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01.根本的に誤りがありませんか? 休日になれば数を増す折込広告に目を通していた母が小さく呟いた。 「――――景ちゃんがうちの子だったらよかったのに」 「・・・・・・・・不甲斐無い息子で申し訳ありません」 「あら。国光は大切な一人息子よ?」 「・・・・・・有り難うございます」 心外そうに振向き否定した母の言葉に礼を言う。そこに嘘偽りの類はなかった。 家族仲は良好。反抗期の類も綺麗にスルーしてきた手塚であるので、手塚家は順風円満波風無しの状態で日々を過ごしている。いや。無風というわけではないが。外部より時折突風・・いやつむじ風・・いやアレはすでに台風のようなものだろう・・が外部より突然やってくる。まぁそれも―――手塚家の誰一人として迷惑には思っていない、むしろ歓迎(手塚当人も含め)しているのだから、何ら問題ない事ではある。 「ただね、もう一人子供が欲しかったなと思っているの」 「・・・・・・今からでも問題ないのでは?」 「あらいやね。国光ったら。そういう事は国晴さんと相談しないと」 くすくす笑いながら窘める母に、下世話な振りをしてしまったと後悔する。自覚はなかったが、仲間達に毒されてきているらしい。いや、もしかすると育ちばかりは上等な奴の悪影響かもしれない。 だが、見た目が若いという事もあるが、その気になればもう一人ぐらい子供というのも難しい事ではないだろう。年の離れた弟妹というのに、男子中学生ともなれば引っ掛かりを感じるものかもしれないが、生憎と手塚としてはそういう細かい神経は持ち合わせてはいない――もとい気にする方ではない。もともと部内でも騒がしい面々(同年を含め)を面倒見ているので弟の世話をしているようなものだろう。ただ一つ憂慮するならば・・・・・・もし小さな弟や妹とでも散歩に出た場合、父親と間違えられないだろうかという事ぐらいである。 「ふふ。そうね。小さな子が出来て、景ちゃんと国光とで一緒にお散歩に行ってもらったら、まるで新婚さんね」 「・・・・・・・・・・・・」 己の心を見透かされたようでドキリとする。あれでいて面倒見が良く、動物子供の類には優しい跡部であるので手塚家に次子でも誕生すれば率先してあやしてくれるだろう。その姿はまるで母のように見えるかもしれない――などという考えは到底本人を前にしては口にできない。流れるような罵詈雑言で済めばまだ重畳。あいつはあれだけ繊細な風貌をしている癖に、何かにつけて手も出る足も出る。そしてその唸る右腕はラケットをも吹き飛ばす強烈サーブを放つある種の凶器だ。 まぁ何にしても家族が増えるのは喜ばしい事だろう。しかし高齢出産ともなれば母体にかかる負担は大変なものらしい(と、レクチャーされたのだが何故あいつはそんな方面にまで無駄に知識が深いのか)ので、無理をしてまでとは思わない。母の身に何か起こってしまう方が心配である。 そんな事を手塚は考えていたのだが、肝心の母の方はといえば全く違う方面に思いを馳せていたようである。このあたり、会話が通じているようで実は繋がっていない手塚家の特徴たるものかもしれない。 「豪華に奮発しちゃったかもしれないわね」 「・・・・・・?」 「だけど、国晴さんならずっと仕舞わずに飾っていそうだわ。お義父さまもかしら?」 「あの。何の話なのでしょうか?」 母の話について行けず、手塚は意を決して尋ねた。後に聞かない方が良かったかもしれないと思いはしたが。 「いやね。お雛様の話よ」 「・・・・・・・お雛様、ですか」 「そう。雛祭りを過ぎてもね、お雛様を飾っておくとお嫁さんに行くのが遅くなるという言い伝えがあるの。お義父さまや国晴さんの場合、わかっていてやりそうでしょう?景ちゃんが怒ったらきっと涙目で訴えるのよ」 「・・・・・・そうかも、しれません」 呻くように返した手塚は、母の手元にあったカラフルなチラシに目が行った。 そこにあるのは華やかな人形達の写真が載せられた広告であって―――そもそもアイツは男です―――その言葉を手塚は呑みこむしかなかった。 02.そうとしか聞こえねぇよ 仮定というものは、あくまで仮定でしかないけれど。 想像してみると、意外に心楽しいものであったりする。 「まぁ、もしも・・・・何だけどね」 「?」 思わせぶりな言葉を放られる事は少なくない。 青春学園のチームメイト達は、手塚の反応をもって遊んでいる節があるからだ。 部長としては厳しく接してきたが、こと日常生活においては彼らに敵うべくもなくて。 例えば不二とか。例えば乾とか。場合によっては大石やら菊丸やら、下手をすれば河村にすら敵わぬ場合がある。 「そう警戒しなくてもいいよ」 「・・・・・・」 無言で探るような視線をむければ、不二はくすくすと含むような笑い声を立てた。 お前の日頃の行いがそうさせている・・・・と訴えたところで無駄だろう。 「ちょっとした仮定の話。