悲しくて残酷な
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「―――あれ?」
「・・・・・・・・お前は・・・・氷帝の・・・・」
 
 言いかけ、一瞬言葉が止まる。
 見覚えのある顔。けれども言葉を交わした事は一度もない。手塚から見ても繊細な風貌の彼は、汗臭さとか泥臭さから無縁の存在のように見えた。
 そういう印象を他者に与える人物を、手塚はもう一人知っている。それは、この目の前の人物と確か近しい関係にある筈の、氷帝の、部長。手塚にとって無二の存在である、跡部景吾その人だった。
 滝の事は直接話を聞いたわけではない。だが、時折試合会場で跡部の傍らに寄り添うように坐る姿を見た事があった。跡部の表情は幾分柔らかく、相手もまた親しさが見えるような、そんな雰囲気が遠方からも見て取れる。
 
「―――滝、だったか」
「正解。俺の名前なんか知らないかと思ってたけど」
「・・・・対戦相手の事はある程度下調べする。関東大会では鳳と出てくると思っていたしな」
「あはは、それって嫌味?やるねー」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
 嫌味のつもりなどなかったのだが、聞きようにとっては相手に酷く不快感を抱かせる言葉であったかもしれないと思い直す。レギュラーを取れるか、逃すかは本人の実力次第だ。けれども、出会い頭に「お前はレギュラー落ちした」などと言われて、楽しく思う者は居ないだろう。だが滝は柔らかく微笑みながら、手塚に対して怒りの類の感情を向けてはこない。氷帝も大概曲者揃いだ、と、常に微笑みを浮かべながら、真実は笑っていないのではないかと思えるチームメイトの顔を何故だか思い出した。
「すまない」
「そこで謝られる方が却って傷つくかもねー」
「そ、そうか。すまない」
「・・・・・ぷっ、青学のカリスマ部長は結構面白いね。跡部が気に入るのもわからなくはないかな」
「・・・・・・・・・・・・」
 言葉は相変わらず穏やかなままだった。表情も微笑みをたたえたままだ。けれども、どこかひやりとしたものを手塚は感じ取る。
 滝は手塚を見ている。じっと、反面を覆い隠す髪の隙間から、探るように、見透かすように、こちらを見ていた。
 それは、挑戦的とすら、言える目つきであったかもしれない。
「・・・・・・俺は、やはり怒らせてしまったのだろうか」
「そういう意味じゃないんだけど。居心地悪い?」
「多少」
 正直に言うと、滝は一瞬目を丸くし、次にぷっと噴出した。くくくと肩を震わせて笑う様からは、先ほど感じたものが勘違いであったかのようだ。だが、手塚は自分の勘が間違いとも思えなかった。
「跡部さぁ、よく怒るでしょ?」
「・・・・・・・・まぁ」
 脈絡のない話の飛び方であったが、律儀に答える。はぐらかしているというわけではないのだろう。こうして横方向から、斜めの方向から、真実に迫ってくるような、そんな気がした。
「手塚相手だと、跡部の性格上、腹立って仕方がないだろうねー」
「・・・・・・・・・・・」
 否定はできない。実際、手塚は無意識のうちに跡部を怒らせる事が多いし、3度に1度ぐらいは喧嘩別れしている。・・・・・・いや、それはさすがに多いだろうから、5度に1度ぐらいという事にしておきたい。
 とはいえ、その喧嘩が長引く事は殆どない。跡部の方が、衝突などまるっきり忘れたかのように数日後には顔を出すからだ。本気で忘れているという事ではないのだろう。手塚も跡部も頑固であって、互いに譲らない面がある。決定的な事態となる前に、跡部は自らが折れるのではなく、水に流すといった手法をとる事にしたようだった。手塚としては、跡部と長く険悪な雰囲気を持ちたいわけではないので、その選択に甘えさせてもらっている。最も、本気で怒らせてしまった際には、誠心誠意謝り倒すつもりではあるが。
「正直なところ、跡部の隣に長くはいて欲しくない」
「・・・・・・本当に正直だな」
