03 
 
 
 
「――――手塚は冷たいよね」
 
 
 そんな指摘をしたのは、いつも穏やかな笑みを絶やさない、少女のような柔らかな風貌の裏に芯の強さを隠した男だった。「ああ、そうだな」と、否定もせずにあっさり肯定してみせると、不二は仕方が無いな、とでもいうように呆れたように笑った。
 他人に対する興味というものが薄いという自覚はあった。テニスに絡む事以外となると、殆ど皆無といって良いぐらいに関心がない。部員達の顔と名前は把握していても、クラスメイトの顔となると思い出しても曖昧となってしまうのがその証拠のようなものだろう。酷い時になると、学園祭の準備で隣り合わせでセットを作っていた時、男子生徒の名前が思い浮かばず、しばし考えこんでしまった手塚なのだが、その彼は実は1年の時から同じクラスだったと後に判明した。相手は苦笑を浮かべていたけれど。
 親友という関係にあった大石にしたところで、実の所プライベートな時間を過ごした事は殆どない。その大石が一番長く時を共にしていたのは、ダブルスのパートナーである菊丸だろう。そういう面からいけば、菊丸の方が大石にとっての親友なのではないか?と尋ねた事があったが、「英二は相棒だよ」と、軽く流された。友人というカテゴリの中に特別な枠があるという事は知っていたが、手塚としては自分の身に当てはめるとよくわからなかった。
 共に居て心が浮き立つ、会話をしていて楽しい。会えずに居ると何か物足りない。
 そんな存在は知らなかった。――――跡部という存在と出会うまでは。
 初めは、そう。やたらと絡んでくる面倒な奴・・・・そんな印象しかなかった。氷帝学園といえば強豪校として知られるが、自分が対戦する相手以外に手塚は目が向かない。跡部の名も、その抜きん出た実力からも、ある程度の興味を抱く存在ではあったけれど、それ以上ではない。他にも幸村や真田といった、同年代での実力者は何人か居り、手塚にとって跡部とはその中の一人という存在でしかなかった。勿論、強い相手とは戦いたいという欲求はあったけれど。
 団体戦において、氷帝学園とぶつかった際には、苦しくも青春学園は敗れた。オーダーの関係上、跡部と対決する事はなかったが、その分じっくりと彼の試合を見る事ができた。派手な言動やパフォーマンスで知られる跡部景吾というプレイヤーの試合を、改めて見たのはその時が初めての事だった。
 綺麗なテニスをする奴だ、という印象を持った。基本に忠実な――それでいて、マニュアル的な試合運びではない。自分よりも体格の良い相手(青学の部長)相手に、全くひけを取らず、どころか未だ成長途中の為、細身とすら言える腕から放たれる強烈なスマッシュは、見ていて手塚の手に拳を握らせる程であった。
 来年はこの男と対峙する事になるだろう・・・・そんな予感が当時の手塚にはあった。ただし、その後に跡部から向けられる挑発の類に、応じる事は一度もなかったが。
 
 そして、中学の3年最後の夏において。手塚と跡部は関東大会の1回戦で戦った。
 抽選の妙でしかないけれど、惜しいと思った。関東は他地域に比べ、全国大会への出場枠が多く取られている。もし決勝あたりであたっていれば、例えどちらが敗退しても全国大会において再戦の可能性があったのだ。勝負は一度だけ、というものが基本なのかもしれないが、そう思うぐらいには跡部との対戦を実は楽しみにしていた。
 自らの過去のツケがその時に回ってきてしまった。跡部という男は容赦なく、隙があればそこをとことん突いてくる。手塚の身体に蓄積されていた過剰な膿が、あの試合の中で剥き出しの傷口から滲みでるようにじわじわと皆の目に曝された。
 非情なまでに自分を追い詰めていく跡部。だが静かに抑えた瞳の中に、焦るような激情があった。
 結論的にいっても、手塚の肩を壊したのは跡部ではない。跡部は一度たりとも、手塚の肩や肘へ向かって球を放つような真似はしなかった。跡部のプレイはあくまで技と力だ。
 もしあの試合で、手塚が再起不能の状態となったとしても、それは対戦者である跡部ではなく、生徒を監督する立場にあった竜崎の方にある。誰もその点を突かないのが不思議な事であったが。
 恐らくは、それは跡部の態度にあるのだろう。跡部は自分が悪者とされる事を笑みすらもって受け入れる節がある。誤解を誤解のままに、それを解く事すらせずに助長する面がある。本来の跡部の質はといえば、あの氷帝部員の心酔ぶりからしてもわかるように、誠実で真っ直ぐな奴だ。
 結局、手塚は跡部に負け、青春学園は氷帝学園に勝利した。
 その後、氷帝学園も推薦枠という特別枠をもって全国大会へと出場し、青春学園と氷帝学園の再戦という運びとなったのだが―――跡部との再戦は敵わず、手塚は氷帝2年の樺地と対戦し、跡部は青学1年の越前と対戦した。
 そして、最後の夏が終わった。
 
 
 全国大会が終わっても、手塚の胸の内には燻るような思いが残った。果たし損ねた約束を棚上げとしているような気分だったのである。
 その為か、以前に示唆されていた海外留学の話にも、今ひとつ乗り気になれなかった。まだ早い・・・・まだここで自分にはやる事があるのだ、と思えて仕方がなかった。青春学園の悲あった全国大会制覇を成し遂げてみても、手塚にとっては夏を何処かに置き忘れたような感覚をいつまでも引きずっていた。
 