もしも氷帝の跡部がうち(青学)に入学していたらどう思う?」 「・・・・・・・・・・・」 考えこむ手塚よりも先に反応したのは周囲の者達だった。 即座に顔を顰める者、声を張り上げ即否定する者に混じり、肯定意見もないでもない。乾あたりは興味深そうに、仮定でしかないというのに何やらデータ取得を夢想しているかのような面構えだ。その横で腹部を押さえている大石と対照的であるかもしれない。 最も「うわっ!嫌っすね!」などと言葉を放った桃城にしたところで、実のところはそれは良いかもしれない、などと思っているであろうが。少し前に跡部より「・・桃城に懐かれた」と少々途方に暮れたような表情で報告を受けたばかりだ。 あれで面倒見の良い跡部であるから、そうなってしまうのも自然の流れではあるのだが。だから無闇に構ってくれるな、と訴えているのだが、その希望を聞き入れられた試しはない。越前ですら懐いているのだから、そのたらしこみぶりといえば相当なものだ。 「手塚?」 「・・・・あぁ。楽に、なるだろうな」 「は?」 「跡部がいれば、部長を任せられる」 「・・・・・・それって」 「あいつ程に部長という役目に適している奴は居ないと思うが?あいつは自分を変えずに場に合わせる事のできる奴だ」 「まぁ、アレな性格だけど面倒見良いみたいだしね。意外に辛抱強いし」 「俺は元々部長など向いてはいないからな。生徒会長にした所で、あいつが居れば票は向こうに流れてくれるだろうしな」 「それって跡部に全部面倒任すって事?」 「・・・・・・そういうつもりはないが」 ないのだが、そう聞こえるかもしれない。だが実際、青学においても自分等より余程うまくこなすだろう。そしてそんな跡部を見てみたい気もする。 「そうとしか聞こえねぇよ」 「―――跡部」 突然言葉を挟んできたのは、噂の主その人で。ここに居る筈のない跡部が何故かそこに居た。 「何故、ここに」 「用事があるからに決まってんだろ。青春学園のスカウトさんがな、高等部への誘いをかけてきてたんだよ。ま、その返事に出向いてきたってわけだ」 「・・・・・・・・それで、その返事は」 「あぁ?断るに決まってんだろ。理由は別にあったが、「手塚に面倒・厄介事を押し付けられるから」と言っておく」 「ああ、それじゃぁ納得するしかないね」 「だろ?」 「・・・・・・・・・・・」 どちらにしても断る気だったのだろうが・・・・手塚は自ら可能性を握りつぶしてしまったような気がした。 03.並んだのか 玄関先より、華やいだ声が聞こえてくる。 来客かと思い、下りかけた足を返しかけた時、「・・・・国光・・・・」と会話の中に紛れた自分の名に気づく。 もしやと、伺うように階段を下りながら玄関先を覗き込むと、そこには予測通りの姿があって。 引き止める母と、苦笑気味に退出しようとする跡部。珍しくはない組み合わせではあるのだが。 「―――跡部」 「よぉ。元気そうだな」 「息災だ。上がらないのか?」 「届け物を持ってきただけだからな」 肩を竦める跡部から、母の方へと視線を流すとその手になにやら包みを持っている。これをもって来たという事なのだろう。しかし、ここまで来て水臭いとも思う。それだけ多忙なのかもしれないが。 「忙しいのか」 「いや。別に。ただ、本当思いつきで持ってきただけだ」 「折角ですもの。跡部君も食べていけば良いのに」 嬉しそうに母が抱えた包みは食べ物という事か。まぁ、あまり値が張るものは持ってきてくれるなと、以前に注意してあるので大仰な品ではないのだろうが。 「並んだでしょう?」 「それほどでもないですよ。たまたま横を通りかかりまして。これなら皆さん食べれるかと思いましたら、ついつい並んでしまいましたよ」 「うふふ。こんな綺麗な子がたいやき屋さんの列に並んでいるなんて、皆さん驚いたでしょうね」 「いや、そんな事はないですよ」 くすくす笑う母に戸惑う跡部。賞賛など聞きなれているであろうに、母相手となると物慣れぬ様を見せるのが不思議のような、納得もできるような。 しかし。 「・・・・・並んだのか」 「ん?まぁな。列できてたしよ」 「・・・・・列に並ぶのは嫌いだと聞いていたが」 そう。先々週だかに、ちょうどレジャーパークのチケットがあったので誘いをかけたのだが、無碍なく断られたのだ。 曰く、「並ぶのがウザイ」との事。 「嫌いだぜ?だけど並ばねぇと買えないだろ」 「このお店、通路の中で折り返して列を作っているのよね。狭かったでしょう?」 「まぁ、貴重な体験ではありましたよ」 母の言葉にどうという事はないとの表情を浮かべる跡部は、母に気にしないで欲しいのだろう。 しかし。 「・・・・人ごみも嫌いだと聞いていたが」 「嫌いだぜ?鬱陶しいだろ?」 そう。先週、見たい映画があったので誘いをかけたのだが・・・・一も二もなく断られた。 曰く、「んな騒がしい所に行ってられっかよ。鬱陶しくて仕方がねぇ」との事。 跡部の性質を考えるにそれも仕方がないだろうと思っていたのだが。 しかし。 「・・・・母の為には並ぶのか」 「当然だろ?」 