引っ越したと聞いて、及ばずながらお手伝いでもしましょう等と触れ込んで、呼ばれもせぬのに押しかけて来た千石は、すっかり片付いた室内に関心してみせた。
「昨日入ったんだよね?」
「ああ」
「さすがは跡部君。仕事が早いというか。ああ、もしかして例の大きい彼とかに手伝って貰ったとか?」
「樺地の事か?いや。今回は自分達だけでやった」
「へー。じゃぁこれは愛の共同作業だね♪」
「―――――」
瞬間、心根と等しく明るい色合いオレンジの頭に、突風の如く巻き込むように跡部の拳が唸りをあげた。
「・・・・・・・・・・ったぁ・・」
「笑えねぇ冗談なんだよ」
「冗談でもないんだけど・・・・あーうそうそ!!すみません!もう言いませんっ!」
「賢明だな」
地べたに額を擦り付けるが如く、土下座しての侘び入れに、跡部はようやくぐりぐりと脅しをかけていた足を下ろした。
「こんなにお上品な外見なのに、どうしてこんなに乱暴者なんだろう・・・・」
「―――何か言ったか?
ア?」
「いいえ。何も申しておりませんー。ところで、探検させて貰っても良い?」
「別に構わねぇが・・・・見ての通りで探検なんつーレベルじゃねぇだろ。個室が2つと、後は共有のキッチンと風呂場と便所だ」
「跡部君にしたら随分と質素な部屋だよね」
「奴の要求とのギリギリ折衷案がこの結果だ。まぁ、寝る所がありゃ充分であるのも確かだがな」
「へぇー」
きょろきょろと、千石は興味深気に辺りを見回し、用も無いのに冷蔵庫を開けてみたり、洗濯機を開けてみたりと忙しない。クローゼットを覗き込もうとした際には、跡部から即座に拳が入ったが。
「あれ?お風呂場は鍵かからないんだ」
「付けるかどうか聞かれたが、別に必要ねぇだろ」
「なるほど。どっきりシュチエーションポイントだね!」
「――――念の為に聞くが、その発言の裏にある意図を言ってみろ」
いやにいい笑顔で親指を立てる千石に、跡部の顔からすっと表情が消えた。声音の方も、底冷えする程に低い。
「えー?鍵無しお風呂ったらアレっしょ?『裸でドッキリ!バスルームで鉢合わせ!!』」
「――――ほほぉ。誰と誰とでドッキリシュチエーションだってんだ?
アァン?」
「あら?あの、跡部君。室内でテニスはできないよね。そのラケットは仕舞っておいた方が良いと思うよ。ああ、いや。いい関節音だねぇ。指の運動?パキポキどころかバキボキベキって何かこう背筋に冷たい水が流れるんだけど・・・・」
両手でストップをかけつつ後じさる千石の耳には、ポーンと鳴ったチャイムの音が天上の調べのように聞こえたのだった。
バスルームで鉢合わせ
扉を開ければそこには、跡部にとっては招かざる客パート2(元々誰を呼ぶつもり等なかった)忍足が居た。
光る丸眼鏡がむやみやたらと無駄に胡散臭い。
「・・・・・・・・・」
無言で扉を閉めようとした跡部だったが、その一瞬前に忍足が足を踏み出し「ちょっ!いきなり締め出しはないやろっ!」などと扉に縋りついてまでくれた為、跡部の目的は果たせず仕舞いとなった。ここで無理を通して力任せに扉を閉じる事もできるが、忍足はアレである。腐ってもチームメイト。こんな事で怪我をさせるわけにもいかない。
「跡部君、誰が・・・・って、ホシタリ君」
「忍足や。なんや、千石も来とったんかい」
「呼んでもいねぇのにな」
「押しかけてきたん?迷惑なやっちゃなぁ」
「
てめぇもだ」
他人事の如く呆れた表情を浮かべる忍足であったので、跡部は自覚させる為にもことさら冷たく言い放った。
「そらないわ、部長さん」
「今は部長じゃねぇ」
「俺らにとっては跡部が部長やからな。なかなか慣れへんわ。ところでなぁ、他の騒がし屋を制して代表で来たんやで?感謝歓迎されてもええと思わん?」
「・・・・・・・・・・・・」
忍足の言葉を跡部はしばし吟味した。確かにこういう時、あの仲間達はこぞって押しかけてくる筈だった。いい加減長い付き合いなので行動パターンは知れている。好奇心が旺盛な彼等が来れば、騒ぐだけ騒いで収集がつかぬ事になりかねない。落ち着いた頃ならともかく、まだ居を構えたばかりの現在、そして同居人のアイツの性質からいっても、今の時点では望ましくはない事だった。
