七色(なないろ)の夢
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 無色透明無味乾燥・・・・というわけではない。
 転寝した際に見る瞬滅の夢は、モノクロで簡素な世界であるのが常だった。
 時折、切り裂くように赤に染まる。
 真っ赤なペンキをぶちまけたかのような、そこだけ妙に色鮮やかに引き裂かれる空間。
 繰り返し、繰り返し・・・・思い起こされる罵詈、罵声。
 憎悪すら内包した視線は、今尚記憶に焼きついている。
 
 自分はそれ程までに、憎まれるような行為をしたのだろうか。それ程までに腹立たしい存在であったのか。
 理不尽な行いをされたという事実と、彼等のあまりの底の浅さを蔑むのは簡単な事。だが、部長である大和はあの件を不問とした。その場において与えた罰にて事は収まったという事らしく、事の経緯を聞こうとはしなかった。暴力行為を起こした部員を退部させはしなかった。学校側へと報告する事もなかった。
 
「喧嘩両成敗と言ってね」
 
 穏やかな表情の中に確固たる信念を潜ませた一見すれば頼りなくも見える部長は、問題を引き起こした部員を叱る事なく、そして手塚を慰める事もしなかった。
 形ばかりの謝罪を受けても、手塚にしても迷惑なだけではあるけれど。かの上級生達が自分を見る視線には、未だ燻るものがあって、このまま部に残る事が正しい道とも思い切る事はできなかった。
 青学の柱。
 なれるというのか。こんな風に、率いるのではなく、惹きつけるのでもなく、人を暴挙に進ませてしまうような自分が。なれるというのか。そんな存在に。
 部長の言葉に心酔したわけではない。乗せられたわけではない。あまりに馬鹿らしいと思い、テニス部を去ろうとはしたが、テニスを止めようとしたわけではなかった。部活動という枠は制限がありすぎる。テニスを続けるには、他にも選ぶ道はあった。
 だが、それでも手塚は青学のテニス部一員として在る事を選んだ。大和部長の存在。竜崎コーチという存在。そして、友人の大石という存在が、もう少し留まってみようと思わせたのだ。
 
 
 
 
 
 
「跡部は『嫉み』という感情をどう思う?」
「アーン?」
 
 
 偶然、駅で乗り合わせた時の事。
 乗換えの為にそれまで乗っていた電車から降りた。階段を昇る途中、上からチャリンチャリンと小銭が転がる音に足を止め、財布の中身をばらけてしまったらしいサラリーマン風の男に足元に転がってきた小銭を拾い上げて渡した。大仰に礼を述べる相手に「いえ」と素っ気無く返し、隣のホームへと移動すれば乗換えの電車は行ってしまったばかりで、次が来るまで20分は待たねばならないと知り、仕方ないとベンチに腰を降ろした所、落とした視線の先に磨きぬかれた皮の靴が映った。
 質の良いチェックのズボンは見知った色柄で、―――氷帝学園と判断するより前に顔を上げた先には、突然現れては心臓に悪いだろうと訴えたくなるような、中身(性格)を見知っていても思わず見惚れてしまうような、綺麗な顔。
 
「――見てたぜ。お人好し野郎」
 
 にやにや意地悪そうに笑う顔。――見られて困るというわけではないけれど、何やら悪さを見破られたかのような気まずいような、こそばゆいような、奇妙な感覚。
「・・・・別に、普通の事だろう。物が落ちていたら拾う。ただそれだけではないのか?」
「は、ん。それだけね。お陰様で電車に乗り遅れたって?」
「そういうお前―――跡部はどうなんだ?」
「俺か?てめーが親切行為を行ってるのを見物していたら、乗換え電車に乗り損ねた」
「それは、俺のせいになるのだろうか」
「ああ、てめーのせいだな」
「そうか。それはすまなかった」
 誰が聞いても手塚に非があるとは言わぬであろうが、何故だか謝罪しなければならないような気分にさせてしまうのが跡部という男だ。そして手塚はそういう事にはこだわりが無い。当然だ、とばかりに鼻を鳴らす跡部に対しても、怒りは沸かなかった。
 当然のように隣にどかりと腰を降ろした跡部に、他にも空いているだろうとは言わない。他にも空いている。隣も空いている。だから跡部が何処を選ぶのも自由である。
 
 生暖かい風が頬に触れた。
 暑いな、と思い跡部はどうなのだろうかと隣を見れば、暑気など感じていないかのような涼し気な顔。汗を掻かぬのだろうか?と疑問が浮かんだが、跡部は人形ではなくれっきとした人間だと思い出す。その整いきった造作から、つい馬鹿な考えを思い起こしてしまったようだ。
 醜い感情などに関わりなく、遥か遠く・・縁無き如く見える存在。あの試合会場での状況から考えて、先輩達にも可愛がられているのだろう。素直とか従順とか、可愛がられる要素からは程遠い存在のようだが、魅力溢れる人物というのは間違いないのだと思う。ほんの僅かに見知っただけである手塚ですら、印象深く記憶に焼き付けられているのだから。
 ツキリと、腕が痛んだ気がした。肘に神経を集中させるが、続く違和感は感じなかった。
 気のせいか、と意識を戻すが心の中に感じたもやもやは消し去る事ができない。隣に座る自信に溢れた存在が、重苦しさを誘発する。
 跡部は悪意を向けられた事があるのだろうか・・・・その突然浮かんだ疑問のままに、手塚は問いかけていた。
 
