等価交換
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 惜しみない無償の愛なるものは、一体どこで尽きるのだろうか。
 好意は見返りを返して向けるものではない。
 それは、わかる。
 何事においても打算が働くようでは、それこそ寂しい事だと思う。
 けれども、ある程度は報われたいと思うのは、人として陶然の欲求ではなかろうか。
 
 
 
「察するに、
部長職に疲れた、と?」
「別にそうは言っていない」
 手塚がぶっきらぼうに返すと、ははんと笑う跡部。
「てめーが腐る理由なんざ、それ以外にゃねーだろうが」
「・・・・・・そんな事は、ない」
「ねぇ」
「・・・・・・そうか?」
「ああ」
「・・・・・・そうなのか」
 きっぱりと言い切られてしまうと、確かにその通りだと納得するしかなかった。
 手塚は幼い頃から、同年代の中では落ち着いていたし、大人が信頼し、安心できるまさに優等生の典型といった印象が強い。だから、何か行事があれば、大抵場合は班長などに選ばれるし、クラス換えでもあれば、教師の視線は手塚に向いて「委員長は手塚で良いな」などと任命してくれるのだ。
 信頼されるのに悪い気持ちはない。責任感も人一倍強い。また、決めかねて無駄に騒がしい時間を過ごすよりは自分が引き受けた方が早いという面もある。
 だから、頼まれて手塚が断った事はない。自らが率先して代表になりたいと思った事は一度もないが、大抵の場合その座に手塚は押し上げられて現在に至る。
 そういった状況は、跡部もまた同じだろう。この華やかな存在には自然と人の目が向くのだ。時に傲慢なまでの態度は、反感を買う事も多いだろうが、それを凌駕する圧倒的な存在感は、けして無視できるものではないだろう。
「――――跡部は、苦痛を感じた事はないのか?」
「ねぇな」
「そうか。さすがだな」
 逡巡もなく、あっさり言い切る跡部には感嘆するしかない。跡部の立場は複雑だ。手塚のそれより余程、周囲を取り巻く圧迫感と枷は多いだろう。それでも跡部は、どうという事はない顔で、完璧にやり通すのだ。
「別にな、苦労がないわけじゃねぇ。そりゃ、色々あるぜ。ふざけるなっ!と思う事だって腐る程にある。だが、ま、一番はアレだな。
、だ」
「―――――愛?」
 奇妙な言葉を聞いたかのように、手塚の眉が上がる。
「馬鹿な奴程、可愛いってな。俺様にゃ、奴等が可愛くて仕方がねぇんだよ」
「・・・・・・・・・・・・」
 ふっと浮かんだ柔らかな笑みは、どこか手塚の記憶を刺激するものだった。どこかで見た事のあるような・・・・・・と、記憶を掘り起こすと、静謐な空気の中で見上げた、静かで穏やかな笑みを称えた像の姿が思い浮かんだ。聖母マリア像。慈しみを称えたその表情が、今の跡部の笑みと重なった。
 これ程までに跡部からかけ離れた連想はないのではないだろうか、と否定しかけて、更にその否定を否定する。跡部は確かに部員達を慈しんでいるのだ。あの200名という膨大な数の部員達を、一人一人覚えているという。
 時に厳しく突き放し、時に優しく包み込む。跡部は確かに愛なる感情を彼等に抱いているのだろう。それは何処か母性愛に通じるものがあるような気がした。
「見返りを求めるだけ無駄だぜ?部長なんざ、憎まれてナンボだろ?レギュラー取れなかった奴の中には、自分の才能をちゃんと認めてくれていないと、逆恨みする奴だっている。才能を羨むのを超え、嫉みから憎悪を抱く奴もいる。そうかと思えば、自分一人の力で勝ち上がってきたように、天狗に思う奴も居る」
「確かに、そういう事もある」
「尊敬とか憧憬とかが、欲しいわけじゃねぇんだろ?」
「ああ。違う、な」
「親になった気で、どっしり構えるんだな。彩菜さんや、国晴さんを見てみろよ。てめーが何をしでかしたって、全く揺るぎゃしねぇだろ?」
「・・・・・・この年で、あれだけの子持ちとなるのか」
 思わずはぁと溜息が漏れる。確かに手塚は年齢より上に見られる事が多く、下手をすれば社会人にも見られたりするが・・・・それでも、チームメイト達を子供と思い切るには、まだ多少のひっかかりが残らないでもなかった。
「一年前の先輩方も、同じ気分だっただろうぜ」
「それは、ないな」
「あぁん?」
「俺は、可愛げの無い下級生だったから・・・・な。それに、上級生もあまり質の良い奴等ではなかった」
 痛む筈のない肘がぴりと痛みを発したような気がして、手塚は無意識に肘のあたりをさすった。
「ま、そりゃそうかもな。可愛気のある手塚国光なんざ、想像すらできねぇ」
「・・・・・・・・言ってくれるな。そういうお前とて、似たようなものではないのか?」
 手塚の目が暗く沈んだのを、跡部が見過ごすわけはない。そういう感情の機微に、驚く程に跡部は聡い。だが、全く気づかなかったかのように軽口で流す跡部に、手塚はほっとしながら心の中で感謝した。
「はっ!一緒にすんじゃねぇよ。卒業式の日なんざな、男泣きの先輩達に囲まれてよ、どっちが卒業すんだかわかんねぇ状況だったぜ?」
「それは、壮観だな」
「ああ。今でも語り草だ。ま、次は次で俺様を送る涙の海になるんだろうがな」
「・・・・・・・一体どこからその自信が溢れてくるのか、いっそ尊敬する」
「ありがとよ」
「・・・・・・・・」
 褒めていない、と否定もしたかったが、実際その光景が目に浮かぶようであるし、跡部が言う上級生達の卒業の際の光景も全く誇張など入っていないのだろう。全く、その正確を考えれば不思議な程に、跡部という男は好かれる奴なのだ。
「愛、か」
「手塚よ、不満そうだな」
「そういうわけではない。いや、そうなのかもしれないな。こちらが向ける分だけ、いや等分ではなくとも、ある程度は返ってきて欲しいと願ってしまうのは、欲深いという事か」
「そうとも言えるし、違うとも言える」
「跡部?」
「思うだけなら、いーんじゃねぇ。ま、当然の欲求として。だが、期待はするな。裏切られっから」
「・・・・・・・・・・・フォローも何もないな」
「仕方ねぇって。こいつばかりは等価交換ってわけにゃいかねぇ。むしろ掛け捨てだ。諦めろ」
「・・・・・・・諦め、か。仕方ない・・・・そうなのかもしれないな。しかし、別の方面では、回収を逃したくはないな」
「何か言ったか?」
 最後の方はぶつぶつと、殆ど声になっていないような呟きだった為、跡部の耳は聞き取れなかったようだ。
「いや。何でもない。―――跡部。以後、よろしく頼む」
「・・・・・・んだかわかんねーけど。おう、と言っとくか。油断せずにいってやるぜ」
「期待している」
 
 微妙にずれた応答ではあったが、手塚は特にそれを正そうとは思わなかった。
 鬱に入りかけた気分はすでに晴れ、悩むのも馬鹿らしくなってきていたから、これで良いか・・・・などと思えるのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 2006.10.14
 
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