6.あ、消しゴムがペンケースに入っていませんけど。
三年の教室まで送ろうとする樺地を下がらせて、学年の境目である廊下で別れる。
学園内で知らぬ人とて居ない跡部なので、周囲の視線は跡部の進む方向へと流れる。常に注目されるという状態は神経を使う。気を緩める事ができない。
が、そんな状況を難なく受け入れ、また必要に応じて受け流し、かつ無視できるのが跡部景吾という男であった。
重すぎる期待も、無意味な程の熱視線も、鬱陶しい嫉妬心も、跡部が跡部である限り全て切り離せぬものだ。
例え『勝って当然』のテニス部が、関東大会緒戦にて敗北を喫したとしても、跡部に対する評価が下がる事には至らなかった。
勿論日頃から羨みを超えて妬みや謗りを影から向けて来た者達はここぞとばかりに「大した事ねーよな、テニス部」
と攻撃してきたが、跡部のこれ以上ない程の冷笑を受け、気を呑まれて続きを口にできない様は格の違いを見せ付けた。
これまでテニス部を率いてきた責任上、跡部は矢面に立つ事を当然と思っている。例えあの試合において――頂上決戦と言われた青学の手塚との試合において、接戦の末に跡部が勝利を収めたのだとしても、敗退は控えであった日吉が青学の越前に敗れたのが理由だとしても、それを日吉一人の責任にするような跡部ではない。
それを言うならば、それ以前の試合で決着が着いていなければならなかったのだから。
「下克上」が口癖の、向こう気の強い後輩の顔を思い浮かべる。最後の息の根を止める事となってしまった日吉はチームメイトと監督に囲まれた時、日頃の不遜な態度が嘘のように盛大に泣いた。むしろ日頃感情豊かな岳人の方が冷静であったと言える。
そういえば鳳の奴も泣いていたな、と思い出す。泣いて悔しがり、そして立ち上がれば良い。奴等には次がある。
僅かに沸いた羨望の想いを、跡部は軽く目を瞑る事でやり過ごした。
「――とっ」
「あ!」
衝撃を受けてバランスを崩す。突然曲がり角から飛び出してきた人物を避け切れなかった為だ。転ぶという無様な真似は避ける事が出来たが、勢い鞄を取り落としてしまう。
その際、たまたま鞄を開けていた為、中身の一部を廊下にぶちまけてしまった。カシャーンと、軽い音を立ててペンケースが転がる。
「す、すみませんっ!」
「何処見てんだ?あーん?」
「ち、ちょっと考え事していまして。本当すみません、跡部部長」
「もう部長じゃねぇっての。んなキノコ頭してっから前が見えないんじゃねぇの?」
「――髪型は関係ないでしょう。・・・・拾います」
「当然だろ」
文句を言いつつも、日吉はぶちまけてしまった跡部の荷物を拾いにかかった。
廊下の端まで転がっていったペンを拾い、ケースに収めた日吉は「これで揃っていますか?」と跡部の前に確認しに来た。
「それで全部だ」
「そうですか。――あ、消しゴムがペンケースに入っていませんけど」
幾分ほっとした表情でケースを閉じようとしていた日吉がふと気づいたかのように問いかけてくる。
「俺様には必要ねぇ」
「さすがですね。跡部部長には間違いがないと?」
「嫌味言うんじゃねぇよ。冗談に決まってんだろーが。ついでに部長じゃねぇって何度言ったら覚えるんだ?このキノコ頭は」
「・・・・ですから髪型は関係ありません」
「ふん。いっその事刈り上げてさっぱりしろよ。男前上がんぜ?しかし消しゴム?使わねぇから気にしてなかったが、入れてはおいた筈だな・・?ああ、一昨日だか忍足の奴に貸してそれっきりだったか?あのヤロウ借りた物は返すって事も知らねぇのか?」
「――――すね」
「あぁ?」
「跡部部長は、やはり過ちを犯さないんですね」
「んなわけあるか。ばーか」
ひっそりと寂し気な笑みを浮かべる日吉を、跡部は鼻で笑ってあしらった。
こいつ、何度言っても直さねぇなぁ、いや直す気ねぇのか?と繰り返される『部長』の呼び名に呆れる思いを抱きつつ、世話の焼ける奴だぜ‥とくすぐったくも思った。