春の香り
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 最終学年となったその年の春先は、あてがわれた役柄上、忙しない日々が続いた。
 新入部員を新たに受け入れた部の方も、会長として各種の行事を率先して動かねばならない学業生活においても気の休まる暇が無く、気づけば春は盛りと通り過ぎかけていた。そんな折、母から「――桜の膳というのもいいわね」という言葉を受け、手塚と等しく多忙な日々を過ごしているであろう跡部へと連絡を入れる事となった。
 氷帝学園のテニス部は、規模が大きいなどというレベルではない。しかも部の方針とかで、副部長を沿えていないとも聞く。元々でも多数の部員を抱えていたというのに、今年の新入部員は例年に無く押し寄せてきたという事で、一人部を率いる跡部の重圧は計り知れない。また、氷帝学園は多数の行事も多く、手塚と等しく生徒会長を兼任する跡部は、その完璧主義な所も相まって手を抜くどころか過去に無い最良のものをと奔走している事だろう。
 だから、誘いはするが「良い返答は期待しないで下さい」と母には前もって釘を刺しておいたのだが、そんな手塚の危惧をものともせず、跡部の方は二つ返事で「行く」と返してきた。
「たまには息も抜きてぇんだよ」と続く言葉に、大分煮詰まっているのだな・・・・と体の方も心配になった。母のもてなしが、多少なりとも跡部を安らがせる事となると良いのだが・・・・と願いつつ、その日を迎えた。
 直接車で来るかと思いきや、電車を使い駅から歩いてくると言う。珍しいなと思っていると、「手塚ん家に行く途中の桜、まだ咲いてんだろ?」と問われたので、普段あまり気にしていなかった通りすがりの光景を思い起こす。そうして記憶を掘り起こすと、見てないようで見ているもので、昨日見た限りではまだ桜は満開の盛りであったと思い出す。週が明ければ一斉に散り急いでしまいそうな盛りの様相であった事も伝えると、「そいつをゆっくり眺めながら行くさ。のんびり桜見物もできなかったからな」と少し嬉しそうに言うので、ならば駅まで迎えに行くと、跡部が反論する前に先制攻撃をかけた。手塚もまた、改めて桜をゆっくり見てみたい気分となっていたのだ。跡部と共に、春の装いを緩やかに感じ取りたいと。
 
 穏やかな気候の中で、柔らかな風が頬を擽る中、跡部と共に桜並木を歩いた。交わす会話は相変わらずそう多くはなく、「どうだ?」と問われて「ああ」と答えるような、会話として成り立っているのかいないのか、判断が付きかねる所だろう。だが、当人同士にとってはそれで用は足せているので格別問題は感じない。
 家に着くと母が出迎えてくれた。跡部は他所では見れない、だが手塚家においてはお馴染みの柔らかな笑みをもって母に挨拶をしている。「お招き有り難うございます」と丁寧に礼を言いながら、小さな包みを差し出した。
「何かしら?」と嬉しげに問う母に、「桜の膳と伺っておりましたので、道明寺の桜餅を―――」と返した跡部の言葉に母の顔がぱっと輝いた。手塚は知らぬ事だが、どうやらその手土産は母にとって大層心擽るものであったらしい。やはり仲が良いというか気が合うのだな・・・・と、二人の仲睦まじい様子に微妙疎外感を感じたりもした。
 
 食卓は瀟洒な雰囲気で、和風の膳であるのだが不思議と跡部にぴたりとはまり、まるで添えられるべき1ピースであるかのように溶け込んでいた。
 薄紅色の桜飯に、桜の塩漬けで彩りを添えた鯛(これも桜鯛と言うらしい)の吸い物と、その鯛を軽く炙った焼き物と、小鉢に盛られた蛸の足。桜煎りと言うのよ、と笑む母に、本当に桜尽くしとしたのだな、と感心する。中央に置かれたくつくつと音を立てる鍋の中には、普段見慣れぬ肉が煮られている。これはどういう関連かと首を傾げれば、母ではなく横に座る跡部の方から「馬肉・・・・桜肉だろうよ」と、含むような笑い声を立ててつつの説明があり、してやったりの笑みを浮かべる母の顔とを見比べて、どうやら一瞬固まった手塚の反応を楽しまれたらしい、と遅まきながらに気づく。
 桜尽くしの名に恥じず、室内に持ち込まれた桜もあった。枝折り花瓶に射したわけではなく、祖父が丹精込めて育てた盆栽だ。小さな植木鉢に息づく桜の木には、しかりと満開の花が咲き綻んでいた。
 
 泊まっていけば良いのに、という母の言葉に、跡部は強硬な態度ではないものの、「まだ早い時間ですし・・」と固辞した。学業に関わるばかりでなく、日常的な事柄でも跡部が多忙を極めていると知らぬ母ではないので、それ以上強くは勧めなかった。「また遊びに来てね」と母に言われて、嬉しそうに「喜んで」と答える跡部の様子に、ああ楽しんでくれたようだとほっとする。
 いらないと断る跡部を無視し、駅まで送ってきますと母に伝えて跡部と共に外へ出た。「女じゃねぇんだから」と不満気にするので「客人を見送るのは当然の事だ」と返すと、「だったら次は俺が見送ってやる」と言ってくる跡部に苦笑が沸いた。
 やはりそう会話が進むわけでもない道すがら、手塚はここまで手に持ってきた袋を跡部に渡した。
「―――んだよ」
「土産だ」
「・・・・・・・そりゃ、どうも」
 一体何なんだ?不思議そうな表情のまま、それでも礼を言う跡部はこういう所に育ちの良さが現れると思う。手渡した簡易な袋の中身は、学校の帰りがけにふと目に付いた品が入っている。受けを狙ったわけなどではないのだが、その中身を知った時の跡部は笑い転げるかもしれない。
 季節が春の装いを示す中、ふと目についた小さな春。まん丸のふっくらとしたパンの中央に、ちょんと添えられた薄紅色の桜の飾り。
 少しばかり塩気を含んだ桜を添えたあんぱんを、跡部は食した事があるだろうか・・・・?そんな事を考えていたら、ついつい買いこんでしまった。
 
 春の香りが、甘く、柔らかに届けば良いと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 2006.03.06
 
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