過ち
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 実力差は明らかだった。
 優れた選手というのは肌で感じ取る事ができる。力を隠していても、わかるのだ。
 それは好敵手を感じ取る勘というべきものだろう。だがその感覚が・・・・自分の属するチーム内で・・・・下は上に従う、下級生は上級生を敬うのが当然といった、縦社会として構築されている学内で・・・・部内において・・・・働く事はなかった。
 体格差こそ反則な程あるものの、負けるとは到底思えなかった。どころか、圧倒的な点差をつけて勝つのは間違いない。それは慢心などではなく、自らの実力と相手の実力とを照らし合わせて導き出された想定結果でしかない。手塚が本気の力を出せば、完膚無きまでに相手を負かすというのは、純然たる事実でしかない。
 本気を出す必要はないと思えた。相手を侮ってというわけでもなく、後々の面倒を避けるという計算もあった。先輩後輩の関係を重視する奴は少なくなく、手塚に勝負をふっかけてきたテニス部の先輩も例に漏れずその類と見えた。あまり点差をつけて勝ってしまうと、相手が逆上するかもしれないという危惧もあったかもしれない。
 小学生の頃に出ていた大会の中で、手塚に大敗した相手がコートにラケットを叩き付けた後、手塚に掴みかかってきた事があった。すぐにそいつは取り押さえられたけれど、相手の自尊心を傷つけ過ぎると予測もつかない行動を取るのだという事を、その時に少し学んだ。
 対峙した相手の逆上を誘発しない為ばかりでなく、個人的な理由もあった。利き腕は左であるが、手塚としては右手の方も遜色ない程度・・・・できれば同等の力を持たせたかった。方利きよりは両利きの方がプレイの幅が広がる。その幅の分だけ、手塚の内なるゾーンとする事ができる。それに何より、ある程度は続いてくれないとつまらない・・・・という思い。それこそが慢心であると、指摘されるまで気づかなかったけれど。
 
 
「手を抜くというのは、相手を軽んじる事だから。自尊心を傷つけられるよね」
「―――自尊心、か」
 
 慰めるような大石の言葉に苦く笑う。自尊心というものは、厄介なもので、実力と比例しているものばかりでなく、遥かに遠く肥大していたりする。しかし、それがある故に、負けを認められず、己を鍛え高めていくという事もあるようだ。
 念の為という事で、大石に付き添われて病院へ検診をと誘われたが、痛みはとうに引いていたので断った。あんな理不尽な攻撃を受けたぐらいで傷などつかない、そんな反発心もあったのかもしれない。
 青春学園としては悲願である全国大会の参加も適わなかったその年、王者の名に君臨したのは立海大附属中学校だった。同じく全国大会へと歩を進めた氷帝学園は2回戦にて敗退したと聞く。あれほど実力ある学校ですら、そんなに早く消えてしまうのだから、全国という場におけるレベルの高さに高揚感を覚える。
 夏から秋へと移り変わる季節の中で、世代の交代も少しずつ行われていた。大和部長は時期部長に部の運営を任せるようになり、チームの主体は2年生陣が占めるようになっていった。そして手塚達1年生も、球拾いやコート整備といった雑用ばかりでなく、素振りやランニングといった初期練習ばかりでなく、部内のランキング戦においてもレギュラー陣を脅かす存在となりつつあった。そんな中で手塚の実力に関しては、すでに誰もが認めつつもある。
 
「氷帝学園に行くのだけれど、君も一緒に行かないかい?」
 
 と、大和部長に誘いをかけられた手塚は、練習とを計りにかけて少し悩んだが、その誘いの方を選んだ。次期部長の顔合わせが主な用事であるらしいので手塚が付き添う意味は謎だが、大和部長は「君は何れ青学の柱になる人物だ。強豪校を肌で感じておくのは悪い事ではないよ」と言われて少し困惑する。この人は自分が青学の部長となり、部員達を率いていく事を疑っていない。テニスの実力だけならば、部内の誰にも負けるつもりなどないが、人間性という面から言えば自分は失格なのではないかと近頃思いつつある。人を腹立たせてしまう自分などよりも、温和で人当たりの良い大石あたりの方が余程向いているのではないかと。
 
 氷帝学園の顧問の先生に挨拶を済ませた後、大和部長は練習試合の話し合いをするという事で、青学の次期部長を連れ、氷帝学園の部長と共に何処かへ行ってしまった。その間は見学でもしていると良い、と氷帝の部員に引き渡された。置去りにされた感はあるが、話し合いに参加してどうとなるわけではないし、それより氷帝の練習を見ている方が余程良い。
 観戦用スタンドに案内され、その設備の充実さに目を見張る手塚を前に、案内役をしてくれた氷帝の部員は「資金は潤沢、部員は盛大、これぐらいはあたりまえなんだ」と線の細い風貌に笑みを浮かべて言った。親切な彼の時間をこれ以上無駄にさせたくなくて、あとはここで見ているからと伝えて練習へと戻って貰う。「何かあったら呼んでね」と穏やかに言い残した少年の名は、滝と名乗り去っていった。
 
 見下ろす下は丁寧な手入れをされたハードコート。ぞろぞろとやって来たのは氷帝レギュラー陣だろう。青学の部員達とは違う、独特の空気を彼等はまとっていた。中学生とはいっても、中には180センチを超えるような長身の生徒達の中に紛れ、一際小柄な姿が目を惹く。どんな雑踏の中においても見過ごす事などないのだろうかと思える程に、その少年は一人浮き上がって見えた。
 手塚の記憶に焼きついたまま、未だ薄れる事のないその姿―――跡部景吾。氷帝学園に来れば、彼の姿を垣間見る事ができるかもしれない――そんな考えがちらりと浮かんだのは確かだ。
 手塚の見る先で、彼等は対戦式のミニゲームを始めた。さすがは全国大会出場校であり、自校と比べてその実力差が感じられた。そして、跡部の試合が始まった。
 生き生きと、楽しげにコートの中を縦横無尽に駆け巡る。そこまで?と思うようなボールにも、走り抜けて食らい付いていった。がむしゃらさではないけれど、決して手を抜かない、テニスを心から楽しんでいる姿。跡部の方が明らかに勝っていると思われる相手との試合展開においても、それは変わる事はなくて――――
 
「・・・・・・・・・・・・・」
 
 ぎゅうと、拳を握り占める。
 首筋を伝う汗は、まだ照りの強い残暑によるものではなく、ひやりと冷たさを伴うもので。
 
 ―――過ちを、正す。
 
 跡部の弾けるような笑みが、手塚の意識に染み渡っていく。
 
 
 
 テニスは楽しいものなのだと―――思い出した。
 
 
 
 
 
 
 
 2006.03.05
 
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