「―――茶ぐらいは出してやる」
「おおきに」
扉を開き、中へと招き入れるように身を引いた跡部に、忍足はにっこりと笑った。はっきりいって譲歩の行動にしか見えないのだが、忍足の方はそれを気にする風もない。いや、その程度の事でへこんでいては、跡部と長く付き合う事などできぬのだ。色々と邪険に扱われたり、ぞんざいに扱われたり、いいように扱われたりと、散々な羽目に合う事もあるが、それを押してもつるむのが楽しいと言えるのが、跡部であるのだ。少なくとも
、氷帝学園のメンバー達にとっては。
「ええ部屋やないか」
「でしょ」
「・・・・・・・・・・・」
何でてめぇが応じる?と跡部としては文句を言いたい所であるが、この二人には何を言っても無駄であるといい加減悟りを開きつつもある。入ってすぐにすっかり寛いだ風の忍足と、まるでホスト役の如く迎えて茶を差し出す千石。ここは誰の部屋だ?という所だが、まぁ目くじら立てる程の事でもないとは言える。実際このような光景は、今後幾度も見られるのだろうから。
「しかし跡部のベッドはセミダブルかいな」
「シングルなんざ狭くて寝れるかよ。っても、キングサイズはこの部屋にゃ入れられねぇしな」
「向こうの部屋にはベッドがなかったね。やっぱり布団なの?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いや」
「?」
「?」
そうだと答えれば良いだけの事であるのだが。妙に正直な所のある跡部は、逡巡の後に否定の言葉を発した。
「それじゃ彼、どこで寝てるの?ま、まさか」
「え?そうなん?何や、発展場かいな」
「―――
違うってんだろーがっ!!俺様はな、てめーらの低レベルなジョークに付き合う程暇じゃねぇんだよっ!!」
「ぎ、ギブギブ・・・・」
「かわえぇジョークやんか・・・・」
右手左手と、鍛え上げた握力によって締め上げ吊り上げられた二人は揃って鬼の形相を浮かべる跡部に謝りを入れる。大概からかうには向かぬ相手であろうに、懲りない所がこの二人の持ち味であるのか。
「そ、それやったら、跡部がここを一人で使うてるんやな」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いや」
「あれ?二人でベッドじゃなくて、一人でベッドじゃない。――って、どういう事?」
「・・・・・・・・・・・・別に大した事じゃねぇ。元々このベッドは俺様専用だったんだが、しばらくは一人じゃ使えねぇだけだ」
「一人で寝れへんて?」
「――――――」
「あだっ!おかしな事言うてへんやろ!」
「てめぇの口から出るだけで、胡散臭さ倍増なんだよ」
「酷っ!」
「まぁまぁ。氷帝での君達の日常が伺い見えて面白いには面白いけど、結局どういう事なの?」
「――――――」
「話してくれんやったら、想像妄想の上で皆に報告する事になるんやけど」
「・・・・・・わかったよ!昨日、奴と衝突しちまったんだよ。疲れもあって、お互い歯止めなくなってな」
「それで、どうしたの?」
「―――――奴のベッドを叩き壊した」
ちっと舌打ちせんばかりの表情で、しぶしぶながらも跡部は事の真相を告白をした。
「・・・・・・跡部」
「・・・・・・跡部君」
「・・・・・・・・・・」
「夫婦喧嘩でもそこまでやらんで?」
「過激だよねぇ」
「るせぇなっ!そういう理由で、奴のベッドを再購入するまでの間、これを交代制で使ってるだけだ!誤解も糞もねぇだろうがっ!」
そんな跡部の叫びに、千石と忍足の二人は、この共同生活は長くなさそうだ・・・・と、視線を交わして互いの意思を確認するのだった。
ひとりじゃ眠れない
片付けをしていた為に遅くなった大石と手塚は、他の部員達がほぼ帰宅した頃にようやくロッカールームへと入った。
「貸切りだな」
「広く使えてかえって良いかもね」
