15.向日が飛び跳ねて転びました。膝を擦りむいています。
「少し時間を置いてから顔を出せ」、と鳳に言い置いて、跡部は部室を出た。そのままテニスコートのある方向へと足を向ける。
恐らく、日吉と樺地は気にしているだろう。何と言って安心させてやるべきかと考え、元々の要因は自分にあるのだと気づく。だが、いきなり二人に話せばやはり鳳同様、困惑するだけだろう。二人の動揺する様を見れば下級生達も不安を抱くに違いない。ここはひとつ鳳に道化となって貰い、この場は流すのが上策と思えた。
「まぁ、ネタが無い事もねぇか」
「ネタって?」
「――――――」
ふと、口をついて出てしまった言葉に返ってきた言葉。一瞬、虚を突かれたがそこはそれ、跡部である。振向く頃にはいつもの余裕ある笑みを浮かべてすらいた。
「何でもねぇよ。個人事情だ。それより、何だ?そいつは」
「ああ、これ、ね」
「・・・・・・・・・・・」
佇んでいたのは、静かな笑みを称えた同級生・・・・かつチームメイト。端整な容姿に相等した繊細で丁寧な・・上手いテニススタイルが持ち味だ。それ故、勝利への貪欲さを前面に押し出した宍戸に破れ、レギュラーの座を追われる事となった。弱いわけではない。貧弱なわけではない。脆弱なわけではない。―――けれども、それ以上が求められた。
宍戸も滝も跡部にとっては幼稚舎からの付き合い――腐れ縁な仲だ。どちらを贔屓とかいう気持ちはない。日常面においては、どちらも大事な友人だ。(宍戸の方は喧嘩仲間と言えなくもないが)。
宍戸が一度レギュラー落ちした後に、這い上がる術を指し示したのは跡部だ。しかしそれは滝を蹴落とすという結果を伴う。考えは、した。だがそれはどちらがより戦力となるかという、部長としての観点からだ。より、勝ちを求めた方が生き残る。馴れ合いでレギュラーを決めるわけにはいかない。不動峰にしてやられた結果となった状況では、より勝ちを取れる駒を残す必要があった。例え滝に恨まれる事となろうとも・・・・同じような事は今までにも何度もあった事だ。
結果として・・・・宍戸が鳳のダブルスのパートナーとなり、滝はレギュラー落ちとなった。最後の決め手となったのは、跡部の一言だ。それが無ければ榊は、今まで通り宍戸を敗北した者として切捨てただろう。細かい経緯は知らずとも、跡部が滝を切り捨て宍戸を拾い上げたのは事実だ。だが滝がその事に対して恨み言を言った事はない。宍戸が宍戸の実力でレギュラーの座を掴み取ったのもまた一つの事実で、滝はそれをよく理解もしているからだ。そんな、我侭な子供になりきれない滝の姿に、跡部は時折自分の影が重なるようにも思える。
どうやら滝も今日は部の方に顔を出すつもりだったようで、制服姿ではなくジャージを着こんでいた。が、右手に持たれているのはテニスラケットではなく、四角い救急箱だった。誰か部員が怪我でもしたか、と推察されて跡部の眉が潜められる。
「うーんと、ね。向日が飛び跳ねて転びました。膝を擦りむいています。――ってわけ」
「・・・・・・・・・・」
にこやかに微笑みながら救急箱を指差す滝に軽い頭痛を覚えた。
ならば急いで行け・・・・と言うのも何だ。ここで慌てた所でどうというわけでもない。深刻な怪我ならば、滝とてもっと焦りを見せるであろう。だがこうして跡部の前でへらへら(と言えば当人は「やだなぁ。俺、心配で焦ってるよ?」などと、にこにこ微笑みながら言ってのけるのだろうが)しているのは、大した怪我ではないという証拠のようなものだ。調子に乗った向日がすっ転ぶ擦り傷を負った――文字通りそのままの事態なのだろう。
「―――――貸せ」
「跡部?」
「落ち着きの無い奴には、少し痛い目を見せねぇとな。俺が治療する」
「跡部が?うーん・・・・あまり、泣かさないでね?」
「奴次第だな。萩之介、お前は10分程してから・・・・鳳を連れて来い」
