| |
光る |
「――うわっ!止せっ!止めろっ!来るなぁぁぁぁ〜っ!!」
その日、常に余裕を持ち己を崩さない、氷帝の帝王たる跡部景吾の身も世もない叫び声が、とある民家の家屋において響き渡った。
人間、誰しも苦手なものというものはある。それを、女々しいとか情けないとか切って捨てる方こそ、思いやりに欠けていると言えよう。だが、カタカタと小刻みに震えながら、青い顔で毛布を被り、ソファの上で身を固める跡部景吾の姿というものは、氷帝学園に在籍する者達には見せられない。というより、彼等も見たくないだろう。彼等にって、跡部というのは絶対的な存在であるのだから。
「景ちゃん。もう大丈夫よ?ちゃんと始末をつけたから」
「―――――」
にっこりと、菩薩の笑みを浮かべる彩菜を前に、跡部の口元がひくっとひきつった。常に強気の光を消さぬ蒼い瞳は恐怖すら滲ませて、彩菜の手元に釘付けとなっている。
目を逸らしたいのに逸らせない。そんな感じであった。
彩菜の手元には丸めこまれた新聞紙がある。その中身はといえば――――少なくとも、もう蠢いてはいないだろう。
「相変わらず、彩菜さんの手際は見事なもんじゃの。わしの妻もヤツ相手の時ばかりは、日頃のおっとり感を捨て去り、まるで仇敵を付け狙うが如きじゃったわ。武士の香りすら感じたものじゃ」
「ははは。僕にはできませんね」
「あら、いやですわ。所詮は慣れですのよ?台所を預かる主婦としては、この勝負、負けるわけにはいきませんの」
「折角用意したのですが、無駄でしたか」
微笑む母の横で、息子である手塚国光が掲げたのは、【秒速ノックダウン】と、斜めのロゴも勇ましき、人類にとって至上最悪たる敵に向かうべくして開発された文明の利器、ゴキジェットだった。
「あら国光、それを持ってきたの?駄目よ、噴射力ばかりで、秒速なんて名ばかりなんだから」
「そうですか。看板に偽り有りという奴ですね」
「そうなのよ。隅に潜り込んだところを燻しだすには使えるけれど、とどめを刺すまでには至らないわね。やっぱり、即断即効で叩き潰すのが一番よ」
「精進します」
母の諭しを受け入れて、素直に頷く手塚国光。そんな親子の心の通い合う姿を横目に――跡部は涙目を浮かべていた。
「・・・・・・跡部、泣いているのか」
「泣いてねーよっ!」
そう言われれば、否定をして突っ張ってしまうのは当然というものである。つくづく手塚にはデリカシーというものが欠けているといえよう。
「恐くなんかないのよ?所詮は昆虫の一種。こちらが本気になれば、敵ではないわ。大きくてもせいぜい4センチか5センチというところですもの。飛んで逃げられると少し厄介だけど、基本は壁伝いに移動するから、狙いをつけて一撃をかませば仕留められるわ。跡部君の動体視力ならば、きっと百発百中ね」
「・・・・・・・お、お願いですから、もう、止めてください、彩菜さん・・・・」
ひぃと耳元を抑える跡部は、本気で嫌そうだった。半泣き状態の様は稚くも見え、何処か庇護心を誘う。
「景ちゃん。一般家庭ではね、アレとの対決は切って捨てれるものではないの。あの繁殖力と生命力は、どれほど始末しても、後から後から沸いてくるものなのよ。」
「俺はっ、あのテカテカと黒光りする様が、死ぬ程苦手なんですっ!!」
そっと、震える跡部を気遣うように肩に触れた手塚の腕に跡部が縋る。そのまま、それだけが自分を護る盾とでもいうかのように、ぎゅっとしがみついた。
「・・・・・・・・・・・」
日頃から無表情を極め、表情変化に乏しい手塚であり、この際も見た目上は何ら変化を兆したようには見えなかったが・・・・長年息子を見守ってきた母だけは看破できた。一人息子が、役得の感に打ち震えているであろう事を。