付き合わされて損をしたとは言わぬあたりが大石の人の良さの表れであろう。
無言で自分のロッカーの扉を開いた手塚は、ハンガーにかけた上着を取り出し軽く振った。
弾みでチャリン、と床に落ちたのはシンプルな鍵ひとつ。
「手塚、落ちたよ」
「すまない」
鍵を拾い上げた大石が手塚の手の中にそれを渡す。これが自然な流れであるのだが、手塚の手の中に鍵がなかなか戻ってこない。
「大石?」
「―――いや。これ、部屋の鍵なんだよな」
「車の免許もバイクの免許も持っていない。家の鍵は普段使わないからな、持ち歩いていない」
だから当然そうだ、と目線で続ける手塚の言い分がわからぬ大石ではない。いや、大石はそういう事を聞きたかったわけではない。この春より、周囲の環境が変わった手塚の生活の一端を感じ取り、複雑な気持ちを抱いただけなのだ。
「ああ、ごめん。こっちはスペアキーなのかい?」
「マスターキーはアイツが持っている。別にこだわる必要はないのだが、出資額からいって相当だろうという話になってな」
「―――そうだね。あ、いや。家族に合鍵を渡したりは――」
「いや。必要ならば管理人に頼めば良い事だし、向こうも身内には渡していないようだ。そういう事は好まないのではないかと思う。うちの家族とは親しい間柄ではあるが、やはり良い気分はしないだろうと思うしな」
「結構気を使っているんだね」
「共同生活だ。お互いの譲歩は必要だろう。もっと困難かと思ったが、そうでもない」
「そういえば二人、趣味とかも共通点が多かったよな。俺には想像つかないけれど、手塚とは波長が合うのかな」
「そうあって欲しいものだ」
「まぁ、手塚がそうやって気を使えば大丈夫なんじゃないかな。言動に気をつけさえすればね」
「・・・・・・大石。それでは俺の側に問題があって衝突が起きるように聞こえるが・・・・?」
「ははははははは」
どうやら手塚には自覚がないらしい、と大石はごまかし笑いを浮かべる事で即答を避けた。基本的に相手を怒らすのは手塚の態度や物言いが要因である事が多い。本人に作為が無いだけに始末に悪いとも言えるのだが。無自覚に喧嘩を売っているようなものである。その辺り、彼ならばどうだろう。向こうは向こうで確信犯的に相手を怒らせ喧嘩を売るのを得意とする。要はどちらも問題児という事か。
まぁ、そこそこ長い付き合いではあるし、元々面倒見が良い人物のようだし、意外と手塚のフォローに適しているのかもしれない、と大石は思い直す。
「だけど、恋人とかできたら困るね。部屋の鍵とか欲しがるんじゃないかな」
「・・・・・・・・それこそ他人に鍵を渡すようなものではないだろう?」
「う、ま、まぁね。いろいろ、個人情報も煩い昨今だしね・・」
「―――?」
手塚の春はまだ当分先なのかもしれないな、と口先でごまかしながら大石は外見と人気に反してストイックな生活を好む二人を脳裏で並べてみて、やはり良い組み合わせなのかもしれない、と思うのだった。
合鍵
休み時間に、紙面を前に、睨みつけている、――手塚国光。
まるで標語のような光景だね、と不二はくすりと笑みを浮かべた。
「何か無理難題でも押し付けられたのかい?」
「―――不二」
はっと、そこが学校の教室である事に初めて気が付いたかのように、手塚の表情が一瞬虚を曝した。しかしながらすぐにいつもの冷静さ(手塚に近しい者からすれば、無感情、無感動というところだが)を取り戻す。
何気ないそぶりで紙を返したあたりはそつない行動と取れるのかもしれない。または、大石あたりならば、あまり見られたくない書類の類なんだな、と良い方に取ってくれるだろう。
だがしかし。この場においては選択・行動の誤りというもの。乾あたりでもそうだが、不二の前でそんな事をすれば、好奇心を誘うだけである。ようは、これは秘密なのです。是非見てください、と言っているようなものなのだ。
「何を――っ!」
さっと、手塚が抑えるよりも早く不二の手が手塚の抑えた手の下から紙を抜き取った。スリもかくやのその動きは、さすがは不二というところなのだろう。
