空と海と太陽と ( 02 )
電車を乗り継ぎ、先の先を目指す。人気の絶えたローカル線の車内。窓を開けるのに気遣う必要もない。ガタガタと年季を知らせてくれる窓に手をかけ開け放つと、わずかに潮を含んだ空気が頬に触れた。
吹き付けてくる風は冷たい。気温が二度か三度は低いだろうか。開いた首筋に直接風を感じぶるりと体が震えて揺れた。
窓の外に海が見えた事で、二人の視線が重なった。どこといって場所を決めていたわけではない。頷き合う事で停車駅が決まる。そのまま二人、名も知らぬ駅にて下車した。
人気の無い駅。人気の無い道。そしてさらに人気の無い海辺へと進む。
前を歩く跡部は冷たい風を気にするでもなく、さくさくと砂地を歩いていた。見ている限り、彼の方が寒いのではないかと思う。
手塚の着る学ランもさほど寒気を遮る方ではないが、跡部が身にまとう制服はさらにその上をいく。
上質な仕立てである事は見ればわかるが、動くたびに浮くインナーのシャツは短目で、時折素肌がちらりと見えていた。夏場ならば良かろうが、この時期のそれは自ら風邪をひこうとしているとしか思えない。鍛えていても限界があるだろう。――祖父のような特例もあるが。
跡部の学校ではあれが指定なのか――と考える先でそういえばどこかで見たような制服だと思い出す。視界の隅をちらちらと横切っていたような――記憶を探れば答えは何という事はなかった。氷帝学園。青学が都大会で歩を進める為に、関東大会を勝ち抜く為に、全国大会でその名をあげる為に、立ちはだかる敵の一校だ。
実力は確かなものであるが、部員数の多さ、盛大な応援合戦の派手派手しさで知られる。試合会場でもその多くはジャージ姿であるが、制服姿で応援する下級生逹も少なくなかった。
そうか、氷帝学園か、と納得すると余計に寒さが増したような気がする。
氷の帝国。寒々しすぎる。
日頃から不機嫌そうだと評される顔を更に顰めていると、足が遅れている手塚を気にしてか跡部がくるりと振り向いた。
最初に顔を見た時から変わらずその表情・姿は涼し気で、全く寒さを感じているようには見えない。
「お前には神経がないのか?」
「――てめぇ、失礼極まりない奴だな」
「・・・・・」
思わず口をついてしまった正直な言葉は確かに失礼だったかもしれない。
「・・・・寒くないのか?」
喧嘩を売っているつもりはないので言い改めてみた。
跡部は片眉を上げて文句を言おうか――という表情から、呆れたような顔になった。この変移には見覚えがある。母や友人の大石が時折浮かべる顔だ。それはつまり、また何か外したという事だろうか。
「手塚よ。お前のその性格、敵を作りやすいだろ」
「跡部程ではないと思う」
「ああ?!」
不味い。また怒らせた、か。しかしながら言葉が止まらない。
「跡部は好んで相手を煽ってないか?」
「は、見てきたように言いやがるな。俺様は時と場をわきまえんだよ。無自覚に相手の神経を逆撫でしやがるてめぇと違ってな」
それは余計に質が悪いのではないだろうか、そう反論しかけた口は真っ直ぐに居抜くような跡部の視線に縫い付けられる。
白い陶器のような顔立ちの中で、硝子のように透き通った瞳が手塚を貫く。細胞から分解されていくような錯覚を覚えた。
「・・・・・・その肘」
「――っ」
不意打ちに身構える間もない。反射的に肘の上を抑えてしまう。傷は癒えた筈だった。実際ラケットを振っても違和感はない。だが時折、消えた筈の痛みを感じる事がある。重い疼痛は、幻痛の類いなのだろうか。消える事はないのだろうか。跡部の言葉が近くて遠い。全身を絡めとるかのようだ。
「手痛いしっぺ返しを食らったんだろ?」
「確かに俺は傲慢だった。だが、彼のした事はやはり容認できない」
「ふん、しこりを残したままってか」
「和解はしている」
「表面上は?」
薄く笑う跡部の顔を睨む。お前に何がわかるのかと、敵意すらこめて。しかしながら目つきの悪さには定評がある、教師ですらも躊躇する手塚の眼光に、跡部は全く怯む素振りもない。余程胆力があるのか――単に手塚の手に負えぬ相手なのか。無理に勝ちを取ろうとしても特はなさそうだと判断し、手塚は心中を抑える。
「喧嘩両成敗という事らしいからな。例えふっかけられた喧嘩だとしても同じ事だ」
「って事は、納得はしてねぇわけだ」
「する事はないだろう」
「不器用な奴」
「自覚はしている」
「なるほどね。てめぇ一人で孤高を貫くってんなら、それもいいだろうよ。他人との関わりは、手間がかかって鬱陶しいもんだ。強さだけを求めるなら、馴れ合いなんざはなから除外するのも一つの手だ」
そこまでは言っていないと、反論したい。だがそもそも自分はそのように考えてはいなかっただろうか。
「青学の柱に」
「一緒に全国大会へ」
大和部長の言葉が、大石の言葉がフラッシュバックする。彼らの言葉は本当に自分に届いていただろうか。自分は本当に彼等の言葉を聞いていたのだろうか。頷く事が、合わせる事が正しい道だと判断しての行動でしかなかったではないだろうか。
「惨めったらしい嫉妬や愚かしい憎しみを伴う羨望と憧憬。そいつはこの先てめぇについて回るだろうよ。理解できねぇと、筋違いだと突っぱねてくか?」
「ならば、お前はどうしろと言う?」
「さてね。てめぇの人生相談するつもりはねぇし?」
ふっと表情を緩めた事で圧迫感から開放される。肌寒さを感じていた筈なのに、喉元を伝う汗を感じた。きちりとホックを外し、喉元を緩める。
「周りは勝手を言うもんだよな。てめぇに偶像を押し付け、勝手に祭り上げて、勝手に幻滅して、勝手に熱を上げてくだろうよ。足元には気をつけな。とことんフォローしてくれるお人好しでも常に近くに居るなら別だが、油断してたら足元すくわれるぜ?その肘ばかりじゃなかったろ?」
「――――見ていたのか」
「見ちゃいねぇぜ?俺様に見えたのは、遠くなる背中と、不様に転がったてめぇの姿だけだな」
だから言っただろ?とでも言いた気な跡部の視線に、過ぎた事に忠告を受けても今更だ、と恐らく跡部にすれば理不尽だろう言い掛かりのような文句をつけたくなった。