 そんな折に、街中で跡部と偶然の再会を果たしたのだ。
 試合会場で放たれる跡部独特のオーラは、視線を外さずにはいられないものであったが、日常生活においても跡部はやはり目を惹く存在だった。
 偶然出合った本屋で、跡部も読書が好きであり、釣りの趣味まで同じである事を知った。その後に連れていかれた喫茶店も静かで落ち着く場であり、手塚はその日跡部に対する新たな発見を何度もする事となった。
 途切れぬ話題に巧みな話術。それでいて一方的に喋りまくるような押し付けがましさがくなく、こちらの反応を汲み取るようにして会話を拾ってくれる。気づけば、軽く茶というには随分と長い時間が、あっという間に過ぎていた。これほど共に居て気持ちの良い相手であると、その日初めて知ったのだ。今まで損をしていたような、そんな気分を抱く程に。
 格別他意があったわけではない。だが、明確な日を指定したわけではないが、その日の会話は手塚は跡部と再び会うような流れとなっていた。跡部のお薦めの本を借りる事と、共に釣りに行くか、という話をした。だから、何気なく別れ際に口をついた言葉は、「またな」、というものだった。
 それはごくありきたりの日常の、切り取られた光景。だが、その時の記憶は、今となるとかけがいの無い――と思える程に輝かしいものだった。
 
 跡部は覚えているのだろうか、と時々思う。あの時に共に過ごした穏やかな時間の事を。そして手塚が跡部に抱いた好感を、跡部もまた手塚に対して抱いていてくれればと思う。
 少なくとも嫌われてはいないと思うが、跡部は己を律する事に長けているので絶対とも言い切れない。手塚としては、今共に居るのが跡部で良かったと思っている。もし別の人物と二人取り残されたとしたら、戸惑いと焦燥の中に自棄になっていたのではないだろうか。他人が言う程には、自分が精神的に達観しているとは到底思えなかった。
 自分の存在は、少しは支えになっているのだろうか。むしろ重みにはなっていないだろうか。跡部がいつまでも自分を起こさなかったのは、信頼に足る存在ではないと思われていた為だではないだろうか。
 テニスの技術ならば自信はある。だが、この場において必要なのは、そんなものではなかった。
 未来の事、現在の事。何もわからぬ状態において、くじけぬ精神と未来を見据える力。それが果たして自分にあるだろうか。そして自分は、跡部を支える事ができるのだろうか。
 他人の事になど興味を持てなかった自分が、今は常に考えている。跡部の事を、考えていた。
 
 痛々しい、少し青ざめた白い顔。何でもないと言い切るが、それが強がりである事は手塚でもわかる。
 芥川といえば氷帝学園の3年で、関東大会において不二と対戦した奴だ。大人びた跡部と違い無邪気で子供っぽい質と感じたが、跡部と随分親しかったらしい。この年代で日常的に抱きつくような親しみを持っていたようなのだから。
 此処には居ない芥川という存在。彼が居れば、跡部は自然と笑えたのだろうか。彼が居れば、あの晴れやかな笑みを見れたのだろうか。屈託なく戯れる、そんな相手に心が落ち着く。それはわからないでもない。けれども、同じように振舞う事など手塚にはできない。今、何よりも跡部を慰めたいと思っていても。
 
「――――跡部」
「な、何だよ・・・・」
 離れようとする身をを引き寄せて、力の限りに抱きしめた。尽くす言葉を知らぬ手塚だから、その身をもって行動するしかない。
「は、離せよ。・・・・・・痛ぇ、だろ」
「嫌だ」
「―――おい」
 腕の中で身じろぎし、抜け出そうと格闘する跡部をさらにきつく抱きしめて、きっぱりとその要求を否定する。
「俺はこうしていたい」
「男に抱きついても面白くねぇだろ」
「そうでもない」
「はぁ?てめぇ、変態かよ」
「そうかもしれないな」
「ばっ!否定しろよな!そういう事は!怖ぇじゃねーかっ!」
 顔を赤らめ、慌てたように言い放つ跡部に笑みが誘われる。常に主導権を握る跡部の素の姿が、妙に可愛かった。
「何、笑ってやがる」
「いや。すまない」
「悪いと思うなら離せ」
「それはできない」
「手塚ぁ?!」
 こいつとうとう壊れたか?!と、真顔で心配してくれる跡部にそうじゃない、とわからせる為にぽんぽんと背を叩いた。
「・・・・・・・・ぐずるガキじゃねー」
「そうだな」
「好い加減離せ」
「それは断る」
「――――何なんだよ、お前は」
「さぁな」
 跡部の苦情も何も、受け入れるつもりはなかった。手塚はこうしたいから、こうしている。だから、跡部が何を言おうと、開放するつもりなどない。
 
 温もりが芥川を思い出させるのならば、記憶を塗り替えてしまえば良い。手塚の熱を、その身に覚えこませれば良い。
 何も求めてくれない跡部に、自分を求めてくれるようになって欲しいと思う。たった二人だけであるから、ではなくて、跡部であるから支えたいのだ。
 誰でもない跡部だから、支えたいのだ。
 
 内なる祈りをこめて、手塚は固く、跡部の身体を抱きしめた。
 
 
 

2006.08.26
 
[ 03.誰でもない、君の為に ]


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