「だ、大体、退治するなら他にも手はあるのでは、ないですか?バルサンを焚くとか・・コンバットで捕獲するとか・・」
「あら景ちゃんは詳しいのね。でもバルサンは駄目よ。一時追い出すだけで、最終的な根絶というわけにはいかないの。コンバットもねぇ、しばらく放置して忘れていると、それ自体が住家になってしまうのよねぇ・・・・」
「―――――」
悩まし気な息を吐く彩菜に、跡部はといえばもう言葉もない。無意識であろうが、掴まれた手塚の腕が痛む程の力を込めていた。
その日、跡部は手塚家に泊まる予定だった。
正直な所は、逃げたと言われようが手塚家を飛び出して家に帰りたい気持ちとなっていたが、そういうわけにもいかない。跡部は、何とか己を落ち着かせながら、当初の予定通り手塚家に泊まる事とし、彩菜が手塚の部屋に用意してくれた布団で休もうとしたのだが―――
「・・・・大丈夫か?跡部」
「・・・・何が大丈夫かだって?」
はっと、鼻で笑う様はいつもの跡部であるのだが、あくまで強がりでしかない。手塚でなくとも今の跡部が精彩に欠くというのは見てとれただろう。
「不安なのだろう?」
「うるせぇ。さっさと寝るぞ」
ぷいと手塚から視線を逸らし、布団の中に潜り込もうとした手を手塚が掴む。
「んだよ」
「――――問題はないと思うが・・・・この部屋にもヤツが出た事がある」
「――――!」
静かな声音で語るように告げた手塚の言葉に、跡部の体がぴくりと震えた。
「夜中の事だったが・・・・何か気配を感じて目が覚めてな、ふと天井を見上げると・・・・カサカサと音を立てて黒い物体が・・・・・」
「や、やめろてめぇっ!嫌がらせかよっ!」
無表情に語り続ける手塚のパジャマを掴み上げ、怒鳴る跡部であるが、今にも泣きそうな表情とあっては迫力も半減どころか全くない。
「そんなつもりはない」
「だったら何でそんな事を抜かしやがる!」
「事実だからな。・・・・・・・・一人で大丈夫か?」
「大丈夫じゃなければ、てめーどうにか出来るってのかよっ!」
思わず反論した跡部は、自分が手塚の策にはまった事に気づいていない。常ならば、冷静に事態を把握し、己の隙など掴ませぬ跡部であるのだが、今回ばかりは平静を保つ事ができぬようだった。
「この場限りの措置だが、一緒に寝てはどうだろうか」
「・・・・・・・・はぁ?」
「そうすれば、少なくともお前をヤツの不意の攻撃に曝す事はないと思う」
「・・・・・・・・攻撃って何だよ。攻撃力なんかねーだろ」
「近くを這い回るとか」
「!」
「飛んでくるとか」
「!!!!」
「異変があれば、すぐに俺は気づけると思う。だが、離れていてはどうにも、な」
「―――――わ、わかった。てめぇ、寝相は問題ねぇんだろうな・・・・?」
「全く問題ない。お前も寝相は良いようだし、二人でベッドに寝ても大丈夫だろう。――跡部、来い」
「命令すんな」
自らの布団をめくり誘う手塚に、跡部は少しばかりむっとした表情で言い放つ。幸いにしてその夜、ヤツは出現する事もなく夜は静かに流れ・・・・・・一度も起きる事なく、そこにはしっかりと跡部を抱きかかえ眠る手塚の姿と、手塚にしっかりと抱きついて眠る跡部の二人には、朝まで何の邪魔も入る事はなかった。
その後の事であるが、跡部が手塚家を出た後に、手塚は母に向かい「あまり跡部を苛めないで下さい」と訴えたのだが・・・・「うふふ。景ちゃんの泣き顔ったら、可愛いのね。癖になるわ」と、満足気に返されるだけで、もしや母はライバルとなりえるのではないだろうか・・・・?と余計な心配を抱いてしまう手塚が居るのだった。
|
|