「君と僕の仲じゃないか。水臭いよ、手塚」
「過去においても現在においても、お前に勝手を許すような関係にはない」
「そう?いろいろお世話してあげたような気がするけど?今後は不要?」
「・・・・・・・・・・」
「人間素直が一番だよね。――うーん?朝食当番、昼食当番・・・・って何これ。当番表?・・・・ああ、共同生活を送る際にはルールが必要だよね」
「そういう事だ。わかったなら返してくれないか。お前には無用のものだろう」
「確かに、関わりない事だけどさ、興味はあるよ。ふーん、基本的に食事の支度は彼がやるんだ」
「―――別に作れないわけではないんだが。無駄が多いと怒られた。時間配分も悪い、と」
「へぇ。高級食材使って気ままにやりそうだけどね」
「それは誤解だ。うちの母より細かいかもしれない。買い物の際にも店と時間帯を細かく指定されるんだ。そして誤った品を買ってくると、それはもう凄まじくも激しく罵倒してくれるんだが・・・・」
「それはまた。もしかして、安売り価格のチェックとかしているのかな」
「多分、な。何だかわからないが、朝から統計表を作っていたりするんだ」
「ふふふ。いい主婦になりそうだね。そういえば、君の名前が書かれているのって、風呂場掃除とかゴミ出しとかが多いみたいだし、これって旦那さんの役目だったりするよねぇ」
「―――――世の夫とは、あんな扱いを受けるものなのか」
「いや。どんな扱いを君が受けているのかまでは詳しくは知らないけどさ。まぁとにかく僕が言える事は、頑張れ、ってところかな?」
「・・・・・・・・・・前向きに善処する・・・・・」
沈痛な面持ちで取り返した紙面に視線を戻した手塚を見て、不二はこらえ切れなかったか腹を抱えて爆笑した。常に笑みをたたえている穏やかな佇まいの不二であるが、声を出して笑うという事は実はさほどに多くない。そんな二人は教室内のクラスメイトはもとより、たまたま廊下を通りかかった者達からも、好奇の視線で注目を集めるのだった。
○○当番
跡部は時々、自分は実はとても常識人なのではないかと思う事がある。
生まれや育ちは確かに一般から少しばかり外れているが、基本的思考においては常識の範囲から外れていないと思うのだ。
それは、比較対象というか、周囲が何とも非常識人にばかり囲まれているからなのかもしれないが。
いやそれとも、友人の選別というか選択の趣味が、最悪なのかもしれない。
「やぁ跡部。新婚生活はどんな感じだい?」
「―――――幸村」
挨拶もそこそこに、いきなりなその言葉はどうだろうか。しかも幸村の場合、かなりな部位が作為的で狙ったものであるから更に始末が悪い。
幸村の発言を受けて、跡部は抑えていた書類を思わず握り締めてしまった。ぐしゃりと寄ってしまった皺が、跡部の心の動揺を表している。
しかしながら、威力としては周囲程ではないだろう。幸村の言葉を耳にしてしまった不幸な一般生徒などは、ざわりと空気をさざめかせ、硬直したまま跡部を注視している。中等部に君臨し氷帝の帝王とされた跡部は、高等部に入ってもその存在感に磨きをかけるばかりで、入学当初より他に変わるべく者など居ないなかりの有名人だった。溜息ひとつを吐いただけでも、校内に噂が駆け巡る程の影響力である。
「そういうロクでもねぇ与太話を広めるんじゃねぇよ。同性の同居人で、ただのルームメイトだ。おら、おかしな噂が流れてきたら、ただじゃおかねぇぜ?」
迫力満点のきつい視線を向けられ、テニス部部員と違い免疫の無い一般生徒達はこくこくと頷くと、脱兎の如く走り去っていった。
「あまり怯えさせるのはよくないな」
「誰のせいだと思ってやがるんだ。ったく、他校に来てまでかき回すんじゃねぇ。遊ぶのは立海の中だけにしておけ」
「ははは。跡部の反応は新鮮だからね」
「・・・・・・否定ぐらいしろよな」
扱いの厄介な人物代表である友人の言葉に、跡部は深い疲労を覚える。ここに真田でも居れば、八つ当たりをかまして憂さ晴らしもできようものなのだが。
「まぁ冗談はさておき、どうなのかな、彼は。使えるの?」