間髪入れずの即答に、何やら跡部の自分に対する扱いについて膝をつめて話し合いたい気分となった。 母の手の中にある包みより、ほんのり流れてくる甘い香りが微妙に苦い、そんなある日の事だった。 04.誰が世話をすると思っているんだ 「・・・・・・・・・・・・」 降りしきる雨の中、立ち尽くす。 帰宅途中で買った安いビニール傘は、一応雨風を防いではくれるのだが完全とはいえない。横から吹き付けてくる雨は肌を濡らし、少し伸びかけてきた髪を貼り付ける。 取っ手を持つ手もしとどに濡れて、春というにはまだ寒い外気が冷たさを倍化させる。 早く部屋に帰り、熱いシャワーでも浴びたいと、思う心は確かにあるのだが・・・・どうにも縫いとめられたように足が動かなかった。 傘を差し出し、わずかばかりの満足感と共にその場を去るという選択を取ろうとした跡部の背に「どうした?」と手塚の声がかかる。そのまま踵を返すべきだったのだろうが、跡部は振向く前にしゃがみ込み、躊躇いを振り切って手を伸ばした。 「悪ぃ。待たせた」 「―――いや」 「・・・・・・・・・」 少しばかり不審そうにこちらを見る手塚の視界を抱えた荷で遮る。傘という障害物もあって、隠すのも難しい事ではなかった。 道路に溜まった水溜りを弾きながら歩き出す跡部に、手塚は無言でついてきた。 「戻して来い」 「てめぇ、ひとでなしだな」 「・・・・・・・・・」 「・・・・・・・・・」 部屋に戻ってから、濡れた衣服を着替え、温かい茶を飲みながらも互いの会話は平行線。 先ほどより、どちらも譲る事なく一歩も引かない。元々が、手塚にしても跡部にしても言い出したら聞かない面がある。自分に非があれば、謝罪する事を知らぬわけではないが、この場合はどちらにも非があると言えるし、どちらも正しいと言える。 「―――誰が世話をすると思っているんだ」 「俺様だが?」 互いに睨み合い、再び沈黙。 伝家の宝刀ならぬ、お母さんのお決まりの一言を口にした手塚に、あっさりと返した跡部の言葉は嘘偽りではない。 跡部の足元でぴちゃぴちゃと必死にミルクを舐める小動物――所謂子猫なる存在であるのだが、部屋で飼うとしたら世話をするのは跡部で間違いない。 「決まりを破るわけにはいかない」 「ペット可の筈だぜ?」 跡部の反撃にに手塚は言葉を詰まらせる。そう、今まで手塚は動物を飼うという事を考えた事はなかったが、ここは基本的に動物を飼う事を禁止していない。右隣はハムスターを飼っているらしいし、上の階の人は犬を飼っているらしい。 手塚としても、雨の中に捨てられた猫を戻すという事は、心が痛まぬわけではない。誰か心ある人が拾ってくれるのならば良いが、一晩持たずに死んでしまうかもしれない。 だが、跡部にこの猫がどんな反応をするか心配な面の方が大きい。しかしながら、それは杞憂であるのだろう。子猫は跡部を親とでも思い込んだのか、慣れた手つきで撫でる手に気持ち良さそうに喉を鳴らした。 本当の所の理由は、そんなものではないのかもしれない。子猫に向けられる愛情深い視線が、羨ましいのと妬ましいのが本音のところだろうか。 こんな小さな生物に・・・・とは思うが、今まで跡部を独り占めしてきたのだから仕方がないではないか。 「おら?腹はいっぱいになったか?よしよし、だったら寝ろ。怖い兄ちゃんからは守ってやるからな、安心しろよ」 「・・・・・・・・・・」 抱き上げた跡部の膝の中で、心地良さそうに丸くなる子猫。これは、妬ましく思っても当然の事ではないだろうか? 不満を抱えてじぃと見つめる手塚の視線に、「・・・・ばーか」と跡部が苦笑気味に言葉を放つ。 そんなに、わかりやすい表情をしているのだろうか。いつもながら、見事なインサイトというべきか。 だが、読み取ったならばこちらの方も構って欲しいものだと、願う心は我侭だのだろうか。 05.やりにくいんだが 「……」 「おいっ!?」 手塚は跡部の腕を掴むと有無を言わさずといった態で引っ張っていった。連れ込む先は己の部屋だ。 閉めた扉を背に先に中へと押し込んだ跡部と正面なら向き合う。跡部は幾分とまどった表情を浮かべていた。 「座れ」 「…正座、嫌ぇ」 「…そっちでいい」 指し示した床は拒否される。それは大した問題ではないので背後のベッドの方へと促した。 「で、何なのよ」 「お前の中での俺の定義なるものを問いたい」 「熱あんのか?」 「はぐらかすな」 「別にそーいうわけじゃねぇよ。具体的に何が聞きたいわけ?」 「…跡部は俺の扱いがぞんざいだと思う」 「はぁ?」 「母と随分な格差がある。祖父とも父とも」「そりゃ年配の人相手と違って当然だろ」 「……」 「無言かよ。なるほどね。それが不満なわけね。拗ねてんじゃねぇよ」 「……」 「ひとつ聞くがてめぇは俺様と手を繋いで買い物に行きてぇのか?」 「いや、それは」 想像すると寒い光景だった。どちらも中学生にしては大人びた外観。しかも手塚はサラリーマンに間違えられるほど。さらには二人ともスポーツマンとして鍛えられた体躯であって軽く170オーバー。