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記憶 |
「――景ちゃん、駄目よ」
「・・・・・・」
ふわりと頭に乗せられたタオルから香るのは太陽の匂い。はっと意識を引き戻すと微笑の中に少し悲しげな色を浮かべた彩菜の姿があった。
考えごとをしていたせいで意識がどこかに飛んでいたらしい。見れば足下にはポタポタと滴り落ちた水滴が溜まっている。
「すみません」
慌ててタオルを掴み床を拭き取ろうとした手は、柔らかな、けれども反論を許さぬ細い手により止められる。
「床なんて後で拭けば良いのよ。それより濡れた頭のままでは風邪を引いてしまうわ。ちゃんと乾かしていらっしゃい」
「・・・・・・彩菜さん」
「さ、向こうへ行って。温かいお茶を入れてあげるわ」
背を押され、壁際のソファへ押しやられる。
基本、純和風の手塚家だが、ちょっとした洋風家具ぐらいならばないわけでもなかった。そういえばさっきもこうやって風呂へ押し込まれたんだよな、と大人しくソファに腰掛けながら思い出していた。
ここに来る途中、突然の雨に降られた。傘の用意をしていなかった為、辿りついた時にはびしょ濡れで。こんな姿で訪問するわけにもとためらったが、踵を返す前に扉を引かれた。彩菜さんの第六感というのもなかなか侮れない。
かしかしと、乱雑に頭を拭い水気を吸い取る。時に羨ましがられる事もある髪質だが、特別手入れをしているといいわけでもない。むしろ無造作に放置している事の方が多かった。その話をした時、親の敵でも見るかのような視線で滝や宍戸、あと向日に睨まれた。以前は宍戸も髪の手入れにやたらとこだわっていたものだ。今となっては石鹸で洗う事もあるらしいので跡部よりひどいかもしれないが。
「――跡部、良いか?」
「ああ。帰っていたのかよ」
「今さっきな」
「・・・・濡れてねぇな」
「止んでいた」
「ち、タイミング悪ぃ。雨宿りしてくりゃ良かったぜ」
「そういう日もあるさ。今日は泊まっていくんだろう?」
「何故そうなる」
「濡れた衣服では帰れまい」
あっさり言い切る手塚に、反論が口をつく。確かに、1時間やそこらで乾くものではないだろう。そして濡れた服を再び着る気にはなれない。だが、今までにも手塚の服を借りた事はあった。幸いといって良いのか、二人の体型にそう大きな差はなかったので、問題はない。
「・・・・・・・・てめーが貸してくれりゃあ済む話だが」
「ああ。貸せるのは寝間着ぐらいだな。母のワンピースならば借りてきてもいいが?」
「着れるわけねーだろっ!体型考えやがれっ!!」
「そうか。残念だ」
心底残念そうに言ってくれるので呆れてしまう。そんなに自分の笑える女装が見たかったのかと。手塚の事であるので、何やらいろいろストレスを抱え込んでいるのかもしれない。
「・・・・・・・・」
「跡部」
「んだよ」
「首筋に水が垂れている」
「っ!」
すいと延びてきた手にびくりと体が震える。
不意の接触は苦手だ。どこか落ち着かない気分になる。ジローや氷帝の仲間達は別だが、これだけ付き合いの長くもなった手塚でも一瞬体が強張ってしまう。随分慣れたと思ったのだが・・・・咄嗟の反応まではどうにもならなかったらしい。
「・・・・・・くすぐってぇんだよ」
「そうか」
言い訳のようになってしまったが、手塚は敢えて追及してこなかった。何も言わずに、止めた手をそのまま引っ込める。何となく気まずくなって、「居間に行く」と言葉を残して、手塚に背を向けた。
夕食後、跡部が手塚の部屋へと向かった後を追おうとしたところで、手塚は母の視線に気づいた。
「・・・・・どうかしましたか?」
「何か今日はね、景ちゃんがうちへ来たばかりの頃の事を思い出したわ」
「・・・・・・・・・・」
「今日ね、景ちゃんが髪を濡らしたまま出てきたから、タオルで拭いてあげようとしたの。・・・・・・どうして、あんな風に泣きそうな顔をしているのかしら」
「・・・・・・・・・・」
「あの時も、とても驚いた顔をしたの。あんまり可愛かったから、頭を撫でてしまったのだけど」
「・・・・・・・・・・」
「―――抱きしめて、あげなかったのかしら」
悲しそうな表情の母は、跡部にとても好意を抱いている。それこそ、もう一人の息子とまで思っているかもしれない。もっと前に会って、思い切り可愛がりたかったわ・・・・そんな事を言った事もあった。
「――今からでも、遅くはないと思いますよ」
「国光?」
「跡部は・・・・お母さんの事を好いているようですから、照れはするでしょうが・・・・喜ぶと思います」
「・・・・・なら、思い切り可愛がってしまって、良いのかしら?」
「良いのではないでしょうか」
「ふふ。国光が嫉妬しないぐらいに、可愛がるわね」
「・・・・・・・・・・」
それはどちらに対してですか?と言わずもがなな事は口に出さずにおいた。所詮母にはかなわない。その事を、跡部にも知って貰うのも良いかもしれないな・・・・そんな風に考えながら、階段を一歩一歩昇っていった。
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