「・・・・・・だから、そういう観点で見るのは止めておけよ。友達なくすぜ?」
「別に友達千人募集しているわけじゃないからね。跡部が居るからいいんだよ」
「――時々、友人止めたいと思う事があるんだが」
「へぇ。時々なのかな?」
「いや。会うたびいつもだな」
「ふふ。それでこそ跡部だよ。ありがとう」
「褒めてねぇっての。ったく、立海の奴等の胃がやられるのも時間の問題だな。あと、アイツは別に生活不能者でも何でもねぇぜ。やろうと思えば一人で何でもこなせる。気は利かねぇがな」
「本当、跡部は彼を高く買うよね。本人の前で言ってあげればいいのに」
「ぜってぇ言わねぇ。調子に乗らせてたまるかっての。アイツは少し落ち込むぐらいでちょうどいいんだよ。あと、下手に気を利かせねぇ方がな」
「さっきの言い分と反対じゃないか?」
「うるせぇ。俺は金輪際、アイツを厨房にゃ立たせねぇぞ。ましてや朝食の用意なんざ、例え高熱で寝込んでいようが絶対にやらせねぇ」
「―――ふーん」
「んだよ」
「察するに、今朝の朝食を彼が用意した、と」
「――――まぁな」
「それで、その内容が気に入らない、と」
「――――生活習慣の違いだがな」
「跡部は洋食派だろうしね。彼の場合は和食派か。だけど、それぐらいはお互い譲歩する点じゃないか」
「――――わかって言ってんだろ。どうせ」
「何が?」
にこにこと微笑む幸村の笑みは、穏やかな春の日差しめいたものであるのだが、跡部からすればとんでもない。
「・・・・・・・・あの野郎はな、『朝食には納豆だ』とか抜かしやがって、いつの間にか買い込んでいやがった」
「納豆ね。日本人の食卓としては基本じゃないかな」
「冗談じゃねぇっ!俺様は納豆なんざ、人間の食い物として認めねーぞっ!!」
何もそこまで――と思う者も居るかもしれないが、跡部にとっては切実なる叫びであった。
用意された朝食
「たるんどるぞ」
「・・・・・・・・・・・どこがだ?」
出会い頭にもんきり口調でそう言われ、まともに応対するのは手塚ぐらいのものだろう。しかも手塚の方も、けして喧嘩を売っているわけではないのだが、平素から柔らかいとは言いがたい目つきが常態であり、傍目に見ると迫力満点の二人が睨み合い火花を散らしているようにしか見えない。
「自ら胸に手を当てて考えてみるがいい」
「こうか」
言われてそのまま行動する手塚という男は、実は素直な体質と言えるのだろうか。いや単に融通が効かないだかなのかもしれないが。
「誰が胸に手を当てろといった!」
「お前だろう」
いきなり怒声を浴びせられれば手塚とて良い気分ではない。不快そうな表情を浮かべ、真田を見つめる視線はさらにきつくなった。
「自らの行動を振り返って考えてみろと言っておるのだ!仮にも手塚たるもの、テニス界を担う若者達の指針となるべき生活態度で過ごすのが義務であり責務であろうっ!」
「・・・・・・・・・・・・」
一体どんな責務で義務だ――と、手塚の目は真田を射殺さんばかりとなった。責任感の強さには定評のある手塚であるが、他者の思考というか思い込みを押し付けられて、唯々諾々と受け入れるような寛容性は実はない。実の所は本質は、何処かの帝王様にも負けずとも劣らぬ俺様気質であるのだ。ただ単に外に発散しないというだけで。
「結局の所、お前は何を言いたいんだ?」
「浮ついた生活態度を改めろと言っているんだ!」
「改める必要性のある生活など行っていない」
押し付けるように意見を放つのが真田なら、手塚はばさりと切り捨てる。二人の間はますます険悪なムードとなっていった。
「まだシラを切るかっ!不純同棲生活をしていると聞いておるぞっ!」
「・・・・・・・どこから話が流れて捻じ曲がっているのかは知らないが、まず、『不純』は抜いてくれないか。
純粋なる同性との生活、だ」
「そんな誤魔化しで通ると思っておるのかっ!」
「誤魔化しも何もそれが事実だ。わかってはいたが頭の固い奴だな」
「貴様にだけは言われとうないわっ!」
「真田。お前はいつの時代の生まれなんだ」