「鳳?新部長さんがどうかしたの?」
「部室でベソかいてやがんだよ。―――ちっと言い過ぎたか」
「言いすぎ?」
「あのロクでもねぇプレゼントだ。ったく寝起きが悪くて仕方がねぇ。今日は一日だりぃったら無かったぜ」
「ああ、アレ、かぁ。そんなに嫌かなぁ?」
「てめぇも寝起き一発でアレを聞いたら俺の気分がわかるぜ」
「あはは。それは遠慮したいかもねー。跡部の声なら気持ちよく目覚められそうだけど」
「そーかよ。だったら誕生日に贈ってやろうか?」
「いいねー。それ。楽しみだな」
「・・・・・・・・・・・・」
嫌味で言ったのだが、滝には通用しなさそうだった。返って喜ばしそうにされて毒気を抜かれる。まぁ、良く考えてみれば滝に限らずレギュラー面子も同様の反応を返しそうだが。
「―――じゃぁ、少し待って、鳳と一緒に行けばいいんだね?」
「ああ」
「宍戸だけじゃなくて、鳳は部長さんも大好きだったって事か」
「・・・・・・・・・萩之介?」
「何でもないよ。俺は何も聞いてないから。教えてくれるまでは、何も知らないから」
「・・・・・・・・そーかよ」
「そうそう」
静かに笑む滝の表情に含まれたものを、気づかぬ振りをする。この調子だと、他にも気づいている奴はいそうだな、と思いながら。
「あーっ!何で跡部がー?」
「あぁ?俺様が来ちゃ不味いってのか?」
「そっ、そんな事ねーぜっ!そ、それより、その箱って・・・・」
「てめぇの傷用だ。俺様直々に治療してやる。嬉しいだろ?」
「・・・・・・・・・・・怖っ!」
にっ、と地べたに座りこんだままの向日を見下ろしながら言い放つと、ひくりとひきつった笑みを返してきた。身体は半分逃げにかかっている。当然、ここで逃がすつもりなど、毛頭なかったが。
「おら。大人しくしてろ。――ったく、大人げねぇ奴だ。何、はしゃいでやがんだ?」
「大人げなんかあるかよ。俺、ちゅーぼーだもん」
「・・・・・・ま、そりゃそうだが」
「やった!跡部を言い負かしたぜっ!」
「言い負かされてねーよ」
得意気の向日の頭をがつんとやる代わりに、たっぷりと消毒液を傷の上に遠慮なくぶっかける。大分染みたでのであろう。向日は瞬時に「んぎゃっ!!」と盛大な悲鳴を上げた。
「―――全く。アクロバティックはてめぇの持ち味だが・・・・調子に乗りまくって怪我してりゃ世話ねぇぜ。擦り傷だけですみゃいいけどよ、もしもって事があんだろうが」
「んなヘマしねーって」
「転んだ奴が抜かす事か?」
「悪ぃ悪ぃ!」
呆れた視線を向けると、向日は手を合わせて拝むようにして謝った。気の良い奴なのだ。ちょっとばかり、調子に乗りすぎる所はあるけれども。
消毒を終えた傷にガーゼを当て、包帯を丁寧に巻く。縫ったり何のという傷ではないが、絆創膏で済ますには少し大きい傷だった。問題は無いとは思うが、もし夜熱でも出たら放置せず絶対に病院にかかれと注意しておく。
「―――なぁ、跡部」
「んだ?」
包帯を巻き終え、残りを救急箱へ片付けていると向日が呼びかけてきた。その声に振向くと、妙に神妙な顔をした向日が跡部をじっと見つめていた。
「最近さ、変に優しいのな」
「・・・・・・・・・・・・俺様は、いつでも優しかったと思うがな?」
「はっよくゆーよ!鬼部長の癖に!」
「鬼っつーのは手塚みたいな奴だろ?あいつ、何かってぇと、グラウンド走らせるらしいぜ?しかも半端じゃねぇ量」
「げーやだやだっ!俺、青学には絶対入りたくねーっ!」
「てめぇは少し走りこんだ方がいいと思うがな。だが、あいつに比べりゃ俺様は充分優しい部長だったろうが」
「変わんねーよっ!跡部は鬼!鬼部長っ!」
「んだとっ?!」
「へっへーっだっ!」
治療を終えたばかりだというのに、向日はぴょんと起き上がると、ぱっと走り去っていった。
「―――ったく。また転ぶんじゃねーぞ!」
小さくなっていく背に、跡部はそう声を投げた。