02
時折、跡部は一人になる事を望んだ。
このような状況においても、互いの時間というものは必要だと思うので、手塚としてもその要求に否はない。もしも、何か不測の事態が起きて跡部の身に何かが起こったら――という、ネガティブな思想をもって危ぶむ気持ちもないでもないが、跡部の身を案ずるばかりにべったりと常に張り付いていたのでは、息苦しさを感じるだろう。
ただ一つ気になるのは・・・・跡部は一人の時間を経た後、酷く疲れているように見えるのだ。己の想いに沈んでいるのかもしれない、やはり一人にすべきではないのだろうか、と悩みもするが、手塚の視線に気づいた跡部は、毅然とした態度を取戻し、疲労など全くないという素振りを見せる。そんな時に覚えるこの歯痒さは、未だ跡部の信頼を得切っていないという事実からくるのだろうか。
たった二人で生きている。言葉を交わすのも二人だけ。顔を合わせるもの二人だけ。体温を感じる事ができるのも二人だけ。そこから発生するかもしれない依存性は、この先危険を引き起こすかもしれない。けれども、手塚は全ての決断を跡部に委ねるつもりだった。それは、責任を転嫁するという意味ではない。
人寂しいというならば、起こせば良いだけではある。多数を目覚めさせる事は、混乱を引き起こすだけかもしれないが、一人、二人、と、数人ならば、現状を話して納得して貰えるぐらいの余裕はあるだろう。
頼れる大人を目覚めさせれば良いのかもしれない。母のように包み込んでくれる女性を目覚めさせれば良いのかもしれない。思考的にも柔軟な、まだ幼い少年、少女を目覚めさせれば良いのかもしれない。もともと、跡部は人に頼られる事、世話をする事を好んでいたように見える。手塚の目だけでなく、青春学園の仲間達も、氷帝学園の部員や生徒達に接する態度を見て、「面倒見の良い人だ」という認識を持っていた。それは、他校の生徒に対しても同様で、越前や桃城などは何のかんのいって、跡部に懐いていたと聞く。その話を聞いた時、少しばかり羨む気持ちが沸いたものだ。――どちらに対してかは、わからないけれど。
誰かを庇護する事が己を確立する。そういう立ち方もあるだろう。多数に囲まれ、自信に満ちた様で采配し、嫣然と微笑む跡部の姿は輝かしかった。この先、もしも今眠る人々を起こしていった後、かなりの人数が共に暮らすようになったならば、自然とその中央に立つのは跡部ではないかと思える。本人が望まずとも、周囲がそう盛り立てていくだろう。
黙々と作業する跡部の背を見つめ、手塚はそろそろ休ませた方が良さそうだと見極める。「今日は倉庫の整理だ」と、跡部が宣言した為に、朝から二人暗い倉庫の中にこもりきりとなっていた。二人で全てを片せるような量ではない。けれども、身体を動かしていたい・・・・跡部はそんな気分なのだろう。
毎日やる事は山程ある。やらずにいても生きてはいける。二人ぐらい、何もせずに時を過ごしても問題はない程度の食糧のストックはあった。けれども、跡部も手塚も、どちらかどころではない勤勉な質であって、怠惰に過ごしていく事を己に許せるような性格でもなかった。
暇に厭く―――という。例えば千石あたりなら、そんな暇を享楽的に過ごす事を選ぶかもしれない。跡部をその楽の方向に無理矢理にでも持っていけるのかもしれない。そう考えると、ここに居るべきなのは自分などではなく、千石のような、ある意味跡部の意志すら無視できるような強引さを持った奴であるべきなのかもしれない。自分という存在は、跡部を重く沈めてしまうのかもしれない。そんな風に近頃思えてしまう時がある。