手塚としては深く考えもせずに、ただ思った事を口に出しただけなのだが、それがことさら相手の感情を逆撫でする結果となる。
いつもは絶妙のサポート役として、手塚のフォローをしてくれる大石がこの場に居なかったのも、事態をますます悪化させる要因となっていた。
「―――正直に白状するのだ。手塚、お前は家に帰ってまず何をする?」
「・・・・・ただいまと言う。先に向こうが帰ってきている場合だがな。こちらが先に帰った場合は当然、おかえりと言うぞ」
「―――てっ、手塚っ!貴様っ、ぬけぬけとっ!婚前交渉の一部を外部に漏らすなど、恥を知らぬのかっ!そもそも、男子たるもの、けじめをつけねばならぬだろうっ!いまだ責任の取れぬ齢の内より、そのような生活に陥るとは何事だっ!」
「婚前交渉などしていない」
「何っ?!ま、まさかお前達はすでに・・・・っ?!」
顔を真っ赤に染め、金魚のように口をぱくぱくとあけ空気を求める真田に、手塚は深い頭痛を覚えていた。思い込みもここまでくると迷惑を通り越していっそ笑えるのかもしれないが―――いやそれでも迷惑極まりない事にかわりはないが。
「―――少し落ち着いてくれないか。何にしても、俺個人の問題であり、あいつ個人の問題でもあり、お前に口を挟んで貰うような話ではない。何であろうと、俺達は自己の責任において行動している。無責任な行動などするわけがないだろう。今後一切の口出しは無用だ。俺達は他人に生活を干渉されるのを好まない」
「―――手塚。お前は本気なのだな」
「無論だ」
「わかった。お前がそこまで言うのならば信用する。俺はお前達二人を、陰ながら応援する事としよう」
「そうしてくれ」
売り言葉に買い言葉的に真田に応じていた手塚は、自らがいかなる誤解を真田に埋め込んだのか、全く気づかぬのであった。
ただいまとおかえり
よくも悪くも氷帝学園の顔である跡部は、気が進まぬながらも外部への繋ぎ役として押し出される事が少なくない。
中等部半ばにおいては、生徒会長とテニス部部長を兼任し、また学園への寄付金の多さもあって、一応はただの一生徒だというのに、公の場に引き出される事もあった。
学園同士の交流の場合などは、お約束の如く引き回されてしまうのだが、全てにおいて卒なくこなしてしまう跡部本人にも、責任があるといえばあるのだろう。
望まれれば、基本的には受容する跡部であり、ましてや中等部において世話になった(逆に世話というか、実務を肩代わりしていた感もなきにしもあらずであるが)榊の言葉とあれば、日頃の舌鋒は収め、物静かに従うのが跡部の常であった。
ある意味通い慣れてしまったともいえる青春学園内の敷地において、役目を果たした跡部は時間をもてあましていた。そのまま氷帝学園に帰るのもひとつの手であるが、榊は跡部が待っていると思っているかもしれない。
タイミング悪く、先に帰る旨を伝えそびれてしまったのは失敗だった。誰かに言伝ておけば良い事でもあるのだが―――何とはなしに、跡部はそうする事もせず、足の赴くままに歩いていき―――中等部のテニスコートの方へ来ていた。
高等部の方へは顔見知りが多すぎるので、行く気にはなれなかった。中等部にした所で、氷帝の跡部景吾といえば、知らぬ者の方が少ない――ましてや青学テニス部においては――有名人なのだが、跡部本人にはあまりそのような自覚はない。試合会場などで数回顔を合わせた、青学の2年生――現時点では3年生の一部に気づかれたら、煩いかもしれねぇな、と思う程度だったが。
「おや。珍しい顔が居るね」
「竜崎先生――お久しぶりです」
背後からかけられた声に振り向くと、綺麗に背筋を伸ばした体勢のまま、跡部は一礼した。
「相変わらず、礼儀の正しいこったね。うちのやんちゃ小僧どもに見習わせたいものだよ」
「ケースバイケースですよ。生徒同士の相手の場合は、かしこまる必要もありませんしね」
「おやそうかい。会長さんの顔の時は、見事な優等生ぶりのようだったが?」
「―――まぁ、会長として喧嘩を売っても仕方ありませんから」