 
 
 
 じっと、こちらを探るように目元が眇められる。日本人としては特殊な瞳の色合いに、跡部の目には世界はどう見えているのだろうかと、硝子越しに世界を見ている自分と比べ、何らかの隔絶めいたものを感じる。
「・・・・・・・看板屋が、居たんだよな」
「―――は?」
 唐突な跡部の言葉に反応しきれない。その時の手塚はさぞかし間抜け面を曝していた事だろう。だが跡部の方は、そんな手塚の顔を見ていなかったのか、記憶を掘り起こすかのように遠い目で空を見上げた。
「幼稚舎の頃。帰りに何だか囲まれてよ、黄色い頭がどーのこーの抜かして囃し立てやがる。見りゃわかるだろうが、俺の髪の色は『皆と同じ』じゃない。基本は茶色だが、光の加減で金髪っぽくも見える」
「・・・・・・・・そうだな」
「ガキの頃、見渡す限りは黒い頭だろ?別にだからどうだと思った事はねーけど、時々居るんだよな。違うって事を鬼の首取ったみてーに騒ぐ奴」
「・・・・・・・・・・それで、どうしたんだ?」
「黄色黄色ってうるせーから、教えてやった」
「・・・・・・・・・・どうやって?」
「足元にちょうど黄色のペンキ缶が落ちてたから、そん中に突っ込んだ」
「・・・・・・・過激だな」
 あっさり事も無げに言い切る跡部に他に言い様の無い手塚だった。そもそも落ちていたのではなく置いてあったのだろうとの事実確認すらできない。しかし跡部は「本当の黄色って奴を教えてやったんだよ」と事も無げに言う。そして更に言葉を続けた。
「目についてもなぁ・・・・『青い目なんておかしい!ちゃんと見えるわけがない!』とか抜かすからよ」
「・・・・・・・どうしたんだ?」
「だったら同じにしてやろうかと思って、青セロファン使って眼鏡を作ってやった。一日そいつつけて過ごさせたんだが・・・・帰りがけ泣いて謝ってきたんだよな。親切のつもりだったんだが、なんで泣くんだ?」
「・・・・・・何故だろうな」
 いやそれは苛めだろう・・・・とも言い切れない。そういう観点からいけば、跡部に報復された(跡部にそのつもりはないようだが)奴等の行為の方が正しいそれだ。
「あ、あとよ」
「・・・・・・まだあるのか」
「帰ろうと下駄箱を覗いたら靴が無くてよ、宍戸達に手伝って貰って探したら、便所に捨てられてたんだよなぁ」
「そ、そんな事が?」
「何度かあったぜ?鞄を焼却炉に突っ込まれた事もあったし、体操着をずたずたに引き裂かれた事もあったし、植木鉢が落ちてきたりとかよ」
「・・・・・・・・・・・・」
 聞いただけで胸が悪くなるような話を跡部は平然とした顔で指折り数えて並べていった。そんな事をされれば、普通ならば不登校になるだろう。だが、跡部には全く影というものが見受けられない。過去の出来事に胸を痛めている様子すらない。
「靴ん時は御丁寧な直筆メッセージ付きだったからな。ありがたく証拠品として筆跡鑑定に使った。意外に使えるもんだな」
「日本の警察は優秀だ」
 警察官の身内というわけではないが、祖父が警察に関わっている為、何となく身内贔屓のような発言をしてしまう手塚だった。
「法治国家としてはそれなりなんじゃねぇの?ま、犯人も特定できたんで、証拠品揃えてそいつん家に行った」
「謝罪させたのか」
「親に叱られてじゃ意味ねぇだろ。ちゃんと自分のやった事の意味がわかるように、そいつの親も交えて確約させた」
「・・・・・・・何を?」
「他人の靴を勝手に潰したんだ。自分で責任取らせるべきだろ?靴屋の職人の所に一足自分で作り上げるまで通わせた。ああ、それとその出来上がるまでの間、そいつには草履を履かせたか。そーいや、その頃ぐらいか?周りで騒ぐ奴が減ったの。ま、ガキなんて飽きっぽいもんだよな」
「・・・・・・・・そうだな」
「ん?何かずれたか?嫉妬がどうのの話してたんだよな?」
「・・・・・・・・いや。もう、良い」
「そうか?」
 不思議そうに首を傾げる跡部にかける言葉を見つけられぬ手塚であったが、沈黙の時間は長く続く事もなく列車の侵入を知らせる駅のアナウンスにより断ち切られたのだった。
 
 
 
 彼と―――跡部と出会って以来、手塚は色の付いた世界で生きている。
 光を孕み、世界が色づく。
 
 薄紅色の花びらが舞う桜の季節の夢がある。
 新緑煌く初夏の季節の夢がある。
 鮮やかたる鮮烈な熱暑の季節の夢がある。
 
 色とりどりの、七色の、夢の世界も色づいて、光眩しく視界を覆う。
 
 瞬きの間に見過ごすのも勿体無く。
 暗い闇に足を取られて躓く僅かな時すら勿体無く。
 
 
 色褪せている暇すらなく、現実も、虚実も、夢の中すら色づいて――――
 
 
 
 
 
 
 2006.03.04
 
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