光る
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「――――あら」
「どうかしましたか?」
 
 季節の入れ替え作業の手を止め、楽し気な声を上げた母に手塚は怪訝気に声をかける。実の所、あまり気は乗らなかったのだが。こういう時の予感というものは不思議とあたるもので、手塚は何とも言えぬ嫌な予感を鳩尾のあたりに感じていた。
 
「ふふ、懐かしいものがでてきたの」
「・・・・・・・・」
 母の手にあるのは一枚の古ぼけた写真。それも手塚にしてみれば、できれば――どころか埋もれたままに、生涯探し当てずにいて欲しかった類いの代物である。
「こうして見ると国光もちゃんと子供だったのね」
「・・・・・・そうですか」
 
 母親の、受け取りようによってはひどい言葉にも苦情の類は訴えない。それよりもいかにしてその写真を取り上げようかという方が重要で、脳内では思考張り巡らせていたのだ。
 思春期真っ盛りの青少年(例え見かけがそう見られなくとも)としては、幼少時の――しかも大泣きしている姿を写した写真など、生涯の汚点でしかない。
 だが、そんな一人息子の複雑な感情を気付いているのかいないのか。手塚の母親である彩菜は、にこにこと楽し気な微笑みを浮かべながら追想していた。
 
「この時は・・・・そうね。国光は珍しく朝から上機嫌だったの。朝食の時もそわそわとして、今にも駆け出しそうだったわ。食べ終わったらすぐに家を飛び出していったりしてね。だけど真っ暗になってから帰ってきたら、今度はいきなり外より暗い顔になっていてね、玄関で出迎えた途端に大泣きしたのよ」
「記憶にありません」
 嘘や誤魔化しではなく、真実手塚の脳裏からそんな記憶はすっぽり抜け落ちていた。
「まだ小さかったもの。その次の日だったかしら?国光が「テニスをやりたい」と言い出したのは」
「そのことは覚えています」
「あらそう?うふふ、初めての我侭だったものね。お義父さまがいくら「許さない」と言っても、絶対にあきらめなかったわね」
「―――テニスが、やりたかったんです」
 
 その時の事は手塚は本当に覚えていた。
 恐ろしい顔をした祖父に、絶対に負けるものかと真っ向からぶつかったのだ。それまで手塚は祖父に対して逆らった事などなかった。厳格なところあるけれども、理不尽な事など言わない人であったので、それは全くおかしい事などではなかった。けれども、この時ばかりは手塚も譲れなかったのだ。長い対峙の後に、とうとう祖父も根負けし、孫がテニスをやる事を許してくれた。
 
 そういえば・・・・と思いだす。その時、手塚は御守りのように、ぎゅっとテニスボールを握り締めていたのだ。
 どこで拾ったのか、また誰かから貰ったのかは全く覚えていないけれど、その球があったからこそ、手塚は自分の意思を押し通す事ができたのだった。
 あれはどこにしまったのだろう・・・・?と、記憶をゆっくり掘り起こしていると、気もそぞろな息子の様子を別の意味に誤解した彩菜が「もう、部屋に行って良いわよ。そろそろ景ちゃんが来るから気になってしかたないのでしょう?」と開放してくれた。
 誤解ではあったのだが有り難い申し出でもあるので、手塚は誤解は解かずにそのまま自分の部屋に戻った。跡部が来るまでに例のテニスボールを探してみようかと、階段を昇りながら自分そういう物を仕舞いこみそうな場所を思い出していた。
 
 
 
 
 
 
 
 
「――どうして国光くんを仲間外れにするの?」
「だってせんせぇ、くにみつおもしろくないもん!」
「全然笑わないし」
「いっつもつまんなそうだし!」
「なんかこわいし」
「もう。そんなこと言わないの。国光くんと一緒に仲良く遊んでね?ほら国光くんもこっちにいらっしゃい」
「いえ。本の続きが気になりますので」
「ほらー!くにみつもいやだってさーっ!皆っ、行こうぜー!」
 
 
 
 
 