そんな二人がほのぼの手を繋ぎ商店街漫遊記。洒落にもならずとことん薄ら寒い。 「だろ?」 「別に買い物に限る事ではあるまい」 そう言いつつも母とは手を繋いで買い物しているのかと思えば感じる軽い眩暈。 「それから、てめぇ俺様の頭を撫でたいと思うか?」 「―――」 それはちょっとやりたいかもしれない。数センチの差をもって見下ろす跡部の頭部。明るい色合いのその髪は触れれば柔らかで心地良さそうだ。 「んな奇特で剛な強者は、彩菜さんぐらいだろ・・・・・・手塚?」 「やりたい」 「あ?」 「跡部の頭を撫でたい」 「……」 しばし無言で考え込んだ跡部はこちらを探るようにして見ていた。インサイト発動中。心意を推し量ろうという所なのだろうが、作為も何もない単なる欲求だ。 「まぁ、いいだろうよ。おら」 「……」 腕を組み、胸を逸らせてやれるもんならやってみやがれと言わんばかりの態度。確かに身長は手塚の方が上といえば上なので、可能といえば可能。 だがしかし。 「・・・・・・やりにくいんだが」 「だったら止めろ」 「・・・・・まぁ何とかなるだろう」 「って、何意地になってやがんだよ!」 別にムキになったわけではないが、発言を取り下げるつもりもないので跡部の頭に手を伸ばせば音を出す勢いで身を引かれた。 「いいと言わなかったか?」 「・・・・・・ちっ。上からやられるなんざ、むかつくったらねぇ。そっち座れ」 「?」 跡部がベッドの上を移動した為できた空間に座らされる。どういう事かと反応を伺っていると、跡部がごろりと寝こがった。頭を手塚の足に乗せた状態で。 「好きにしろ。俺は寝る」 「遠慮はしない」 言葉通りに目を瞑り、一眠りの態勢に入った跡部の頭にそっと手を伸ばした。 手に馴染む柔らかな髪の感触は予測通り気持ちが良い。 なにやら懐かぬ猫が気紛れに懐いてくれたようで、ほのぼのとした気分で跡部の頭を撫で続けた。 明日、海堂とでも気紛れな猫の話をしようかと思いながら。 06.まぁ、宜しく頼む. 会話もなく、それぞれが好きに時間を過ごす時もある。 手塚は格別跡部に気遣うでもなく、跡部の方は元々手塚にそうそう遠慮をしない。 それならば共に居る必要があるのかと問えば、それの何処がおかしい?と跡部ならば返すだろう。 途切れなく会話を続ける必要などない。話題がないのならば会話は必要ないのだ。 元々、二人の間で会話量がそう多くはないというのもある。視線が合えば、大抵の事は通じ合うし、そうなればますます会話は必要なくなるのだ。 手塚は跡部の視線での促しに頷けば良い。跡部は手塚の微かな反応を見て判断する。それで特に問題はなかった。 この日も、夕刻頃に手塚家を訪れた跡部は、手塚の家族に挨拶をした後は手塚の部屋へと通された。その先で何をしたかと言えば、お互い読みかけの本に没頭するばかり。ゲームの 類は手塚の部屋にはないし、跡部もそう好きなわけではない。仲間内で誘われれば付き合う程度だ。 パラと、最後の頁を読み終えた段階で、跡部は外がすっかり暗くなったのに気づく。そろそろ夕飯の頃合だろう。 くぁと欠伸をひとつと軽く伸びをし、固まった体を軽く伸ばす。手塚はといえば、相変わらずの真っ直ぐな姿勢で真剣に活字を追っている。ここで跡部が部屋を出て行っても気づかないだろう。 ちらりと部屋の中を見回せば、常と変わらずすっきりと整頓された部屋が目に入る。そうはいっても実際に片付けているのは母親である彩菜だと聞いてはいるが。 几帳面で生真面目な正確である事と、整理整頓に長けているという事では話が違う。手塚って奴はこれでいて結構ズボラで抜けた奴だ、との跡部の酷評は、氷帝内では通じていない。まさかあの手塚が・・・・と、跡部流のジョークだと思い込んでいる節がある。 本棚を見てみてもそれらは現れているというのに。最も、この部屋に上がる奴は、そうそう居ないらしいが。 隙間無く本棚に詰められた書籍達。一見整頓されているように見えるが、よくよく目を通してみればジャンル不動で続編すらも飛び飛びに押し込まれている。 彩菜さんが一先ず詰めた並びを、手塚がそのまま気にせず放置しているのがこの結果だろう。 綺麗に並びたてないと治まりが悪く、どうにも気になって仕方がない跡部からすれば信じられない事だ。さすがに他人の本棚を並び替えようとは思わないが、おいおいそりゃねぇだろと内心突っ込み入れまくりではある。 なんとなく、手を出しはしないが脳内にてこっちの本はあの段へ、あの本は真下だろうとか、こいつははっきりいって糞だったよな、奥へと仕舞い込むか処分が妥当だろ、とかあーそういやこの本買ってから数頁パラ読みしただけで何処か放置してたな・・・・などと思い出す。 性質が正逆だと言われる手塚と跡部であるが、好みの範囲は近しくあって、それはこういった読書傾向の中にも現れている。 ・・・・・・・というより似通い過ぎだろう、と思うぐらいに跡部にとって馴染みのタイトルばかりが並んでいた。