誰だろうと5回程悩む
 
 
 
 
 
05 遅刻者チェック中の風紀委員を自転車で轢いた人
 
 
 
 
 
 
 昼食後のざわめきに沸く校内において、スピーカーごしに軽くマイクを叩く音は紛れて殆どの生徒の耳には届かなかった。振動はマイクによくないんだと、軽く顔を顰める放送部が、数名スピーカーに非難の視線を向けたぐらいだろうか。
 だが――――。
 
「・・・・・・・・全校生徒に次ぐ。心当たりのある者は、今すぐ生徒会室へ出頭しやがれ
 
 しん、と全てが静まり返る。発言者が誰であるかなど、疑うまでもない。氷帝学園一の有名人、跡部景吾に他ならない。
 状況によっては、聞き惚れてしまう程の甘く響く音楽的なまでに耳に心地良いテノール。しかしながら、低く抑えた先の声音は、明らかな怒りを孕んでいる。生徒会や部活動において、跡部と直に接する事のあった下級生の中には、声を認識した途端、ばっと椅子から立ち上がり、直立不動の体勢を取る者も数名居た。例え同級生達にからかうように笑われようとも、それは条件反射のようなものなのだ。
 明らかにお怒りモードの生徒会長様のお達しに、さーっと顔を青ざめさせた者は少なくなかった。大なり小なりの心あたりが、「あ、あの事だろうか?」と身を竦ませてしまうのだ。
 別に、誰かを名指ししての呼び出しなわけではないのだから、そらっとボケてしまえば良い。跡部にした所で、はったりをかけているのかもしれない。そう思おうとしても・・・・それはできない相談だった。
 ばれはしない・・・・大丈夫・・・・と己の心に言い聞かせようとも、あの冴えた蒼の瞳が思い起こされ、怜悧な美貌に底冷えのする冷笑を浮かべて嘲弄される場面に、己を置き据えてしまうのだ。または、山すら突き崩すかのような盛大な雷のような怒声を、全身に突き刺される様を、想像してしまう。
 今ならまだ――自ら謝罪に行けば――正直に告白すれば――情状酌量の余地はあるかもしれない。
 そこに僅かな望みを繋ぐ、後ろ暗い事を抱えた面々は、脱兎の如くそれぞれ教室や食堂やグランド―――中には職員室や研究室の類から、白衣やスーツを来た到底生徒じゃないだろという面々すらも、駆け抜けていくのだった。断罪者の待つ、生徒会室の方へと。
 