 手塚は幼い頃から異質だった。どうしても、同い年の子供達の輪の中に溶け込む事ができなかったのだ。
 環境にも問題があったのだろう。その頃、体を壊して入院していた祖母を見舞う為に、母である彩菜がつきっきりで看病するような状態となっていた為、手塚は祖父である国一と多くの時間を過ごした。
 祖父の思考をまるまる受け継いだわけではないが、その影響は大きく受け、はっきり言えば子供らしくない子供に手塚は育っていった。
 ゲームやテレビに興味を持たず、野球やサッカーにも関心を示さない。漫画も読まなければ子供同士で外をかけずり回る事もない。辛うじて、祖父の教える柔道の鍛練を――熱心にではないが――続けるぐらいだった。
 
 
 ある日、珍しく一日家に居た彩菜が家族の為に特別な料理を作ろうとしたのだが、調味料が足りないと困っていたので、手塚は母に「買いに行ってきます」と伝えて家を出た。商店街に行く途中、近道と思い公園を抜けていこうとした手塚の足元に、 ぽーんと小さな球が転がってきた。
 
「?」
「そこの!こっちに投げろよ!」
「―――」
 言われるままに球を放るが、コントロールが狂い、すっぽ抜けてしまった球は見当違いの方向へと飛んでいってしまった。
「どこ投げてんだよ!ばーかばーか!」
「・・・・・・・・・」
 親切心で動いたのに罵倒され、手塚は呆気にとられたのだが、その自分を罵る人物の姿を見た途端、今度は別の意味で固まった。
 今まで見たこともないような綺麗な姿形。年に似合わず飾り立てた少女という存在は、身近に居ないでもない。親が娘のアイドル化を目指しているのか、手塚の通う保育園に通う園児の中には、は過剰ともいえるまでに着飾った少女が居る。中には、化粧すらしているような子も居た。そんな子達と比べれば、目の前に居る子は全然身なりなど気にしていない。だが、何もつけていなくともその唇は赤く艶やかで、滑らかな白い肌は母が好むビスクドールの人形のようだった。服装も、動きやすそうなシャツと短パンで、伸びやかな手足が覗いている。
「ちっ・・・どこ行っちまったんだか・・・・」
「・・・・・・探すの、手伝う」
「あ?いらねぇ」
「手伝う」
「・・・・・・・・・・・・いーけどよ」
 多少強引なまでに、手塚はその子に手伝いを申し出た。自分がどこかに放ってしまった球を探さなければならないという義務感もあったが、この子ともう少し話したいという気持ちの方が強かった。
 綺麗な子なのに女の子らしくない口調だ・・・・と手塚は内心驚きながらもその子の為にボールを探した。
 それから三十分程かけてようやく探し出した頃には二人とも泥だらけで、お互い顔を見合わせて笑いあった。
「ぷ、ひでぇ格好」
「――そっちこそ。だけど・・・・」
「ん?」
「君は女の子なのに汚れる事気にしない――」
 の?と聞こうとしたところで、張り上げた声に遮られる。
「誰が女だ!」
「え?」
「俺様は男!その眼鏡、合ってないんじゃねぇ?」
「・・・・本当に?」
「脱いだら納得するか?」
 そういって、いきなり脱ぎだそうとしたので手塚は慌てて手を振って止めた。男だとわかっていても、どきどきしてしまう。
「だ、駄目だって!わかったから。ごめん。今まで見た誰より綺麗だったから」
「ふーん、お前、タラシだな?」
「タラシ?」
「お父様が言ってた。綺麗だとか可愛いとかいう奴はタラシなんだって」
「へぇ」
 そうなのか、と初めて聞く言葉に手塚は大きく感心した。家に帰ったら早速母に自分は「タラシ」なのだそうだと報告しようと思いながら。
「なぁ・・・・お前、暇?」
「う、うん」
「なら、俺様の相手をしろ!」
 ぱっとラケットを差し出す少年に手塚はこくりと頷いた。脳裏からは母から頼まれた買物の事など綺麗さっぱり消え去ってしまっていた。
 その日はとっぷりと日か暮れるまで駆け回り、二人で小さなボールを追い合った。
 
 
 
「俺様は明日もここに来る。お前、」
「国光」
「くに、み、・・・・くに!」
「うん」
「くには?」
「僕、・・・・・お、俺も、来る」
「よし。決着は明日だな!負かせてやる」
「俺は負けない」
「俺だって負けねぇ!これは約束の証しだ」
 手塚の手の中にボールを押しつけた少年はそのままさっと駆け出してしまった。
 