特にここ1〜2年に出た新書の類にその傾向がある。 「―――借りりゃぁ良かったかもな」 何となく、そんな言葉が口をついた。金銭面で不自由ある生活を送っているわけではないが、一度しか読まぬ本ならば借りて済ませる方が無駄にならないとも思える。一度読んで面白かったと思えた本はその後手に入れれば良いし、次からはそうしようか・・・・などと考えていた所に、いつの間にやら真横に来ていた手塚に気づいた。 「それは無理だ」 「・・・・・・・ケチ臭ぇな」 貸すつもりはないとは随分な発言だ。手塚がそこまで書物に対して愛情を抱いているようには見えないが・・と思っていると、続く言葉で否定される。 「そういう意味ではない。これらを買ったのは、跡部よりも後だからな」 「はぁ?」 「跡部が手にしているのを見て、面白いのかと購入した。今の所勝率は半々だが、そう悪くはない」 「・・・・・・・・そうかよ」 「これからも宜しく頼む」 「って、俺様はテメーの水先案内人か?!」 「そういうつもりはないが・・・・まぁ、宜しく頼む」 否定をする癖に肯定してみせる手塚に、跡部は腹を立てるよりも呆れた。こいつはこういう奴だよな、と諦めの方が深いのが要因だろうか。 「ちなみに、その本はまだ買っていない。明日にでも、本屋に行ってくるか」 「・・・・・・・・・・読み終わったから、やるよ」 「そうか。それは有り難い」 何だか面倒臭くなって、跡部は手元にあった本をそのまま手塚へと渡した。そこそこ面白い内容ではあったが、2度、3度読み返したいという程の内容ではない。帰りの荷物が少しばかり減ったわけであるから、跡部にとって損はない。 ――――のだが。何か釈然としない気分なのは何故だろうか。 手塚はといえば、早速跡部から貰った本の中身を検分している。ざっと早読みで中身に目を通し、そこそこ集中しているようだ。心なしか嬉しそうにも見える。手塚のゾーンにはまったという事なのだろうか。 そんな姿を見てみれば、まぁ良いか・・・・と思えなくもない。何となくとっておいてはいたが、やはり読み返す気まではおきない幾つかの本を、次の時にでも持ってくるか・・・・などと考えながら、跡部はそろそろお呼びがかかるであろう階下へと向かう事にした。 07.ちょっと面白い ショーウィンドーを飾る衣服もすっかり様変わりした頃、春の訪れと共に行き交う女性達の装いも明るい色合いとなっていく。 しかしながら吹き付ける風はまだまだ冷たくひんやりとした冷気を含んでいる。春の訪れよりは冬の名残に包まれているような感じだ。 時折吹く風はぶるりと震えを引き起こすものだ。しかしながら、世の女性なるものは、寒気などものともせずに春の装いにて身を包む。驚くべき強靭さと呼べるのではないか。 まぁ、例外も居ない事もないが。 ちらり・・・・と視線を向けた先にある人物の風貌は、顔だけみれば華やかに飾り立てた女性陣に引けをとらない。いや跡部程美麗に整った顔立ちなるものはそうそうお目にかかれはしないだろう。これで何ら手を入れていないのだから恐れいる。 跡部もまた、重いコートを脱ぎさって軽やかな装いとなっている。しかしながら、襟足から覗く白い首筋はいたく寒々しい。軽めのオフホワイトなる色合い(手塚にとって白は白でしかないのだが)のジャケットも生地としては薄いもので防寒効果はあまり望めないだろう。 「痩我慢をするまでの事ではないだろう」 「うるせぇよ。ごたごた着込むのは嫌ぇなんだ」 言葉通り、跡部が厚着をしている姿というものはあまり見掛けない。手塚もかなり薄着と言われるが跡部はその更に上を行く。 「風邪を引いては意味がないと思うが」 「風邪なんざ引かねぇよ。鍛えてっからな」 「だが・・・・」 「うるせぇてめぇもー黙れ」 「・・・・・・・・」 不機嫌そうにそう言い切られてしまえば、その先を口にする事はできない。 跡部が体を鍛えているのは知っている。これでいて、地道なトレーニングも好んで行う奴だ。だがそうであっても、寒空の下を薄着で過ごせばやはり風邪を引く可能性は高い。「馬鹿は風邪を引かない」という諺(?)があるが、生憎と跡部は馬鹿ではない。・・・・・・いや、馬鹿かもしれない。知能的には優れていようと、馬鹿というのは居るものだと、ごく身近にも実例があるではないか。例えば乾とか・・・・乾とか・・・・乾とか。 ともかく、こんな風に心配をさせる跡部はやはり馬鹿という事なのだろう。素直に温かな格好をしていれば良いのだ。 仕方ない――とばかりに溜息を吐きつつ、自らのコートを脱ぎかけた手塚の行為はそれを察した跡部の言葉によって止められる。 「脱ぐんじゃねぇ。てめーの上着なんざ着ねぇぞ」 「――だが」 「何が「だが」だぁ?そいつを脱いだらてめーの方が薄着になんだろ」 「・・・・・・・・心配してくれるのか」 「――っ!そういう意味じゃねぇっ!!!」 他意無く言った言葉であったのだが、白い顔を朱に染めた跡部の過剰な反応が・・・・・・・・・・ちょっと面白い。 「まぁ、照れる事はない」 「照れてねぇよっ!」 