 
「なぁ、お前、行かねーの?」
「えー俺ー?何で?俺、あとべ怒らせたことないC〜?」
「よく言うぜ。どこでも構わず寝汚く居眠りこいてる癖によっ!いつも跡部に怒られてんじねーかっ!」
「そーいう岳人はどうなんや?ジローの事言えへんやろ?」
「・・・・うっ」
「アレじゃねぇの?こないだ、部室内で跳ね飛んで窓ガラス割っただろ?正直に名乗りを上げて謝っときゃ良かったのによ。檄ダサだぜ」
「う、うるせぇっ!アレは宍戸が押したせいだろっ!俺一人の責任にすんなよなっ」
「はっ!おかげで連帯責任とか言われて、草むしりやらされたじゃねーか」
「ったく、炎天下の中偉い目に合うたわ。何で俺らまで付き合わなあかんねん」
「何だよ侑士!ダブルスコンビじゃねーかよっ!!」
「・・・・・・はぁ。早まった気ぃするわ」
「そういう忍足も、心当たりあったりするんじゃないの?ここの所、随分懐具合良いみたいだよねー」
「つ、追加の仕送り、届いたんや」
「えーうっそだろ?侑士の親って、決まった額以外びた一文仕送り増やしてくれねーって言ってたじゃん」
「岳人っ!俺ら、最強ダブルスやろ?」
「えー?どっかなー?明日の昼飯Aランチ奢ってくれたらそうかもなー?」
「・・・・・・・・・・しゃぁないな」
「えっ?マジマジ?忍足――俺も――っ!」
「ジローは関係ないやろっ!」
「ケチーっ!いいや、あとべに教えちゃおーっと」
「――ち、ちょぉ待てやっ!!何や、冗談、間に受ける事ないやろ?岳人と同じAランチでええんやな?」
 そのまま飛び出して行こうとしたジローの首根っこを捕まえて、猫なで声で宥め透かそうとしている忍足。誰がどう見ても、後ろぐらい事ありありなのだった。
「ふぅん。そんなに稼げたんだ。跡部の写真」
「めちゃ稼げたで〜。シャワーシーンなんかえらい高値つきよったわ。・・・・・・て何や岳人?」
「――侑士、達者でな。線香の1本ぐらいは立ててやっから」
「あ、俺はねー、苺ポッキー♪」
「はぁ〜?」
 岳人とジローの言葉の意味が掴めず、振向いた忍足だったが、その表情がびきりと音を立てる程に凍りついた。
 そこに立っていたのは、絶対零度の微笑みを浮かべ、静かに佇む跡部の姿であったからだ。なまじ怒鳴りつけられるよりも怖い。
「・・・・跡部・・・・あ、あんな?さっきんは・・・・・・・・」
「釈明は無用だ。まぁ、そっちの話は後だ。だが、曖昧にするつもりはねぇ。覚悟しておけよ?」
「・・・・・・・・はい」
「それよりも問題はさっきの件だ。かなりの人数が集まってるが、どれも外れだろうな」
「もう聞いてきたの?」
「んなわけねーだろうが。勘だよ」
「へぇ。それじゃぁ跡部は俺達の中に犯人が居ると思ってるんだ?何の件かは知らないけど」
「てめーらならばやりかねねぇからな。おら、正直に白状しやがれ。今朝の遅刻者チェック中の風紀委員を自転車で轢いた奴は誰だ?てめぇら以外の怪しい素行の悪ぃ奴等は、すでに尋問済みだ。一応、部長としての立場もあるからよ、枠から外そうかと悩んだんだが、どう考えてもてめーらならやりかねねぇ、と結論が出る」
「跡部、ひでーっ!」
「俺、やってないC〜!」
「何やその件かいな。それやったら濡れ衣やで。俺ら潔白やし」
「――てめぇ、犯人知ってやがんのか?」
 晴れやかな笑みを浮かべて胸を張る忍足だったが、この場合時と場所と相手が悪かった。跡部を前にして、そんな態度を取るものではない。
胸倉を掴み上げられ、体格はそう変わらない筈なのに、鍛え上げられた腕は忍足の体を軽く宙へと釣り上げた。
「―――し、死ぬっ・・・・」
「アーン?酸素の使用量が減って地球温暖化の防止に役立つかもな。―――で?誰なんだ?」
「・・・・・・・・やっ!」
「聞こえねぇ」
「よ、43や!」
「―――はぁ?」
 忍足のあげた名に、跡部は毒気を抜かれて思わず忍足を掴んでいた手を離す。途端にどさりと地に落ちた忍足は、ぜいはぁと必死に酸素を貪った。
「・・・・せ、せやから・・・・タロちゃん、やねん。・・・・何や、愛車が、パンクしたとか・・・・言うてたで。日頃自転車乗らんから、勝手が違うんやろ?風紀委員引いた後にな、俺らが呆気に取られて見とったら、あのポーズで『――行ってよし!』言われたんや。監督命令には逆らえへんし」
「・・・・・・なるほど、そういうわけね」
「跡部?何や?その笑み・・・・・・怖いんやけど・・・・?」
「ふ・・・・ふふふ・・・・ふふふふふふふふふふ・・・・・・気にするんじゃねぇ。――放課後の部活は各自の裁量でメニューをこなせ。監督は萩之介、てめーに任す。今日は早めに切り上げていいぜ」
「わかった。跡部はどうするんだい?」
「監督と、ゆっくり、話し合うんだよ」
「――そう」
 穏やかに、どこまでも穏やかに笑む跡部の微笑みを前に、豪胆さで知られるテニス部レギュラー陣は、じりじりと本能に押されるようにして、後退していくのだった。
 
 
 

 
 
2006年6月
 
 
<< B A C K