| |
光る |
「待たせたな」
「・・・・・・・・いや」
心地良くも耳障りの良い低めの声に顔を上げると、ふっと表情を幾分柔らかめに崩した跡部の顔があった。
こうして、プライベートで顔を会わせる際には、今までの挑戦的な態度を幾分治めて穏やかに接してくれるようにもなってきた。
「他人の目が無ければな」、と注釈をしてきた跡部は、やはり日常生活においても作り上げた自分というものを前面に出しているらしい。「疲れないか?」と問えば、「その方が楽なんだよ」と返され、跡部の表層に目を眩まされている者達は損をしているな・・・・と思ったが、それを教えてやるつもりなど、毛頭なかった。
静かに引いた椅子に座りこむ所作すら、どこか音楽的だ。どかりと無駄に音を立てる粗雑な所作の同級生達と同じ生物なのかと、思わず疑ってしまう程だ。もっとも、それが育ちというものなのかもしれないが。
読みかけの本を脇に置き、「注文は?」と確認すると、「もう済ませた」と跡部が答える。店内に入ってくる際に、ついでに注文をしたという事らしい。格別、この後の用事が詰まっているというわけでもないのに、少しばかり性急に思えた。跡部といえば、メニューをゆっくり吟味するかのように眺め、けれども迷いに時間を取られる事なく自然な動作で近くを通りかかった店員に注文を済ませるのが常だ。もしかしたら、喉が渇いているのかもしれない・・・・と思ったが、席に着いてからこちら、水の入ったグラスに手をつけようともしていない。
「んだよ」
「いや」
視線で咎められ、考えるだけ無駄だと疑問を捨てた。常から、問いかけにまともに答えてくれるのは10回に1度程であるのだ。からかっているのか、単なる嫌がらせなのか、ただ単に跡部の性格が悪いのか・・・・・・それはまぁ、微妙な所だが。
「―――お待たせしました」
「・・・・・・・・ああ」
僅かに身を引いた跡部側のテーブルの上に、ティーポットとカップが置かれた。オレンジの砂の入った砂時計が添えられ、「これが落ちきる頃くらいに注いで下さい」と、店員が説明すると、「わかった」と跡部は静かに頷くだけだった。手塚としてはまどろっこしいような気がしていたのだが、今では何故そうするのかわかっている。
以前に「すぐに注ぐと問題があるのか?」と、問いかけた時に、10秒程、あの吸い込まれそうな蒼い瞳でひたと手塚を見つめた跡部は、無言でティーポットを手に取り自らのカップに注ぐと、そのカップを手塚に押し付けてきた。
カップの中は底が透かし見える程の薄い色合いが辛うじてついた程度の状態で、「なるほど。これでは色の付いた湯だな」と理解して跡部にカップを返そうとしたのだが、「あーん?てめぇ、この俺様にこんなもんを飲ませる気か?」と、睨みを効かされる羽目となった。この場合、注いだのは自分だろう、という反論は、通用しない。
砂が大体落ちきるかという時に、跡部はテーブルの下で手持ち無沙汰にしていた手を、ティーポットに伸ばそうとして・・・・躊躇ったかのように、一瞬停止した後に引っ込めた。
「どうしたんだ?」
「・・・・・・・・何でもねぇ」
「?」
そのままじっとティーポットに睨むような視線を向けている跡部だが、未だ中身を注ごうとはしていない。すでに砂時計の砂は落ちきっている。時間足らずの場合は、薄目の薄味抽出未満となりのだが、時間が立ち過ぎれば今度は濃い目の濃厚渋み満載となるのが紅茶の厄介な所だ。
「渋くなるぞ」
「わかってっよ」
「飲みたくなくなったのか?」
「・・・・・・・・・・・・違う」
「それならば、どうしたんだ?」
「いちいち、俺様の行動を気にかけてんじゃねぇよ」
「そうはいっても、跡部の行動は気にかかるのだから、仕方がないだろう」
「―――ちっ」
軽く舌打ちした跡部は、仕方ない――とばかりに、ようやく置き捨て状態であったティーポットに手を延ばした。何故か利き手の上に逆手を乗せた慎重とも取れる手つきで。