「俺は大丈夫だ。鍛えているからな」 だから着ろと、脱いだコートを押し付ければ跡部が毛を逆立てた猫のように噛み付いてくる。 「ってめっ!そりゃさっきの俺様の台詞だろうがっ!」 「そうだったか?まぁ気にするな」 「てめーが気にしろっ!少しは人の話を聞けっ!!」 がくがくと、こちらの襟元を掴み上げて揺すりながら怒鳴る跡部の姿は、他者から見れば因縁でもつけているように見えるのだろうか。少しばかり周囲がざわついているように聞こえなくもない。 だが手塚としてはこの跡部の反応は・・・・・・・・・やはりちょっと面白かった。 08.屋台がある すっかり陽も暮れ、火照った体にも風が冷たく感じられる頃、どちらかともなく切り上げる事を目線で確認しあった。 タオルで汗を拭い、予備のシャツに手早く着替えて先程まで駆けあったコートを後にする。 急かすでもなくゆったりと、駅を目指し歩いている先で手塚の足がふと止まった。 「どうした?」 「・・・・腹が空かないか?」 「そりゃぁ、な」 手塚の問いに跡部は軽く肩を竦めた。 育ち盛りの身上、その上でかなりな運動量をこなした後だ。腹が減って当然の状態である。 ここで共に居るのが互いの学校の仲間達であるなら、手塚にしても跡部にしても、どこかの店によって空腹を満たすのが常である。あるいはそれはコンビニであったり、あるいはそれはファーストフードであったり、手塚の場合は河村宅の場合もあった。 「屋台がある」 「・・・・・まぁ、いいけどよ」 じっと、真っ直ぐな視線を向けられて、内心苦笑ながらもそれを表には出さずに跡部は頷いた。 確かにちょうど風下にあたる位置である為か、ほんのり空腹をくすぐる匂いが流れてくる。しかしながら、中学生と屋台とじゃ似合わねぇよな・・と思いつも、手塚だからまぁ良いか、と納得しない跡部でもない。 「よっ、いらっしゃい」 「単品でも構わないだろうか」 「構わねぇよ。歩きながら食うんかい?だったら串もんがいいだろうな。おぉ、生徒さんと一緒かい。いい先生だねぇ!!」 「・・・・・・・・・・・」 「・・・・・・・・・・・」 威勢の良い屋台の親父の言葉が引き起こした突発的な笑いを、跡部は何とかこらえようとした。 だがしかし。 憮然とした手塚の顔がちょうど目に入ってしまい、それは無駄な努力となった。 「・・・・・っ・・・・・ぶっ・・・ははははははっ!!!!」 「・・・・・・・・・・・・」 笑う跡部を他所に、手塚はますます渋面となり、屋台の親父を凄みをもって怯えさせた。余程機嫌が悪いのか、跡部にどれが良いか聞く事もなく、さっさと選んで会計を済ませてしまった。 「・・・・・・・ありえないだろう」 「いや、ありだろ?」 「跡部とて、中学生には見えない」 「手塚は学生にも見えねぇんだろ?」 「・・・・・・・・・・・」 「あっ!てめっ!俺様の分まで食うんじゃねぇっ!大人げねーぞっ!」 「俺は子供だ」 「だから見えねーってんだよ!」 ―――はた迷惑にも騒がしく、おでんの取り合いをする二人の姿は、いつになく年相応の中学生同士に見えたかもしれない。 09.公園へ行こう 「公園へ行こう」 「は?」 実の所、跡部はあまり突発的行動なるものは起こさない。突飛な行動に見えてもそれは実は脳内熟考の末であったりする。 巻き込まれての済し崩し行動に陥る事がないわけでもない。例えばジローや宍戸が絡んだ場合にそれは顕著な現象と現れる。 そして近頃では例えば幸村とか。 例えば手塚とか。 特に後者の場合、こいつは実は何も考えてはいないのではないかと最近思えてきている。多分読み違いではないだろう。 この時も同じだ。手塚家へと宿泊予定だった跡部はすでに風呂を済ませて夜着に着替えてある。手塚も同様。跡部的にはまだ就寝には早い時間だが、手塚家的には就寝時刻。 剛に入っては剛に従えという事で、跡部も早々に布団へ潜り込む腹積もりであったのだが。 だったのだが。 突然のこの思い立ちにはどうしてくれよう。 「・・・・・・そうかよ。だったら明日にでも行こうぜ。昼間は糞うるせぇだろうから、朝のジョギングがてらでいいんじゃねぇ?」 「いや。今からだ」 一先ず妥協案を出してみるが、即座に否定された。いつの間にやら部屋着を着替え(といっても上着をひっかけただけだが)ている。 「……もう遅い時間だろ。手塚家的にゃ外出禁止時刻じゃねぇ?」 「たまには羽目を外すのもよかろう」 「……近頃おかしな奴が多いからな。夜の公園なんざ、やばい奴が居るかもしれねぇだろ。酔っ払いとかもな」 「安心しろ。跡部の事は俺が守る」 「……」 そういう事じゃねぇんだよ、とは言っても無駄そうだった。手塚の目はどこまでも本気であったりして。多少の眩暈を覚えるのは跡部に非があるわけではないだろう。 「随分乗り気じゃねぇのよ」 ここは方向性を変えるか、と内心の困惑は押し隠し、手塚の真意を探ることにした。幾ら思い付きとはいえ、何らかのきっかけはあるだろう。 「童心にかえりたくなった」 「・・・・・・・・・・・・・は?」 