空と海と太陽と ( 01 )
落ちていく最中、青い空が見えた。
ああ、綺麗だな――
そんな感慨を抱いたのを覚えている。ふわりと浮いた体がどこか心もとなく、そんな事は覚えているのに、全身を襲う筈の痛みや衝撃が感じられない。
あれは夢だったというのか―――
「・・・・・・てめぇ、道端で寝んのが趣味か?」
「そんな趣味は持っていない」
覗きこんできた相手に反射的に飛び出た答えは素っ気無い。相手の高圧的口調に対抗するように、手塚の口調もぞんざいだ。
「だったら起きたらどうだ?踏みつけられても知らねぇぜ?」
「倒れている相手を踏みつけるのか」
「通行の邪魔だからな」
「・・・・・・・・・・・」
嫌味で言った筈が本気で返されて、これは一体どういう相手なのかと眩暈がする。それは、落下の後遺症ではないだろう。どうせならば身を起こす手助けぐらいしてくれても良いものを、と思う所もあるが、どうやらこの相手は親切心からは程遠い相手らしい。
弾みをつけて起き上がった手塚は、体の何処も痛まぬ事に気づく。余程うまく落ちたという事なのか。それにしても気を失っていたのは確かなようなのに、打ち身のひとつも見つからないのは不思議な事だった。
ふいと見上げれば、石畳の階段の上には誰も居ない。
恐らく怖くなって逃げ出したという事だろう。あの人達ならば、そんなところだろうと思えた。
これで救急車を呼ぶなり、誰か人を呼んでくるなりしてくれたなら、まだ可愛気があったものを――などと考える相手は、実は手塚よりも一年年長だ。テニス部での先輩にあたる。尊敬の類を抱いた事はない人物ではあるが。
助けて貰ったわけでもないが、一応礼を言うべきだろうかと先の人物の方へ視線を向けようとして肩透かしを食らう。
すでに彼はこちらに背を向けすたすたと歩いているではないか。
どうやら本気で通行の邪魔と思って声をかけただけらしい。そうすると手塚が意識を取戻さなければ、踏みつけていってくれたのだろうか。意識を取戻した手塚は打ち身ではなく踏まれた跡が痣になっていたという事なのだろうか。
「―――おい」
「・・・・・・・」
「無視するな」
「あぁん?俺様は『おい』なんて名前じゃねぇんだよ」
不愉快そうにふりむいた相手の顔を見て、手塚は一瞬息を飲んだ。他人の美醜を気にした事のない手塚だが、これは出来すぎだろうと思う程にその少年は美しかった。だが何よりも印象的だったのは、こちらを突き刺すような、全てを見透かすような鋭い視線をもった青い瞳がそうだった。
先ほど手塚が見上げていた自分は、ちょうど日の光が逆光となり彼の顔は影となって全く見えない状態だった。あの顔だちであの性格とはそれこそ反則だな、と本人が聞いたら激怒しそうな事を考える。
「用があんのか?」
「いや」
「だったら行くぜ」
「いや。待って欲しい」
「早く言え」
「・・・・・・特に用事というわけではないんだが・・・・・・少し、話をしたい」
「ふ、ん。ナンパか?」
「お前は男に見えるが?」
「まぁな。つくもんはついてるぜ。見せてやる気はないけどな」
「・・・・・・・・・」
いやこちらも見たくはない。そう正直に口にしなかったのは、手塚にしては上出来な判断だっただろうか。
「はっ。男だろうが女だろうがな、そういうのはナンパの手管のひとつだ。ま、堅物そうなてめぇにゃ似合わねぇか」
「初対面でそこまで判断されたくはない」
「堅物なんだろ?」
「・・・・・・・・・たまに言われる」
嘘だった。本当はかなり多くの人物からそう称される。
「それほど急ぎの用事があるわけでもねぇしな。付き合ってやってもいいぜ。だが、こんな所で突っ立ったまま話すつもりか?」
「それは良い選択とは思えない」
「井戸端会議の主婦じゃねぇからな」
「どこか店にでも入るか?」
「・・・・・・・ま、それも悪かねぇけどよ。どうせなら、海、行かねぇ?」
「海?冬だぞ今は」
「冬の海も乙ってもんだぜ」
「だが、これから部に戻らなくては―――いや、付き合おう」
生来の生真面目な質が表に出てきたが・・・・完全に言葉を言い切る前に気が変わった。そういう事も悪くないかもしれない――今日はそんな気分だ。
「ばぁか。逆だろ。俺様がてめぇに付き合ってやるんだよ」
「そういう事にしても良い」
「救いようのねぇ負けず嫌いだな」
くすくす笑う声が不思議と耳に心地良い。本来は、これから学校に戻ってテニス部の練習に参加しなければならない。だが、今から戻って再び彼等と顔を会わせる気には到底なれなかった。少し、時間を置いた方が良いかもしれない、そう思えた。
駅に先導する背についていきながら、そういえばまだ名前を聞いていないと思い出し、尋ねてみると「跡部」という答えが返ってきた。何処かで聴いた事があるような、と記憶の何処かを掠りはしたが、重い出せない。まぁ珍しい名前というわけでもない。
「おら、とろとろすんじゃねぇよ、手塚」
「俺は名前を教えたか?」
「そこにあんだろ」
「・・・・・なるほど」
跡部が指差す先には手塚の肩にかけたバッグ。紐のあたりにはネームプレートがぶら下がっている。それを見たという事なのだろう。目聡い奴だな、と感心していると、「そりゃ観察力が鋭いってんだよ」と訂正された。俺の考えが読めるのか、と言いかけた口を「わかりやすいんだよ、てめぇの顔は」と言い切られ、そんな事は初めてだと反論すれば、「見る目ねぇな」と返された。どうにも口で勝てる気がしない。この感覚は・・・・そう、母を相手にしている時に通じるものがあった。
仲間内にもどうやら正面きって(小技を繰り出したとしても)勝てそうにない相手が数名居る。テニスの腕前だけならば負ける気はしないが(絶対に勝てるとも言いきれない)日常生活の面においては、敗色濃厚――というより、戦の前に白旗を掲げて棄権するのが無難に思える。
もしかして自分は人間的にかなり弱い部類に入ってしまうのだろうか・・?と認めたくない事実に直面して愕然とする。いやいやまだまだ中学生。人生経験はこれからであり、人間関係に練れて図太くなるのもこれからの成長次第の筈だ。――多分。
「・・・・・・・てめぇ、人相悪ぃぞ」
「他人の顔立ちを貶すのは心ある行為とは思えない」
「別に顔の美醜を論じてるつもりはねぇよ。その面だけなら、一応及第点だろ。お袋さんに感謝しろよ」
「何故母親似だと?」
女性的風貌と評された事はない。確かに父よりも母の面立ちを濃く受け付いている手塚ではあるけれど。
「てめぇを構成したのはお袋さんだろ?別に母親似たぁ言ってねぇ」
「そうか」
確かに跡部はそうは言わなかった。手塚の早とちりである。だが、跡部の言葉は時折曖昧なところがあり、こちらの判断に任せているようにも思える。それは、誤解を生むのを敢えて放置している――つまりはそうさせているとも言えるのではないだろうか。どうやら単純な相手ではないらしい、と僅かな時間の中で判断するに至った。
DATE: 2006.11.23
短期集中連載。全5話予定。
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