風に揺れる
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 カサと、聞こえる筈もないのに、鞄の中で小さな包みが動いたような気がした。
 
 
 
 全国大会出場を果たせなかった青学は、夏休みの期間中に短期集中合宿を行った。
 学園内に泊り込むという案もあったが、それは通常の学期内においても時々行われる強化合宿と変わらない。施設の問題もあるし、また夏休みは他の部においても大会を控えて集中的に活動を行っている為にスペースを取るのに熾烈な競争となったりする。コーチである竜崎のつてを経て、中学生としては多少分不相応とも言える立派な施設を用いて合宿を行えたのは、青学テニス部部員達にとって、今後に向けての大いなる力となった。
 勿論遊びたい盛りの中学生であるので、そして竜崎の教育方針上、抜くときは抜いて締める時は締めるといった緩急をつけた指導法である為、毎日毎日練習三昧というわけでもなく、多少の遊興時間も盛り込まれていた。
 著名な観光地というわけではないが、風光明媚な地であり、透き通るような水の流れの川では充分に泳ぐ事もできた。そして、寂れたとはいかないまでの簡素な作りのロッジではちょっとした土産品も置かれていて、家族や友人達への土産を楽しげに選ぶ仲間達の姿を手塚は遠巻きに眺める。
 無駄遣いをしないように・・・・などと、そこまでの考えで見守っていたわけではないが、あまり騒ぎすぎると店の人の迷惑にもなろうと、やはり部長という立場よりも保護者的立場の視線をもって監督していた手塚は、何とはなしに店の中を歩きまわっているうちに、手塚の足が止まった。
「・・・・・・・・・・」
 眩しげに、反射する光に目を細めつつ、そっと手を延ばす。華奢な造りの蒼い硝子製品が、不可思議な程に意識を惹きつけた。
「気に入ったかい?」
 ふいに声をかけられ振向くと、柔弱な笑みを浮かべた老人が曲がった腰を手製らしい古びた木の杖で支えつつ近くに立っていた。
「裏に工場があってね、半ば趣味で造っているようなものなんだがね・・・・」
「こちらで、造られているのですか」
「ああ。昔から、こういった硝子細工が好きで・・・・趣味が高じてこうして売り出してもいるんだよ。まぁ、素人に毛が生えたようなものだがね」
「いえ。そんな事は・・・・・・とても綺麗な、色、ですね」
 手の中に収まった硝子は、光に翳すと蒼の色を微妙に変化させる。それは、感情に揺らめく瞳の色を思い起こし―――手塚は己で思うよりも、感嘆とした口調で、そして表情すらも幾分うっとりと見惚れたように呟いていた。それは、普段の淡々とした口調で表情を崩さない手塚しか知らぬ者からすれば、以外な手塚の姿であったかもしれない。
「嬉しい事を言ってくれるね。その色を出すのは本当苦労したんだよ。瑠璃色や、翡翠色なんかもそりゃぁ綺麗だがね、私は何より空の色・・・・蒼灰色が好きなんだよ」
「・・・・・・・・・・・俺も・・・・同じ・・・・ようです」
「そうかい。そうかい」
 手塚の答えに老人は目を細め、実に嬉しそうに笑う。自分の好む者を好むと聞いて、嫌な気持ちを抱く者はそうはいない。そして、そのきっかけが己の手による物・・・・自らが作り上げた品だといえば尚更だろう。
「そいつは持っていきな」
「――――?」
 その品を手離し難く思っていた手塚は、幾らぐらいの値なのだろうか・・・・と考えていたのだが、老人はそれを持っていけという。
「言っただろう?趣味が高じた代物だと。それだけ気に入ってくれたのなら、これ程嬉しい事はないからね」
「いや・・・・ですが・・・・」
 とてもありがたい申し出であったが、それをそのまま受け入れられるような手塚でもない。ためらいがちにしていると、老人はふっと笑みを深めた。
「気になるんだったら、他の土産品でも買っていってくれないか。妻が作った山の幸を使った漬物なんかも自慢の品だよ」
「・・・・・・それでは、家族に何か・・・・」
「そうかい。こっちに来なさい」
 嬉し気に手招きする老人の背に、手塚はついていった。その手の中に、蒼の硝子造りの品をそっと守りこむように包み込みながら。
 
 
 
 
 
