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輝ける |
板張りの床に直に坐る。
肌に触れる粗目の生地が不思議と心地良かった。
剥き出しになった素肌に触れる床のひんやりとした感触。ふぅと息を吐き両手を中央へ軽く添えた。
しんと静まり返った道場の中で跡部は一人瞑目する。手塚の祖父である国一に頼み、少しの間一人で貸切状態にして貰った。
こういう場合、正座の方が正しいのかもしれないが、幼い頃よりその習慣はないので足が持ちそうにない。
それにどちらかといえば瞑想のようなものなので、これで良しという所だろう。正式な作法の類はどうでも良い。ただ静かに考える時間が欲しかっただけだ。
少し汗を流さないかと誘われて、柔道をやる羽目となった。全く初めてというわけではないけれど、周りに比べれば完全な初心者なわけで、面白いように転がされる。
受身の取り方が筋が良いと褒められて、近くに居た人が頷いてもいたので世辞というわけでもないらしい。
本気でやってみればいい所にいくよ、と誘われたがその気はないので首を振った。簡単な護身術は習っている。喧嘩の類も実践を重ねた。これ以上は必要ない。何より汗を掻くならやはりテニスに関わる事であった方が良いと再確認した。
息は落ち着き汗も引いた。閉じた目の奥に浮かんでくるのは取りとめの無い事ばかり。
本当に何でもない日常が、仲間達とのやりとりが、不思議と眩しく輝かしい。手を延ばせばすぐに触れられる、ごくごく身近な日常である筈なのに。
忙しない日常がこうも愛おしくなるとは・・・・・思ってもみなかった事だ。
ほんの少しばかり彼等を距離を置いた時。真っ先に突っかかってくるかと思った奴は何も言ってこなかった。
いつもまとわりつくように甘えてきた奴は、近頃では近づいてくる事もない。けれども以前よりも眠りにつく姿が増えた気がする。目の端にみかける際、目覚めている事が皆無といって良い程に、眠りの世界の住人だ。
穏やかな微笑みを称えて、さり気なく助け手を差し伸べてきてくれた奴は、敢えてこちらを見ないように過ごしている。突き放した甘やかし方だ。多分こちらが呼びかければ、以前と全く変わりない優し気な微笑をもって、何事もなかったかのように今まで通りに応じてくれるのだろう。
一人だけ、わかりやすい奴もいる。目が合えば怒ったようにぷいと顔を逸らす。いや実際怒っているんだろう。けれども向こうからは寄ってこない。意地というよりは、それがあいつらの中で協定になっているのかもしれない。
特別な変化もなく話しかけてくる奴も居る。ただし、こちらの応対は素っ気無い程に素っ気無い。それを気にした風もなく、けれども以前の気安さだけは省き、よくあるクラスメイトのように話しかけては去っていく。
伸ばせば届く彼等の輪の中へ。けれどもまだ戻る気にはなれない。何れまた離れなければならないのならば、今がそうであっても良いのではないかと思う。ほんの少しだけ、その時が早まったという事だ。
逃げるわけではないけれど。
その心地良さが離れ難くて。
何も問われないからここにいる。
突き放される事がないからここにいる。
やはりこれは逃げなのだろうか。
自分はけして一人ではないと知っていた。
教えてくれた奴等が居たから知っていた。
けれども今自分はその全てに背を向けて、安穏な場に一人佇んでいる。
ここはあまりに居心地が良くて。跡部景吾の名から解放たれる。
優しさに甘えてしまうのも・・・・今この時だけならば良いのではないだろうか。
ああ、わかっている。
ただ決断を先延ばしにしているだけだ。
それが一ヶ月先か、一年、二年先か。その程度の差でしかない。
決断する事は息をするよりも簡単な事であった筈なのに。
迷いを捨て去る事など容易な事であった筈なのに。
こうしていれば自分が何を欲しているのかまるわかりになってしまう。
剥き出しの自分が何を求めているのか、曝け出されてしまう。
あの――――輝ける時間が欲しいのだ。
例え制限付きであったとしても―――欲しいのだ。
「・・・・・・・・・まだまだだな」
目を開けば、映るのは道場の壁。
誰も居ない空間が心地良くも人寂しい。
こんな自分はまだ見せられない。彼等の前で揺ぎ無く立つ為にはもう少しの時間が必要だ。
「・・・・・・やるか」
立ち上がり、足を伸ばす。
だだっぴろい道場内を、これから一人で磨き上げなければならない。それがここを借りる為の条件だった。
こんな姿をあいつらが見たら笑うだろうか。ああ、笑うだろう。
そうして誰も、手伝おうとはしないのだ。いや辛うじて、萩之介あたりならば手助けしてくれるだろうか。その内、我慢のならなくなった宍戸が口と一緒に手を出してくる。そして、やはりジローは手伝おうとはしても、結局寝たままだろう。向日は絶対やらねーと喚きつつも、面倒そうに忍足が動き出せば吊られるだろう。
く、と彼等の顔を思い起こすだけで笑みが浮かんできた。
「・・・・・・・・始めるぞ」
「は?」
扉を開けると、バケツに水を汲み雑巾を手に持った準備万端の手塚の姿。
着替えてとうに帰った筈なのに一体どうして此処にいるのか。
「何してやがる?」
「二人の方が早い」
「手伝った欲しいなんざ言ってねぇぜ」
「俺が勝手にやる事だ。気にするな」
「単に迷惑だと言っているんだが?」
「そうか。それは悪かった」
「・・・・・・・・・・・」
詫びの言葉を発しつつも、手塚は手早く床を拭き進めていく。中央まで進んで行き、一瞬ちらりとこちらを振り返った視線は「何を愚図愚図している?」と言わんばかりであった。
ちっと舌打ちすると、仕方なしにこちらも始める。ここで口論するだけ無駄でしかないからだ。
その後は二人会話もなく、道場内の掃除を進めていった。
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