、あの野郎・・・・・・」
「押し付けられたって、今日?え?亜久津ってば、そんな也で実はモテモテ?」
「・・・・・・・・・・・るせぇ。何抜かしてやがる」
「何って。チョコでしょ?それで今日でしょ?今日は『バレンタインデー』だよ?これは亜久津に本気って事だね。うん。煙草なんて百害あって一利無しだしね〜。ねぇ、どんな子だったの?綺麗な子?可愛い子?もしかして、色っぽいおねーさん?いや、大穴で壇君とか?」
「どれでもねぇ。・・・・・・・・・・跡部景吾だ」
綺麗といえば綺麗だがな、と後半部分は賢明にも口に出さなかった亜久津であるが、例え言っていても千石の耳には入っていなかっただろう。何しろ、跡部の名が出た途端、てめーはどこぞの女子中学生か?とばかりに「えぇぇぇ〜っ!嘘っ!嘘嘘っ!跡部君がどーしてっ?!がーんキヨスミ大ショック〜」と騒ぎ出したからだ。
人目を引いて仕方がないそんな千石を、「ちっ」いう舌打ちと共に亜久津は見捨ててその場を離れた。
その数ヶ月後。
山吹高等学校のテニス部に一人の姿が見られるようになった。
『怪物』 亜久津 仁。
高校テニス界において、後にその存在を知らしめていく名である。
VT企画第4段。亜久津&跡部。
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そういえば亜久津初書き・・・。
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