「・・・・名前、聞き損ねた」
 一人取り残された手塚はボールを握り締めながらすっかり落ちた夕日に目を向ける。光り輝くような少年は夕闇の中に溶け込むように消えてしまっている。まるで虚か夢幻かのように。
 
 けれども、手の中の感触は確かな現実のものだった。
 その翌日わくわくした思いを抱え約束の場に向かった手塚だったが、少年はいつまで立っても現れなかった。
 あたりが暗くなるまで待っても現れなかった。
 その日、家に帰った手塚は母の顔を見るなり号泣した。約束をすっぽかされたのが悲しかったのではなく、あの子にもう会えない事が悲しかった。泣いて泣いて、一晩明けた時、手塚は母に訴えた。
 
「テニスをやりたい」―――と。
 
 探し当てたテニスボールを手に記憶が蘇る。今まで忘れていた事が嘘のように、鮮やかに記憶は蘇った。
 
 
 
 
 
 
 コンコンと扉をノックする音に「開いている」と答える。相手は誰か、知れていた。
 
「邪魔するぜ。何だ?ボけてやがんのか?」
「・・・・・・跡部」
「んだよ」
「お前の子供の頃は、さぞかし可愛かったのだろうな」
「アーン、何当たり前の事抜かしてやがる。俺様の幼少の砌ったら、それこそ天使に決まってんだろ」
 
 何故だか偉そうに腕を組んで言い放つ跡部だが、それを否定する者はまず居ないだろう。跡部の今の容姿から考えて、それは誇張でも何でもないとわかるからだ。
 
「そうだな。跡部は今でもこんなに綺麗なのだから、当然だな」
「―――てめぇ、真顔でんな台詞抜かすんじゃねぇ。この天然タラシが」
「心外だ。今も昔も俺を『タラシ』扱いするのは跡部ぐらいだ。最も、跡部以外を褒める気もないが」
「はぁ?」
 何言ってやがる?と呆れる跡部は受け流し、手塚は手の中の球を弄びながら跡部に言った。
「跡部、お前は俺に貸しがある」
「・・・・・・肩の事かよ」
「いや、もっと古い約束だ。思い出さないか?」
 跡部の目の前に、かの球を差し出す。覚えていないだろうとは思うが、ほんの少しだけ期待していたかもしれない。
「あ?古臭ぇ球だな」
「・・・・・・・・・・・・」
「で、それがどいしたよ」
「いや。――跡部はいつテニスを始めたんだ?」
「覚えてねぇな。物心ついた時から身近にあった玩具みてぇなもんだったし。本格的に始めたのは、英国に連れていかれてからだが」
「そうか」
「おばあさまの具合が悪いとかで、無理やり引っ張ってかれてよ、行ってみたらぴんぴんしてやがるし、その癖こっちを離さねぇ。それからしばらく向こう暮らしだ。――ったく、俺様にゃ約束があったってのに」
「跡部?」
「勝負を決める筈だったのにな。なぁ、くに?」
「・・・・・・・・・・・・覚えていたのか」
「はっ俺様の記憶力をなめんじゃねぇよ」
 
 驚きに目を見張る手塚に、跡部は自信たっぷりの笑みを向けた。その表情は、つい先ほどに取戻した記憶の中と等しく、輝き光に満ちている。幼い手塚が目を奪われ、囚われた眩い光が、変わらぬ光彩をもってここに居る。
 
「なぜ、今まで話さなかった?」
「てめーが忘 れてたからだ」
「そうか、すまなかった」
 手塚は小さく頭を下げた。約束の場に現れなかったのは跡部だが、忘れてしまったのは手塚の方だ。もっと早く記憶を取戻していれば、今とは違った時間を歩めてきたであろうに。
「ガキの頃の、たった一日だけの事だ。忘れておかしかねぇよ」
「いや。忘れられるような出来事ではなかった」
「忘れてたじゃねーか」
「跡部に二度と会えないと思ったから・・・・覚えているのが辛かったんだ」
「・・・・・・・ばぁか」
 くっくと笑いながら、「だからてめーはタラシだってんだよ」と言う跡部は、ならば、たらしこまれてしまえば良いものを・・・・・・などと手塚が思っている事には気づかないだろう。
 
 光り輝く幼い頃の記憶を、手塚はようやく捕まえた。
 
 
 
 
 
 
 
 2006.08.31
 
[ 光る ] 最終版。26本クリア。
 
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