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胸騒ぎ |
ポツポツと、窓を叩く雨の音に視線が動く。
硝子の表面に水滴が筋を作る。幾層も、幾層も。初めは控えめだった音が、次第に遠慮の欠片もないような叩きつけるような音にすり替わる。閉め忘れていた窓から吹き込む雨は、板張りの廊下を見る間に濡らした。
「――――国光!窓を閉めてちょうだい!」
「はい」
二階から投げかけられた声に答え、一階の窓を閉めてゆく。
遠雷がゴロゴロと唸りを上げ、時折ピカリと空を引き裂くような光が走った。
半身を雨に晒しながら思い網戸を引き、雨の進入を遮断する。窓を閉めてほっと息を付くが、足元を浸すような水に慌てて乾いたタオルを取りに走る。窓際の廊下を濡らす雨を拭き取りカーテンを引くが、室内に満ちた雨の匂いはなお強く残った。
その頃になって母が濡れてしまった洗濯物を抱えて上から降りてくる。穏やかな表情のまま、少しばかり怒を表している。
「天気予報では一日晴れると言っていたのに・・・・」
「所詮は予報ですから。100%の確率というわけではありません」
「それはそうだけど・・・・乾燥機を使わないと間に合わないわね・・」
恨めし気に湿った洗濯物を見つめる母だが、そうしていても仕方がないと思い切ったのか、乾燥機のある脱衣所の方へと向かった。
昔ながらの生活を好む祖父の嗜好もあって、手塚家においては電化製品の数は少なかった。が、一人息子である手塚がテニスに傾倒するようになると、当然の事ながら洗濯物が大量に生まれるという結果となり、母の熱望をもってドラム式洗濯機の購入へと至った。それもほんの1〜2年前の事であるから、それまでの母の苦労が偲ばれるというものだ。
網戸まで閉切った為に屋内は薄暗い。雨音と雷の音も二重の覆いに遮られ、家の中までは届かなかった。しんと静まり返った室内の中でふと、胸が騒ぐ。
「国光?」
「はい」
「今日は跡部君が来るのよね?」
「ええ。そろそろ、の筈です」
「大丈夫かしら・・・・?」
「車で来るのならば、問題ないと思うのですが・・」
出歩く者など無さそうな強い雨が降る外を、母が心配気に見やっている。これ程の雨となれば訪問を中止する可能性もあるが、跡部の場合一度約束した限りはそれを反故にしそうもない。何より、祖父が跡部の訪問を心待ちにしている。今は外出していて居ないが、帰って来た時、今日は来られないと知れば大層がっかりする事だろう。
跡部の家はお抱えの運転手を擁している。多用はしていないようだが、手塚の家に訪問する際にも跡部は何度かは家の車に送迎させていた。今回もそうであれば、この危急の雨にも難儀する事はないのだろうが・・・・・・何となく、納得できないような胸騒ぎがした。
「―――迎えに、行ってみます」
「そうね。行き違いになったら困るから、携帯電話の電源を忘れないようにね」
「はい。もし跡部から連絡が入ったら、そのままうちに来るように伝えて下さい」
「わかったわ。一応、お風呂を沸かしておきましょうね。国光が帰ってきてすぐに入れるように」
「すみません」
母に一礼すると、手塚は予備の傘を1本掴み、川のように道路に水の流れを作る雨の中へと飛び出した。
雨に追われるようにして走る。
膝より下に泥水が跳ね上がるが、気には止めない。ほぼ一気に駆け抜け、雨越しにぼんやりと駅の明かりを認識した時には心底ほっとした。
息を整え改めて駅へ向かおうとしたその先に、狙い済ましたかのようなタイミングで見えたのは跡部の姿。
人待ち顔というか空の様子を伺っていたようで、その手に傘の類いは見えない。
「――――あ、」
声をかけようとした先で、思い定めたかのように跡部がきっと空を見据える。手塚の声は届く事なく、ましてや追いつくはずもなく、跡部は思い切り良く雨中へと走り出していった。 慌てて手塚は降りしきる雨の中ですらぴんと張った背を追いかけた。程なくして赤信号に引っ掛かった跡部に間もなく追いつこうという時に、跡部の立つすぐその前でふらふらと歩道に歩みだす影がぶれて見えた。
「―――跡部っ!!」
延ばした手の先でふわりと浮くように跡部の体が動いた。
パァァーッと鼓膜に焼き付くようなクラクションと直に目を焼くヘッドライト。
ドン、と人の転がる音と雨の路上を滑りゆくブレーキ音。
時間の全てが静止したかのような間隔。
「―――――――――」
息すら忘れたかのように立ち竦む手塚。
だが・・・・・・・・凍れる時の時間はさほど長くはなかった。
「――ち、全身ずぶ濡れじゃねぇか・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・」
ゆったりと起き上がる跡部は、億劫そうではあるが怪我で体を痛めているようには見えなかった。
顔に泥が跳ねたか、無造作に腕でぐいと拭う様が跡部らしく――あまりに自然で手塚の体から力が抜けた。
「この姿で行くわけにゃいかねぇよな・・・・・・・・て、おい手塚ぁ、てめぇ、こんな所で何してんだ?」
「・・・・・・・・・・・・・何だろうな」
気づいた跡部が不思議そうにこちらを見やるので、手塚はゆっくりとだが跡部の方へと近づいていった。
跡部が身を挺して庇ったのは年配の御婦人のようで、恐縮して何度も頭を下げるのを「視界が悪いのですから、充分気をつけて下さい」と優し気な声で宥める跡部の声が聞こえる。こんな風に穏やかに話す事もできるのに、何故自分には常に喧嘩越しなのだろうと、不公平さを感じないでもない手塚である。
どうやら跡部のお陰で女性は怪我も無かったようである。すぐ近くだからと、跡部が送りましょうかと問うのを断り、今度は幾分しっかりとした足取りで歩き去っていった。
「どこか打ったりなどしていないか?」
「ん?受身とったから問題ねぇ。国一爺さんのお陰だな」
「・・・・・・・・・そんな事まで教わっていたのか・・・・」
囲碁や将棋ばかりでなく、どうやら祖父とは柔道の鍛錬までしているらしい。これ以上手強くしてくれてどうするのだ――と、手塚は後で祖父に苦情を申し入れようと心密かに思う。母の彩菜とも時折キッチンで仲睦まじくしているようであるし、もしかすると手塚家において跡部と一番親密度が低いのは自分なのではないか・・・・と思わなくもない。
「お前、傘、役に立ってないじゃねぇか」
「――――ああ、お前を迎えに来たつもりだったんだが、な」
「・・・・・・・・・・・・・そりゃまぁ・・・・・・手間かけた、な。しかし、俺様よりずぶ濡れってのはどうなんだ?」
「不可抗力だ」
手塚がきっぱりと言い切ると、跡部は「何だよ、それ」と、含むようにくくと笑った。
「―――使うといい」
「・・・・・・今更、だよなぁ」
傘を差し出した手塚に苦笑を浮かべつつ、それでも跡部は「サンキュ」と言い、手塚の手から傘を受取った。
雨に勢いは先程よりは幾分和らいではきたが、まだまだ止む気配はない。「行こう」と跡部を促すて、二人傘を並べ、手塚家へと向かった。
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