「先程、子供の頃のアルバムを見ていて、そういえば公園で遊んだ事もなかったと」 「友達居なかったからか?」 「・・・・・・・違う。お祖父様との特訓塗れだっただけだ」 「ま、そういう事にしてやってもいいけどよ。・・・・いいだろう。付き合ってやる。だが、今回だけだぜ?」 「ああ、充分だ」 ほっと、幾分嬉しそうに表情を綻ばせる手塚が見れたので、まぁ良いかと思う跡部だ。 抜け出す事はまぁ難しくはなくて、二人でこっそり寝静まった家を抜け出して夜の公園へと向かう。まぁそれなりに楽しくないわけでもなかった。だが、多分ばれるだろうな・・との跡部の予測通り、翌日朝食が終わった後に、笑顔のまま彩菜に呼び出され、二人並べてこってり叱られた。 10.で、一体何なんだ? 凍て付いた冬を乗り越えて、木々にも風にも春の兆しを感じるようになったある日、跡部の携帯にメールが届いた。 液晶画面に表示された名は近頃では見慣れたものではあるのだが、未だ違和感を感じぬでもない。あの手塚国光と親交を深めるようになったというのは、跡部にしたところで予測外の出来事ではあった。 寄越されるメールは大抵が用件のみの短文であり、味も素っ気もない。まぁ、それが手塚らしいとは言えるけれども。 今回も例にもれず、簡易な文面だった。 【次の日曜日は空いているか?】 軽く予定を思い起こしてみるが、全く完全に空いているというわけでもなくて。無理を通せば空きは作れる。けれどもできれば別の日の方がありがたい。 『別の日じゃ駄目か?』 こちらも短文のみで返信メールを打つ。すると、それほど間を空けずに戻ってきた。 【日曜以降では意味がない。それより前なら問題ないが】 今度は先程よりは少し長い。手塚も少しは打つのが早くなったよな、などと感慨に浸りながら再送信。 『空いてない事もないが、夜でもいいのか?』 予定を詰めれば夕刻くらいから空けられない事もない。そこで譲歩案を出してみたわけだが。 【午前中が望ましい】 またもや一言のみ。ここに至っても用件を言ってこないのだから相当なものだ。いい加減慣れたので腹も立たないが。 『午前中。了解』 ここまで言うのならば優先度が高い事情かと思い、その他の予定は別流しとする事にした。何が何でも空けられないというわけではない。そういう事だ。そこらあたりの事情を手塚に言うつもりはないけれど。 【待っている】 OKを出せば、その確認が帰ってきた。スルーされるよりは余程良いが・・・・まぁ、何というか。 ここから先は自分の教育次第だろうな・・・・などと考えながら、跡部は用を果たした携帯電話をしまいこんだ。 11.そうして欲しいからだ 朝のうちに幾つかの用事を済ませ、手塚家に着いたのは10時を回った頃だった。 早くはないけれども、遅くはない。手頃な時間という所だろう。 水臭い、手土産などいらないと言われて久しい為にこの日は手ぶらだ。途中で和菓子ぐらいは買おうかとも思ったが 、今回は止めておいた。 呼び鈴を鳴らし、名を名乗り門の前でしばらく待つと、手塚本人が出迎えに現れた。これは珍しいと言ってよい。基本的にここで現れるのは彩菜さんだからだ。 「・・・・遅かったな」などと顔を合わせて早々に言われ、僅かに気分を害する。「時間の指定はなかった筈だぜ?」と、腹立ちを抑えて返してやれば、「・・・・それは、そうだが・・」などと否定こそしないものの、口調は沈んだ風で。何だか罪悪感がちらりと掠めるのはいったいどういう事か。 だが、ここで「悪かった」などと素直に詫びれるようでは跡部ではない。それに、「・・2時間程か・・少ないが・・仕方あるまい・・」と何やらぶつぶつ呟く手塚に警戒センサーが働きつつある。 これは――ろくな事ではない。跡部の勘がそう告げていた。 何故か手塚の部屋へは向かわず居間へと通される。まるで改まった客扱いというところだが、「そこで座っていてくれ」と一人取り残されたので、どちらかというと身内扱いなのだろうか。 手塚を待っている間、立っているのも何なので座る事にする。随分と暖かくなり、時間によっては暑さも感じる気候であるというのに、居間には未だ炬燵が残されていた。 正座は苦手であるので、炬燵布団をめくり中へと足をいれようとしたのだが。 「・・・・・・嫌がらせか?」 それとも我慢大会とでもいう所なのだろうか。手塚の性質からそれは大きく離れているけれど、春という陽気は人を浮かれさせる。何やら手塚の脳が沸いていたとしてもおかしくはないのかもしれない。・・・・とりあえず、巻き込んでくれない限りは問題ないのだが。 めくりあげた炬燵布団からむわと熱気が襲ってくる。くらりと眩暈を感じてしまうのは、けして鍛錬が甘いせいではないだろう。 「どうかしたのか?」 「どうかしたんだよ」 「とにかく、まずは座れ」 「その前に電源オフにしろ」 「電源を切ってしまっては炬燵の役目を果たさないだろう」 大真面目に返されて、こいつは本気なのだろうかと眼鏡の奥の瞳を透かすように見たのだが・・・・本気で言っているようにしか見えなかった。 