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瞬き |
視界の隅を光が通り抜けた気がした。
「――――跡部」
「?」
涼やかな風のように人の波の中を抜けて行こうとした細い背が止まる。
手塚の呟きは本人すら意識できぬような小さな物であったというのに、彼の耳には聞こえ届いたのだろうか。
優れたスポーツ選手というものは身体能力も秀でている。跡部の聴覚は平均より遥かに鋭敏なのかもしれない。
「・・・・・・お前」
止めた位置から跡部が不審そうな表情で、眉目を寄せた。
何かを思い出すような、何か引っ掛かるような、少しばかり苛立たし気に。
それも当然かもしれない。手塚は跡部の存在を見知っているが、跡部がこちらを知っているとは限らない。氷帝学園というネームバリューと、一年生ながらにレギュラーを努める突出した才能と、その類いまれな容姿によって跡部は良くも悪きも有名人だ。
そして風聞であるが為に真偽の程は定かではないが、その愛らしいとも言える容姿に反し、性格がだいぶが所・・・・・・良いらしい。
こうして改めて観察する限り、記憶にある姿よりも更に繊細で華やかながら、どこか儚気でもあり、(矛盾が正当として混在する不思議さが何故かあった)噂がどこから発生したのか大いなる疑問だ。
「どこかで会った、・・・・いや、見た顔だな」
「俺は、」
「待て。口に出すんじ ねぇ。今思いだす。――待てっ、つってっだろっ!!ここまででかかってんだよ!」
「――――」
かつかつと歩み寄り、こちらを覗き込むようにして見上げた跡部は手塚が何かを言いかけようとすると、何故だか怒りの表情すらみせて差し止めてきた。
柔らかな日差しを受けて窓際で風に髪を揺らしながら書物に読み耽っているのが誰より似合いそうであろうに、繊細な容姿を象る一つのパーツである可憐な口許から放たれたのは、ある意味年齢相応で身近でありすぎる、ぞんざいかつ粗雑な口調。
確か跡部はかなり良い所の生まれで、氷帝学園も良家の子息が集まる上流階級の集まりではなかったか・・・・?と、跡部の上品とは言い難い口調に呆気に取られていた手塚であったが、常より表情変化の乏しさにも定評があるので、外観的には全く動じた風には見えない。
そして同時に精巧な、芸術家の手によって生まれ落ちた人形の如くも見える跡部が、口を開いた途端に生き生きと、活気に満ちた光を内から放つような存在として手塚の前に立った事で、見惚れてもいたのだ。
「この辺りで学ランってぇと、南中と・・・・、ああ青学もあったか。―――ん?その眼鏡・・・・。はん、わかったぜ!てめぇ、青学の手塚国光だな?!」
「―――そうだ」
ぱっと嬉し気な表情につられ、人を指差すものではないと注意をするのもつい忘れる。自分の事を知っていたのか、と何故だか心の奥に浮き立つものを感じる。それと同時に眼鏡で認識されるというのは、落胆すべき事なのか。まぁ、眼鏡はほぼ手塚にとって顔の一部のようなものではあるけれど。
「青学の期待の星、手塚クン、がこの俺を知っているとはな。俺様有名人?」
「――――跡部は目立つから、充分有名だろう」
「目立つ、目立つねぇ。―――例えば?」
「・・・・・・・・容姿もだが・・・・そのオーラが・・・・目立つ、な」
悪戯っぽく煌く瞳に促され、少しばかり気圧されながらも手塚は答えていた。無邪気な物言いを装ってはいるが、どうもこの跡部景吾という少年、一筋縄ではいかぬ相手のようだ、と手塚は跡部に対する心証を改める。
「ふぅん。――おい、手塚」
「何だ?」
「少し、目を瞑りな」
「・・・・・・・・・・?」
意味と意図はわからないが、言われるままに手塚はゆるりと目を閉じた。
数瞬。時間とすれば、三秒か五秒ぐらいだっただろうか。ずっととは言われなかったので、殆ど瞬きのような間だけを置いて手塚は閉じた瞼を上げた。
ぱちりと、開いた視界に映るのは、通り抜けていく人の群れ。雑踏の中で取り残されたかのように、手塚の周囲だけ切り離し、周囲の時間が流れている。傍らに居た筈の気配はすでに無い。圧倒的な存在感を持つ、彼の姿は何処にも―――
「―――跡部?」
後から考えてみれば何を焦っているのかと羞恥を誘ったが、その時はとにかく必死だった。
一体何処へ?と、慌てて周囲を見渡すと、ぽんと背中の辺りを軽く叩かれた。
「よ」
「居たのか」
にやにやと、人の悪い笑みを(これが何故だかまた跡部の顔によく似会う)浮かべる跡部がそこに居た。何の事はない、すぐ真後ろに居た。何故気づかなかったのだろうか、と自分の鈍さに呆れるがぐらいだ。
「瞬き一つで見失うようなもんじゃねぇの?」
「―――そうとは、思えないな。跡部、お前・・・・気配を消しただろう」
「さてな」
そんなわけないだろ?とばかりに肩を竦めた跡部だが、否定する方が可笑しい。手塚もまた、祖父に付き合わされて武道も嗜んでいる。そこに居る筈なのに、祖父の姿を見失う事など何度もあった。先ほどのは、その感覚に何処か近しい。
「俺は目があまり良くない。だから、きちんと認識できるように存在感を抑えないでくれ」
「はぁ?何だよ、それ。変な奴だな」
手塚の言葉に跡部はぷっと噴出し、それからこぼれ落ちる笑いを抑えてくっくと笑った。冗談のつもりではなかったのだが、どうやら手塚の言葉はある種のツボを突いたらしい。
その後。
試合会場において、派手なパフォーマンスを繰り広げる跡部の姿を目にする事が何度かあるのだが―――
それは自分の発言に由来するものではないと、手塚は思いたかった。
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