遊歩道を歩いていた手塚の足が止まる。数歩先を歩いていた団体の中で、気づいた不二が振向いた。
「――手塚?」
どうしたの?と近づく顔は幾分心配気だ。昨年とある事件によって手塚の肘が傷つき、長い休養を余儀なくされた事を知る一人であるので、その傷に関わる事かと思ったようだ。
道々を飾る満開の桜並木に心を奪われたとは考えていないらしい。急ぐ足でない者は、足を止めて感嘆の視線を向けていたりするのに、手塚もそうであるとは、可能性にすら思いつかないのか。
「桜が咲いている」
「ああ、そうだね。普通の桜はもう時季が過ぎたけれど、八重桜は今が盛りみたいだ」
「ああ、見事だ」
どこか眩し気に仰ぎ見る手塚の姿に、不二は常により割増的に目を細める。
「君、桜が好きだったの?」
「綺麗だとは思う。昨年も綺麗だった」
「少し、意外」
「――鮮烈な・・・・一度目にしたら忘れられない鮮やかさだ。どこか荘厳で儚くもあり、力強くも清冽だった」
「・・・・・・・・いつの話?」
「新人戦の頃だったか」
「へぇ。そういう事か」
「・・・・・・・・・・」
楽し気に笑みを浮かべた不二の表情は、手塚には見えていない。ただ魅入られたように桜の木を注視していた。
「―――また、逢えたらいいね」
「あぁ」
聞いていないかと思えた手塚の意識は、一応しっかりはしていたようだ。不二の方を振向いた時には、呟く言葉に込められていた熱っぽさはない。
なかなかボロを出さないよね、と思う不二は時折手塚で遊んでいる感がある。そんな不二が手塚の初恋話らしきネタに飛びつかぬ筈がない。新人戦の日付は男女合同だったかな?と疑問に思わない事もないが、マネージャーという事もある。しばらくはこのネタで楽しめるかな、と手塚を励ます一方で、人の悪い事を考えていた。
囚われた感情が恋愛感情であったという意識は手塚にはない。
ただ、意識に焼きついたその存在が、忘れられなかった。
成長途中の未だか細い体躯から放たれるパワフルなプレイ。そして、あくまで基本に忠実でいながら、不思議な程に視線を惹きつける華やかさ。そして何よりコートの中の彼はいきいきと、誰より楽しそうだった。
彼の試合をもう一度見たいと思っていた。けれども、上級生との諍いにより、手塚は腕を故障した。その場は大した事ではないと思っていたが、蓄積されていった疲労と絡まりあって深刻な事態となった。
公式試合への参加はコーチの命令によって制限され、一年生の間は治療とトレーニング中心の生活となってしまった。
今年の大会では彼の姿が見れるだろうと、手塚にとってそれは一つの楽しみであり目標となっていたのだが―――
その年、大会上位入賞常連校であった氷帝学園は、全ての大会に参加する事なく棄権した。何らかの事情がある事は間違いないのだが、青学では脅威の情報通である乾の耳でも、氷帝学園にまつわる噂話は拾えなかった。
追い求めていた存在が目の前で眠っている。その事に驚かない人物など居ないだろう。氷帝学園の生徒だった筈の彼が、青春学園の制服を着ている事実。単純に考えれば転校してきただけなのだろうが、そう単純な話でもないように思えた。
惚けたように凝視していた視線の先で、開かれた瞳。
しかしそこには、かつて眩しい程に輝いていた筈の生気がない。ほんの小さな光すらも、見る事ができなかった。
「―――寝ちまってたか」
億劫気に身を起こす彼の体から、はらりと花びらが落とされる。何処か疲れたような印象があるが、その小さな動きからも衣服の下の張りある筋肉が感じとれた。
今の彼はどんなプレイをするのだろう。何よりもそこが気になった。
「・・・・・・手塚・・・・」
「ああ」
「―――生徒会長、だったか?」
「・・・・そうだ」
「悪ぃ、式、さぼっちまった」
軽く肩を竦める彼は、然程悪いとは思っていないようだった。元から出るつもりなどなかったのではないだろうか。先ほどの有様から考えても、随分長い所ここで寝ていたようだ。
「感心しないな。――クラスと名は?」
「クラス、クラスねぇ。どこだったかな。今日から転入するんで、まだ聞いてねぇ」
「先生に聞いてないのか」
やはり転入生かと納得する一方で、恐らく担任となった教師が心配しているのではないかと思う。登校途中で迷ったか、それとも何処かで倒れてはいないか気が気ではないのだろうか。
「門くぐった後、そのままふらりここへ来ちまった。――桜が咲いていたからな」
「桜など、いつでも見れるだろう」
「―――――」
手塚としては当たり前の事を言っただけのつもりだった。確かに数日内に散り落ちてしまうであろうが、一時間、二時間の内に全てが丸裸になってしまうような事はない。だが、何も言葉を発していない彼の全身に、びりと電流が走ったように感じた。
「すまない」
「・・・・・・・・謝られるような事ぁ、言われてねぇな。詫びるのはさぼったこっちの方だろ」
「そうなのかもしれない。だが、すまない」
深く頭を下げる手塚から、彼はふいと視線を逸らす。横顔が涙を堪えているように見えるのは、手塚の気のせいなのだろうか。
「名前を、教えてくれないか?俺は手塚国光だ」
「・・・・・・跡部。跡部、景吾。覚えておく必要はねぇぜ」
「いや。覚えておく」
「ふん。好きにしろよ。俺はもう帰る」
「そうか。油断せずに帰るといい」
「ばーか。油断なんざ、しねぇよ」
「・・・・・・・・・・・」
桜の木の下で再会した彼は、かつての彼ではない。まるで散り際の桜が如く儚気で、痛々しく、そして、潔い。桜に魅入られたのか跡部に魅入られたのかわからぬまま、手塚は長くその場に立ち尽くしていた。
散り降る桜花の中に消えていった跡部の背は、酷く寂しそうで――孤独に見えた。
(逢えたらいいね)