「怪我をしたのか?」
「してねぇよ」
「見せてみろ」
「ちょっ!!」
咄嗟に反応しそこね慌てる跡部に構わず、手塚はぐいと跡部の手を掴み自分の方へと引き寄せた。
じぃと、異常が無いか丹念に眺めていく間、幾ら跡部が渾身の力を込めて己の手を取戻そうとしても、がっしり掴んで離さない。
格段、気にかかるような怪我の徴候は無かった。異常が無い、とも言い切れないが。その異常な点はといえば、ひとまずは跡部の身体に害を及ぼすような類ではないので、その点においては安心できる所であるのだが。
「――――跡部」
「アァ?」
「何だ?これは」
「マニキュアだろ」
「それは、校則違反ではないのか?」
「うるせぇな。目立つ色でもねぇだろ。違反どうこう言うならな、除光液でも持って来いよ。落としてやっから」
「生憎だが日常的に除光液は持ち歩いていない」
「ちっ、使えねー奴」
「・・・・・・・・・・・」
どうやら本気で吐いたらしい今の悪態に、自ら好んで装飾したわけではないようだ、と見て取れた。まぁ、ナルシストだの派手好きだのと称される跡部であるが、手塚の見た限り、見た目に拘泥するような所はない。むしろその点は無頓着であるぐらいだ。朴念仁で知られる手塚ですら、勿体無いと思える程に。
「今は持っていないが・・・・母ならあると思う」
「まぁ、そうだろうな。仕方ねぇ。彩菜さんに借りっか」
「化粧品コーナーにも、サンプル品で置いてあると聞くが・・・・」
「てめーこの俺様に、女に混じって化粧品コーナーへ行けとでも言うつもりか?!」
「いや。すまない」
常より沸点が低いらしい跡部は、抑えてはいるものの、手塚に掴みかからんばかりの勢いだった。それもこれも、跡部の指に綺麗に飾られたマニキュア故の事なのだろうか。テニス選手としては異例な程に綺麗に整った長い指先にある形の良い爪。その表面を艶やかに飾り光らせる、薄いブルーの色合いのマニキュアは跡部の瞳の色によく映え、綺麗だった。
「謝りゃいいってもんじゃねーんだよ」
「本当にすまない。ところで、それは誰かにつけられた、という事なんだな?」
「・・・・・・・・・・・まぁな」
「誰に?」
「・・・・・・・・・・不二の姉だよ」
「由美子さんか」
それを聞いて納得する。母彩菜とは違う方向であるのだが、不二の姉である由美子にも、何故だか逆らい難いものを感じるのだ。微笑みの圧力に気圧される気がするのは、手塚に限る事ではない。大体、この跡部が大人しく従うような相手だ。いや、盛大に文句の類は言っていたのかもしれないが。
「ったく、何であんな所に店があんだよ。紅茶の店の隣だぜ?折角の香りを、消しやがって」
「店とは?」
「―――彩菜さんの好きな紅茶を置いてある店で、手土産買っていこうと思ったんだよ。だが、その隣がネイルアートの店でな、しかも運悪く不二姉がいやがった」
「それで?」
「新色を付け比べて見てみたいんだとよ。自分の指は全部使っちまったからって、この俺様の手を貸せとか言うんだぜ?!」
「断ればよかったんじゃないか?」
「断れんのか?てめぇならよ」
「・・・・・・・・・・いや。無理だろうな」
不可思議な迫力を持つ、不二の姉の顔を脳裏に描きだし、手塚は心の中で首を振った。もっとも、手塚に対してそのような要求はしてこないだろうけれども。跡部はまあ・・・通りがかりの貰い事故の如く災難だったという事だ。
「とにかく、そういう理由ならば早く落としたいだろう。家へ行こう」
「ああ」
手塚の誘いに異論を挟まず、跡部は紅茶をぐいと飲み干すと、早々に立ち上がった。立ち上がり様に伝票をさっと掴んだが、その手は効き手であったので、きらりと光る指が手塚の視界に映った。
ついつい、「似合っているな。勿体ない」などと口に出しそうになったが、それを言えば当分の間音信不通の着信拒否状態を敢行されそうであるので、ぐっと言葉を飲み込む手塚なのだった。
|
|