11.次は榊監督(43)の音楽の授業です。
「さてお待ちかね。『次は榊監督(43)の音楽の授業です』、やで〜」
「‥‥‥・・待ってねぇよ」
チャイムが鳴るなり跡部の横に立った忍足が胸に手を当て歌うように放った言葉に跡部がむっつりと返す。
「いややわ〜。部長さん、その仏頂面改めな繊細なタロちゃん泣くで〜」
「泣くわきゃんねぇだろ。あの監督だぜ?それと『部長』言うな。嫌味かてめぇ」
忍足の言葉に跡部は嫌そ〜うに顔を顰める。榊太郎。道を歩けばホストと間違われる――もしくはイタリア辺りの筋者か――これは教育者としてはいかがでアレでナニはなかろうか―?な外観を貫く多分恐らくハイソな洒落者。果てしなく青春真っ盛りのテニスコートに、これまた果てしなく似合わぬ今ひとつ自信は無いが一応一音楽教師。当年もって43歳。
張り付いた能面ヅラというか、僅かなりとも表情を崩す事を見た事がない氷帝テニス部部員200余名。(ほぼ全員と言う)
「跡部、冷たいわ―。あないにタロちゃんに愛されとんのに」
「あぁ?」
それでなくともうざったそうに聞いていた跡部の声が地の底を這う。はっきりいってその手の冗談は跡部には禁止ワードである。
跡部の容姿が容姿であるので、――その実力に関しては疑う余地など何処にも無いのだが、誹謗中傷の類というものは真実がいかなるものであろうと関係ない――中等部に入学した当初から囁き続かれてきた噂であった。
幾ら実力主義とはいえ、跡部が入学するまではここ中等部のテニス部において一年生部員が頭角を現すなど今までに無かった事であった。
ある程度身体の出来上がった高校生ならばともかく、小学校から上がったばかりの一年生と、めきめきと成長期を生育した三年生とでは時に大人と子供ぐらいの体格差があったりする。
そしてまた跡部の容姿というものがその当時は正に少女と見紛うばかりに華奢としか言いようがなくて、中には男装をした女生徒と勘違いした奴も居たぐらいだ。
そんな突付けば転んでしまいそうな可愛らしい容貌の少年が、ラケットを握れば体力自慢の三年生すら吹き飛ばすようなパワフルなサーブを放つ事にはテニス部部員達は驚愕に目を見開いたものだ。夏を過ぎる頃には身長も入学当初よりもぐんと伸び、その不遜な性格を隠す事もないという事もあって跡部を女子生徒と間違えるような輩は存在しなくなっていたのだが、悪意と共に噂の類は横行した。
それには監督である榊が部において、または授業においても跡部を高く評価した事が大きな要因ともなっている。榊の身において考えてみれば理由はきちんと出揃っている。
跡部のテニスの実力に関しては見る者が見れば一目でわかるものである。まだ体格的な所もあって発展途上な面はあるが、体が作られれば氷帝テニス部どころか全国に名を轟かせるであろう事は疑う余地もなかった。そんな逸材を目にして、指導者である榊が目にかけぬわけがない。この先の氷帝テニス部は跡部と共にあると榊は早くから予感を得ていた。
また学業においても新入生総代を務める程であった跡部の成績は常にトップを譲らない文句の一つもつけられないものであったし、芸術面に力を入れている氷帝学園に相応しく、音楽・美術その他の方面に対して造詣も深い。
幼少時から本物の芸術に慣れ親しんできたという事もあって、跡部の感性は大変優れたものであった。
コンクールにこそ参加した事はないものの、内輪でだが時折リサイタルを開く程のピアノの技術は、時に榊がつい誘惑にかられてテニスよりもそちらの方面の才能を伸ばしたくなる程であった。跡部は音に情感を込める事を知っている、ソリストとしても評価できるような逸材であるのだ。
だが、跡部の最も適した才はテニスという球技の上に成り立っていると榊もよくわかっているので、その件では少しばかり残念に思う程度に済ましている。が、やはり優れた音楽を聴きたいという欲求は抑え切れるものでもなく、榊は授業の合間、ふと空いた時間をもって跡部に数曲弾かせる事が何度かあった。これはひとつの職権濫用である。
教師の命令ともなると、余程理不尽な事でない限り跡部は逆らう事が殆どない。何のかんのいって優等生であるのだ。
そんな跡部の音楽の成績は他の教科同様、最高点より下を取った事がない。客観的な目で見れば、音楽の才にも溢れ、どんな楽器も器用以上にこなし、また音楽史に関してもいっぱしの専門家なみの知識を持ち、また授業中に寝るとかいった不真面目な態度を取る事もない跡部が良い点を取るのは至極当然な事である。
が、そこに榊の跡部を重宝するような態度と、長じてもやはり人目を惹かずにはいられない跡部の美麗な容貌も相まって、下世話な噂は密やかなれども絶える事はないのだった。
「おわ。跡部、凶悪やで?その眼光」
「――てめぇがそうさせてんだろ?」
「はぁ。すんません。冗談ですわ。あんなあ、今更やろ?本気でそないな事口にせんで?」
「冗談でも言っていい事と悪ぃ事があんだよ。大体、監督の外見がアレだから問題なんだ」
「そらどっちもどっちやと」
「あぁーん?な・に・か・言・っ・た・か・?・忍・足・侑・士・?」
「―――えろうすんまへん‥・・」
芸術的なまでに凄みを増した跡部の笑みを前に、忍足は誠心誠意をもって土下座をして謝罪を入れる。
これもまた、氷帝学園の一角においては日常的な風景であったりするのだった。