このようなマイナス思考に手塚が囚われてしまうのは、跡部の静が要因だ。かつての、生気に満ちた溌剌さは現在の跡部には無い。暗く沈んだような・・・・とまではいかぬものの、清冽なまでに晴れ渡った空の蒼を模したような輝ける瞳は、今は何処か膜がかかったかのように僅かに曇り続けている。
きつく、抱きしめてしまえば良いのだろうか。ここに自分が居る事を、お前はもう一人ではないという事を、その身に刻ませるように、何度でも何度でも、抱きしめてみれば・・・・伝わるのだろうか。感情表現があまり豊かとはいえぬ手塚は、自分が跡部を想う心をどう伝えれば良いのか、わからなかった。自分がどうしようもない程に傲慢に、相手の心を理解せずに傷つけていた過去があるだけに、その点においては逡巡しか浮かばない。
「・・・・・・・?」
呼ばれたような気がして、ふいに顔を上げる。視線の先には、台を用いて高い棚の上を整理していた跡部の姿が映る。何か考え事でもしているのか、微動だにしない背。だがどこか危うい気がし、「跡部?」と声をかけようとしたのだが・・・・その先でぐらりと揺れた背に一瞬、息が止まった。
後に思うまでもなく、手塚は己の反射神経に深く感謝する。思考をめぐらすよりも前に、身体の方が飛び出していたのだ。床に叩き付けられる寸前の跡部の身体を、がしりと受け止めたその感触と重みで、手塚の意識は初めて今起きた事を認識したようなものである。腕越しに伝わる温もりが幻ではない事にほっとし、叩きつけるように脈動する心臓をどうにか宥め、荒くなりそうな息を整える。
「・・・・・・しっかり、しろ」
白く、血の気の抜けた頬を軽く叩く。何処も打ってはいない筈だ。ただの貧血か何かであれば良い、そんな願いをこめて身体を軽く揺する。
「――――ぅ」
「大丈夫か?」
小さな呻き声にほっと胸を撫で下ろしながら、薄く開いた蒼の双眸を覗き込む。揺れる瞳は常より潤み、泣いてしまうのだろうか?と思えて、ドキリとした。
「・・・・・・悪ぃ。くらっときただけだ。も、大丈夫。起こしてくれ」
「あぁ」
起き上がらずに寝ていろと、言いたい言葉を飲み込む。跡部はそれを受け入れないだろうと思ったからだ。下手な反発心を引き起こすよりは、ここは望む通りに起こし、何とか体を休める方向へ誘導していく方が良いだろう。
肩と腰を支え、身を起こさせる。まだふらつく可能性があるので、抱いた腰はそのままそっと添えて跡部の身を支えた。
「・・・・・・・・腕」
「どうかしたか?」
「離してくれ。腰抱かれてるみてぇで、落ち着かねぇ」
「今更、照れるような事でもないんじゃないか?第一、誰が見ているわけでもない」
「・・・・・・・・・・・っ」
困らせるつもりなどなかった。ただ心配であっただけだ。だが、跡部は何かを言いかけるように唇を揺らし、そしてくっと言葉を飲み込み手塚から視線を逸らす。
「すまない。俺は何か失言をしてしまったようだ」
「・・・・・・そうじゃねぇ。てめーのせいじゃないんだ。ただ・・・・・・」
「無理に言わなくてもいい」
酷く哀しそうな表情に、それを自分が浮かべさせてしまったのだという事に内心臍を噛みながら、手塚はそっと跡部の目元に手を乗せる。もしもその瞳から涙が零れ落ちても、見えないように、と。
跡部は手塚の手を振り払う事もなく、ただじっと立っていた。
「・・・・ジローの奴が、よく腰に抱きついて、きたんだよ。―――暑苦しいと、思ってたのにな・・・・」
跡部の言葉に込められた想いに、何の慰めも発する事ができない。ただ、「そうか」、と、一言発するだけで精一杯だ。
添えた手の平に、濡れた滴を感じはしない。けれども手塚には、跡部が今泣いているように思えた。
2006.08.20
[ 02.ともすれば零れそうな想いが ]
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