「テニスプレイヤーとしては、売っていたというわけかい」
「あまり、効果は為されなかったようですがね。殆ど不発でしたし」
「そりゃぁ、相手が悪かったんだろ。あやつ以外は充分挑発されたさね」
「それも、意味がありませんね。一番売りたかった相手が買ってくれずにスルーしまくってくれましたから。いい加減、片思いじみているとすら、思うようになりましたよ、あの頃には」
「お前さんの求愛はなかなか熱烈で露骨だったからね」
跡部の言葉を受け、竜崎はからかうような言葉で返した。ジョークのつもりでいった言葉が上乗せされて戻ってきてしまい、一瞬硬直した跡部であったが、素早く己を立て直した。ここでうろたえでもしようものなら、からかわれるだけだと経験上わかっている。
「まぁ、自分に限る事ではなかったのではないですかね。よくも悪くも名が売れていたようですし」
「そりゃ、間違いではないね。しかし良かったじゃないか。積年の想いを成就できたんだろ?」
「―――――昨年の、大会中における
試合の事でしょうか」
「ははは。今更ごまかす事もないじゃないか。ああ送るのを忘れていたが、近い内にお祝いの品でも送らせて貰うよ。ペアカップあたりかね?それともペアのパジャマがいいかい?新婚用にはペアのバスローブあたりもお奨めだが、お前さんは似合いそうだが、あっちは厳しいね」
「―――――竜崎先生まで、その手の冗談をおっしゃられるとは。アイツもそうして遊ばれているので?」
「遊びに向く奴じゃぁないね。だが、ふざけて言っているわけじゃないんだが?あやつが留学を断った理由だろう?」
「・・・・・・・・・・どんな理由ですか。話をしたわけではありませんが、ただ単に時期早尚と思っただけではありませんか?身一つで行く事はできるけれども、潰れる可能性も高いと自分には思えますね」
「おや。会話の無い家庭は崩壊が早いよ」
「・・・・・・・・・・不干渉が、互いの生活を崩さずに済むひとつの手だとも思います。あと、自分的新しいルールとして、奴にはなるべく関わらないように気をつけてますので」
「そりゃまた何故だい?」
「――――いちいちまともに取り合うと、腹が立つからですよ。反応を引き出そうというのがそもそもの誤りで、放置しておけば勝手に動きます。手合わせに関しても、向こうがその気になった時に相手をしてやりゃいいわけですし」
「なるほど。北風と太陽か。じらし作戦は、確かに有効だろうよ」
「・・・・・・・・・・言葉の意味合いが微妙にずれてきているように感じるのは、自分の気のせいなのでしょうか・・」
にんまりと満足そうに笑む竜崎を前に、跡部はいいようのない脱力感を感じていた。何故に否定すれば否定する程に方向性がずれていくのだろうか?と、内心首を傾げるも、それに答えを返してくれる者は居ない。
「新しいルール」
手塚にとってこの世に苦手なもの。それは多いわけではない。
得手ではないもの。それはかなりなところある。けれど、そのどれもどうにかやり過ごせぬ事もない。
だが、苦手と分類される類いの中には―――努力辛抱鍛練創意工夫その他もろもろと―――頑張ってみてもどうにもならない事もあるのだのだ。
例えば、今現在この時のように。
「国光」
「はい」
穏やかな呼び掛けに、これまた静かに答える手塚。
手塚の母である彩菜は、薄く微笑をたたえ――そしてこれは手塚家特有ともいえるのだが――ピンと伸ばした背において、日本女性のお手本ともいえるような綺麗な正座で手塚に向き合い、そして手塚が母の為に煎れた茶を一口含むと、台の上に湯のみを戻した。
タン、と軽めの筈の音が、断罪の轟音が如くいやに手塚の耳に響くのは、つまりは追い詰められつつある心境故なのか。
「――それは、甲斐性の証しなのかしら?それとも不実の跡?」
「すみません、意味が、よく――」
戸惑いを抱きつつも、つい口を挟む。彩菜は機関銃のように舌鋒を繰り広げるタイプではないが、柔らかく穏やかにかつ圧力を加えるという高等芸を持っている。黙っていると、意味がわからずともただこんこんと説教をされる羽目に合うのだ。