「・・・・・・そうかよ。だが、エコ精神も大事だぜ?」 「跡部の口からそんな言葉を聞くとはな」 「てめぇ、喧嘩売りてぇのか?」 「いや。そんなつもりはない。とにかく中へ入ってくれ」 「・・・・・・・・・・・人の話聞けよな」 全くこちらの意思を意に介さず、とにかく炬燵に入れと言ってくる手塚国光。本気で殴りてぇ、と跡部が思うのは誤りだろうか。 温まった炬燵からくる不快感を抑えこみながら、炬燵の中へと足を入れる。真向かいに手塚が満足そうに座っているのが見えて、やっぱり後で1発殴ろうと心に決めた。 「――それで?」 「それで、とは?」 「今日、呼び出した理由だよ。説明しやがれ」 「ああ。今日の午後、炬燵をしまうんだ」 「・・・・・・・・・・・・・・・は?」 一体何を聞いたのかと自分の耳を疑うも、近頃聴覚に異常を来たしたという事はない。 「だから、心残りのないようにと思ってな」 「・・・・・・・一応聞いてやるが、その心残りとは何だ?」 「これだ」 「・・・・・・・・・・・」 手塚から、差し出されたのは1個の蜜柑。炬燵のせいで喉が渇きつつあるにはある。 だがしかし。 「剥いてくれ」 「・・・・・何を?」 「蜜柑を」 「・・・・・誰が?」 「跡部が」 「・・・・・誰に?」 「俺にだ」 「・・・・何故?」 「そうして欲しいからだ」 「・・・・・・・・・・」 炬燵で蜜柑。 それはほのぼのとしたことばの響きである。 しかしながら跡部は、鍛え上げた握力をもって手の中の蜜柑を握り潰してしまわないよう、自制をするのが大層困難な状態に陥っていた。 12.全く聞いてねぇし 理不尽だと思う。 何故、いつもいつも自分が我が儘を聞かねばならないのか。 「大概にしやがれ」 もうきかねぇぞ、との意思を込めて言い切れば・・・・言われた当人は心外だと言わんばかりで。どうにもこうにもごく素直な心境としては、胸倉を掴み上げたくなるといった所だ。 「・・・・跡部の日頃に比べればかわいいものじゃないのか?」 「てめぇ、俺様の日常をどう思ってやがる」 「まぁ、あれだ」 視線を逸らして言い淀む様が更にむかつく。だが、こちらに向き直って向けてきた手塚の顔は、真摯と言って良いものではあった。 「・・・・んだよ」 「いや。反抗期も知らずに育ってきたからな。我が儘をきいてもらえるのが嬉しい」 「そうかよ。だったらそういうのはお優しい仲間に頼りな」 「それは遠慮しておきたい」 お堅い手塚の事。そりゃそうだよな、と納得する面もあったので、その点だけは合意しながらも別段相手が自分である必要はないと主張する。 大体、手塚の周囲にも充分我侭を聞いてくれるであろう面子が揃っているではないか。外から見て明らかな程に手塚は彼等に好かれている。わかっていないのは当人ばかりという所。自分も同様の指摘を受ける事はあるが、それは大きく違う。手塚と違い、わかっている。あいつらが、自分を好きだという事。自分があいつらを好きだという事。そんな事は疑うべくもない事だ。 そこらあたりは手塚に説明する必要もない事ではあるが。それにしても、はっきりきっぱり拒絶とはどういう了見だ。 「即答かよっ!迷惑だってんだよ」 「そうか。わかった」 「やっとわかったか」 頷く手塚に、ようやく理解したかと安堵するが・・・・続いて出た言葉は全く正反対で。 「今度は俺が跡部の我が儘を聞こう」 「全然わかってねーじゃねーかよっ!!」 もしやこいつには日本語が通じないのではないかと思う。いや、一応意思の疎通は出来てはいる・・・・筈。出来ていた・・筈。余計な言葉を挟まずとも、視線で大抵の事は通じていたと思う。 氷帝の似非眼鏡あたりには、「自分らの会話、宇宙人が会話しとるようや」などと失礼極まりない事を言われる事があるが、こっちはちゃんと通じているから問題ない。多分、ない筈だ。 「そうだな。あまり金銭面で負担のかかる事は遠慮してくれ。基本財力に差がありすぎるからな」 「うぁ。全く聞いてねぇし」 「それでどうしたい?電車に乗るか?バスに乗るが?それとも近所のスーパーに行ってみるか?」 「・・・・・・てめぇの頭の中で俺様がどう分析されてるのか一度脳くりぬいて見てみてぇ」 「それは遠慮したい。脳を抜かれて生きているとは思えない」 「そういう問題かよっ!」 「だが脳を抜いても生きていてはホラーだろう」 「・・・・聞きてぇのはそういう事じゃねぇんだよ」 がっくりと疲れ果て、肩を落とす跡部の真向かいに座る手塚に悪意は全くないわけで。 天然故の凶悪さを常識人の跡部としては噛み締めるしかないわけである。 もっとも。 ここに真の常識人が居れば、「いや君達どっちもどっちだから」などと失言を吐いた事だろうが。 結局のところ、多分は所謂ところの・・・・・似た者同士、という奴なのだろう。 [ 2007/03/01〜2007/03/31 ] /. 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