| |
夏の夜 |
跡部の帰宅を出迎えた初老の家人は、自室に落ち着いたであろう頃合を見計らい空輸したての茶葉を用い、香り良い芳香を掻き立てる紅茶を跡部の部屋へと運び入れた。
日本の風土を考えれば冗談な程に巨大な敷地内に造られた、年代物でありながら最新の設備を誇る邸宅内においては、基本的に完全な空調を保っている。危急の事態にも対応できるように自家発電装置も完備しており、突然の停電においても暑気や寒気に悩まされる事はない。
日々、トレーニングに明け暮れる跡部であるが、暑気に強いというわけでもなく普段の室内は冷房による室温調整が完璧に為されているのだが――その日は少しばかり違った。
蒸せるような暑さという程ではない。すでに陽も落ち、翳りを見せた時間帯であるので気温は昼間に比べれば大分下がっている。けれども、人工的に調整された部屋の外の室温に比べれば、その部屋の中の温度は高いと言えよう。
それでも開け放たれた窓から、心地良く室内に自然の風が流れ込んでくる。時に気紛れな面を見せる跡部であるので、何かエコロな趣味にでも目覚めたのだろうかと、一瞬おやと思う程度の疑問で済ませ、初老の家人は表情を変える事なく静かに跡部の自室へと踏み入れた。
カチャカチャと、軽い音を立てて茶の用意をする間も、跡部の視線がそちらを向く事はない。何か思いに耽るように窓辺に佇み外を眺めているようだった。
白いティーカップを琥珀の液体が満たし、そのまま一礼して部屋を辞そうとした家人は、風に揺られて響くかすかな物音に足を止めた。
リン・・
チリン・・・・
ただそれだけの音が。微かに触れ合い鳴らされただけの小さな音が。音楽的な響きをもってすら室内に響き渡るようだった。
「風鈴、ですか。風雅な事ですね」
「ん?ああ。―――くれた奴は、情緒の欠片もねぇ奴だがな」
ふっと浮かべられた笑みは無防備な程で、いつも周囲にガードを張り巡らせているような跡部にしては珍しい事である。が、ここは跡部の自室であり、傍らに居るのは幼い頃からの付き合いである家人であって、気負いも何も持つ必要がないのだから当然かもしれない。跡部を次期部長(ほぼ継承したも同然だが)として仰ぐ氷帝テニス部部員にしても、やはり次期生徒会長として期待の目を向ける氷帝学園の生徒達にしても、跡部が浮かべる本来の笑みがこれほど柔らかで穏やかであるとは知らないだろう。唯一、短くない付き合いである幼馴染達だけは、見知っている事なのだろうが。
「お土産でございますか?」
「・・・・・・・・そんなもん」
「良い物を頂かれましたね」
「そう思うか?」
「はい。景吾様が、とても嬉しそうです」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
フイとそらされた顔は、不快さからではなく照れからだろう。敢えて見なかった事とはするのだが、初老の家人の目には一瞬だけだが跡部の頬が軽く朱めいたのを見逃しはしなかった。
「親しい御友人からで?」
「親しくは、ねぇな」
「それでは好いておられる方で?」
「好いてってなぁ・・・・・・・・。好いても、いねぇな」
「では、好かれておられる方で?」
「―――好かれてぇ?!冗談だろ。気色悪ぃ」
「おやおや・・・・」
「んだよ」
目元を細め笑みを深める家人に、跡部は拗ねたような表情を向けた。
「好いてもいない。好かれてもいない。その割にはとても嬉しそうでございますよ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・物が気に入ったという事にしておけ」
「はい。そういう事にしておきましょう」
それだけではないと言外に言っているも同然だが、跡部が素直な質ではないと知っている家人はその点を追及はしなかった。
「―――ま、片思いの相手ではあるな」
「景吾様に片思いをさせるような方で?」
「まぁな。他人なんざ目に入っちゃいねぇ奴だ。己を高める事のみ追及する、まるで武士だぜ。ったくアイツはよ」
「良い、ライバルなのですね」
「・・・・・・俺にとっちゃな」
「その方にとっても、ですよ」
少しばかり自嘲的な笑みを浮かべる跡部に家人はゆっくりと首を横に振った。大人びていても、大人の世界に早くから足を踏み入れ人の感情の機微というものを推し量る事に慣れているとはいっても、人生経験の差をこうして教えられる事がある。それを腹立たしく思う程、跡部は狭量ではなかった。
「・・・・・・・・?」
目線で問う跡部に笑みを一層深めた家人は、窓辺に揺れる風鈴を眩しそうに見上げた。
跡部家の調度品からいえば、差などつけようもない程に価格値には破格差がある。けれども、どれほど高価な額がつく美術品よりもなお、温かで素朴なこの品は跡部にとって望ましく好ましい品であろう。幼少のみぎりより世話をしてきた家人にとってはそれを感じ取る事など造作も無い事だった。
恐らくは太陽の光を浴びればより輝くであろうその硝子の表面は、室内の明かりを受け、それでも美しい感嘆できる煌きを蒼光りさせていた。
「景吾さまの瞳と同じ色でございますね」
「・・・・・・・・・・んな色か?」
「はい。とても美しい―――お色です。この品を好まれて選ばれた方が、景吾様に何も感じ得ていないなど、ありえませんよ」
「ふ、ん。そこまで考えているたぁ、到底思えねぇけどな」
素直ではない憎まれ口を放つ跡部ではあったが、その表情は綻び・・・・称えているのは確かな笑み。
チリン・・チリン・・・と揺られて響く、風の鈴。
夏の夜は、静かに、穏やかに、涼やかに、ゆるりと更けていった。
|
|