「こんな機会は二度とないかもだからね。言える時に言っておかないと」
「一つ聞くが、それは氷帝側の総意ととって良いのだろうか」
「そうだと言ったら?」
 どうする?と、問う瞳に返す答えなどひとつだけだ。
「奪い取るまでだ」
「・・・・・・・言ってくれる」
「ここが勝負どころなのだろう?」
「何の事だか」
 真っ直ぐに見据える手塚に向いた顔は、もう笑ってはいなかった。
「俺達は、ね、いつも・・・・跡部を見ている。その背中を、横顔を、差し出す手を、指し示す方向を、いつだって見てきた。跡部に向けられる目もね、いつも注意している」
「だから、か」
「何が?」
「跡部へと向ける感情に敏感という事なのだろう?」
「・・・・・・・・・・・手塚って、もっと鈍い奴だと思っていたけれど」
「期待に添えなくてすまない」
「本当にね・・・・憎ったらしいよ」
「理不尽だとは思うが、謝罪しておこう」
「心無い謝罪なんかいらないね」
「受け取るだけ受取っておいてくれ」
 拒否を受け流し、再度押し付ける。氷帝の彼等に嫌われたいわけではないのだ。彼等は、跡部を――そして跡部も、彼等を――とても大事に―――しているのだから。
「あーあ、全く、もう」
「・・・・・・・・・」
 くるりと背を向けた滝の背が丸まっているように見えた。実際は、とても真っ直ぐな、綺麗な姿勢をしていたのだけれど。
「跡部はさ、優しいんだよね。ものすごく優しくて・・・・・・厳しい。飾り立てない言葉を、残酷なぐらい真っ直ぐに突きつけるんだ。都大会の後、跡部は宍戸を炊き付けた。その後、この俺に宍戸と対戦するように言うんだよね」
「・・・・・・・・」
「その時の跡部の目を見れば、跡部の意思なんて解る。跡部はすでに決めていた。宍戸と俺を天秤にかけて――宍戸を選んだ。その癖、『宍戸と試合をやれ』だよ?酷い奴だと思わない?」
「・・・・・・そうだな」
「悲しかったなぁ。俺もこれでも、真剣にテニスをやってきたからね。氷帝でレギュラーの座を掴み取るのは簡単な事じゃない。しかも、最後の大会。これを終えたら引退というところで、引きずり降ろされた」
「――宍戸を恨んだか?」
「恨まないよ」
「――跡部を恨んだか?」
「恨まないよ」
 滝の返答には、一瞬の迷いすらなかった。背を向けている。表情は見えない。けれども、滝が嘘をついていないことだけは、断言できる。
「残酷なんだよねー。本当跡部は・・・・・・・・・・・優しいから」
「・・・・・・・・・・」
「――――俺達の跡部を、傷つける存在は赦せない」
「傷つけはしない」
 きっぱりと言い切る。それだけは、天地天命に誓って言い切れると思っている。
「手塚の存在自体が傷つけると思うんだけどねー」
「気のせいだ」
「あっは、自信家なんだ」
「・・・・・・・・・・・・」
 ふいに振向いてきた滝の顔は、笑っていた。先ほどまでの笑みではなく、本当に手塚に向けられた笑みだ。
「跡部を、支える気?」
「そのつもりだ」
「跡部は重いよ?」
「承知の上だ」
「なるほど、覚悟は決めているってね。―――覚悟だけで、どうにかなるものでもないけど?」
「油断は・・・・・・いや。見くびらないで欲しい」
「――――へぇ、本気って事かな。――――やるねー」
「・・・・・・・・・・・・」
 譲れぬ意志をこめて見据えると、滝はばいばいとでも言うように手を振って、手塚を置いて立去った。
 滝は答えを残さなかった。手塚をどう判断したのかは、わからない。だが恐らくは―――
 
 
「処分保留、というところか。だが・・・・・・お前達に許可を取るつもりはない」
 
 
 すでにその姿も消えた道を見据え、その先に氷帝学園の見知った顔を思い浮かべ、手塚は一人小さく呟いた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 2006.10.21
 
 滝&手塚。跡部の出てない塚跡。
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