 合宿を終えて、最寄の駅に辿りついた頃にはさすがの手塚も軽い疲労を覚えていた。
 太陽は低く傾き、日差しは赤い柔らかな色合いに変わっている。気温も幾分下がっており、夏の盛りも過ぎたな、と思えた。通りを歩く人の顔も、逢魔が時に近しい時分の為、はっきりとは見極められない。
 足元に伸びる人影についと視線をめぐらすと、まさかここで会うとは思ってもいなかった人物を見つけ、手塚は軽く目を見張る。
「跡部」
「よぉ、手塚。御大層な荷物だな。合宿帰りか?」
「ああ。そんな所だ。お前は・・・・・・?」
「付き合い上ちょっとな。途中、歩きたくなったんで車を帰したんだ。駅はこの少し先だろ?」
「ああ」
「手塚の住まい、この近くなのか」
「歩いて10分程だ」
「なるほどね。ま、家の情報までは知らなかったぜ。まさかこんな所でてめーの面を拝ませて貰うとはな」
「それはこちらの台詞だ」
 お返しとばかりに反論すると、跡部は「だよな」とくっくと笑った。口に出してから、何故跡部が相手だとこう喧嘩越しになってしまうのだと反省したのだが、跡部の方は手塚のそんな反応を気にしていない・・・・・・どころか楽しんでいるような様子ですらあった。
 肩にかけた鞄を持ち直すようにして紐をずらした時、ふとその中にあるひとつの物を思い出す。
「・・・・・・・・跡部」
「ア?」
「土産が、あるんだが」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はい?」
 妙に素直な返しをしてくる跡部というのは、実際貴重で稀少であろう。手塚の言葉に首を傾げた跡部は、いまだかつて手塚が見た事もないような、素の表情を曝け出していた。
 そんなに驚く事だろうか、と考えつつ、いきなりさほど親しいとは言えぬ相手から、しかも偶然道端で会った際に言われれば、確かに意外であるし何を言われたのか理解しきれぬかもしれない、と思い直す。だが、手塚としてはここで跡部に出会った以上、あの品を渡すのは跡部をおいては他に居ないように思えていた。それは深く考え抜いての事ではなく、直感的なものであるのだけれど。
 反応を選びかねている跡部に構わず、手塚は荷物の中から目的の品を取り出した。
 そして、何ら気負いも含みもなく、「これだ」と跡部に手渡す。反射的にそれを受取った跡部は、やはり反射的に「―――ありがとよ」と礼を言った。その反応に、倣岸不遜と言われがちな跡部であるがこういう所に育ちの良さが現れるのではないだろうか、と思う手塚である。
 しげしげと手の中の包みを眺め、ついで手塚の顔をじいと眺め、どういう結論に達したのか跡部は手の中の包みを開く行動に出た。それはつまり受取ってくれる気になったという事だろう。もしいらないというならば、そのまま素っ気無く突き返してきたに違いない。
「――――風鈴?」
「合宿先にあった土産店で見つけたんだ。この視界では良く見えないだろうが・・・・綺麗な蒼い色をしている」
「へぇ。蒼硝子、ね。そりゃ綺麗だろうな」
「ああ。とても綺麗、だった」
「ふぅん。・・・・・・っかし、てめー土産品が余ったからって俺様に押し付けるか?」
「そういうわけではない」
「わけではないってな。たまたま俺に会わなきゃ、やる相手も居なかったんだろ?ま、有難く受取っておくけどよ」
「それは、違う」
「何が違うって?」
「だから・・・・・・それを見た時に・・・・跡部を、思い出した。だから、渡す相手ならば、跡部しか・・・・居ない」
「―――ま、そういう事にしてやってもいいか」
 心外だとばかりに否定した手塚の言葉を、跡部はあっさり受け流す。恐らくは本気と取っていないからだろう。
 それ程までに自分は信用ないのだろうか・・・・と少しばかり落ち込みを感じた。
 
 そんな手塚の耳に、リン、と澄んだ音が鳴り響く。
 ふわりと頬を擽る風が、跡部の手の中に在る風鈴を揺らしたのだ。
「良い音だな。蒼灰の風、か。色合いの方も楽しみだぜ」
「・・・・・・跡部」
「さんきゅ」
 にこりと、これまた手塚が初めて目にする邪気の無い笑みを残し、跡部は真っ直ぐに伸ばされた綺麗な背を向けた。
 その背が小さくなり、薄闇に溶け込んでいくまで、手塚は余韻に引きずられるようにして見つめ続けた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 2006.03.26
 
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