彩菜の視線が、手塚の目許から頬にかけての反面に注がれているのはわかっている。そして、その事に対して何かを言いたいのだろうというのもわかる。
だが、先の言葉との関連性が全く掴めない。
「外で喧嘩に巻き込まれわけではないのね?」
「はい」
「転んだわけでもないわね?」
「はい。テニスボールが当たったわけでもありません」
反面を彩るのは、見るから殴られた跡とわかるそれで、しかも容赦ない力を込められたであろう事も推理力を働かせるまでもなくよくわかるだろう。何しろ、盛大な青タンが手塚の顔でその存在を主張しているからだ。
手塚の伸長からして、その位置に綺麗に拳を決められる人物など限られてくる。いや、思い浮かぶのは一人ぐらいしかいないだろう。
「お話しなさい」
「――はい」
話してちょうだい?でもなく、
くれるかしら?でもなく、
なさい。手塚に拒否権など、当然ない。
まるで悪戯を咎められた幼年時(――と、そもそもその当時から今に近しい性格であったので、あまりそういった記憶はないのだが)――のような心境で、事の成り行きを話す。
それはちょっとした事故であったのと、ちょっとした気遣い不足であったのだと。
部の練習後、ゴタゴタに巻き込まれ、結局シャワーを浴び損ねたままに帰宅した為、べとつく体を不快に思い、部屋に戻って早々にバスルームに飛び込んだ。部屋に入る前に、玄関先の揃えられた靴を見て、どうやら先に帰ってきている事はわかっていたが、特に気にもせず(必要も感じず)、例え中で鉢会わせたとしても同性だし、何ら問題があるわけもなかろうと、実際半裸状態で室内で寛ぐ事も互いに無いでもなかったし―――とそんなこんなで、手塚は躊躇なくバスルームの扉を開いた。
何ともタイミングが良すぎるのか、悪すぎるのか。目の前には全裸の、それこそ生まれたままの姿の彼が居て、腰元にタオルもなければバスローブを肩からかけている事も無く、まさに正面から御対面で今日は、な状態で。
一応、「すまない」と謝るには謝ったのだが。ついまじまじと、上から下までじっくり観察した後であったのが(観賞に絶えうるというより思わず見惚れ綺麗に鍛えあげられた肉体であったので仕方ないと思うのだが)不味かったのか。ただ単に虫の居所が悪かったというのもあるかもしれない。
しばし呆然と、瞬間凍結したかのように棒立ちとなっていた(意外と突発事態に弱いのかもしれない)彼は、ぶるぶると拳を震わせた後に、目にも止まらぬ鋭く抉るような右フックを手塚の顔面に見舞ってくれたのだ。手塚はまじまじと上から下まで観察した後に(観賞に絶えうるというより思わず見惚れ綺麗に鍛えあげられた肉体であったので仕方ないと思うのだが)
「
親しき中にも礼儀があるだろうと、言われました。最も、あいつに礼儀を問われるなど、考えてもみなかった事ですが」
「―――それで?その後は?」
「とにかく怒り心頭でしたので、ひたすら謝りましたが」
「そう。・・・・・・・・・・国光?」
「何でしょうか」
「あなたは確かにデリカシーに欠けるところがあったけれど、甲斐性までなかったのね。お母さんは心配で仕方がないから、こうして最大のチャンスを作ってあげたというのに・・・・なぜそれを生かさないの?」
「――――なぜ、と申されましても」
「既成事実を作ってしまえばこちらの勝ちだというのに」
寄生事実?帰省事実?一体母は何を言っているのだろうと、困惑する手塚を他所に、彩菜は悩まし気に溜息を吐いた。
勝負事には勝つのが一番で、どのような勝負でも負けたいとは思わない手塚なのだが、この時ばかりは即座に白旗を掲げ、戦線放棄ならぬ棄権申請が何より正しい選択のように思える。彩菜の言葉を聞いていると、まるで・・・・そうまるで、犯罪推奨されているような気分となってきたからだ。
「――ともあれ――油断せずに、いきます」
「しっかりするのよ?ここが国光の正念場なのだから」
「・・・・・・・・」
母の力のこもった応援らしき言葉に、手塚はここで従来通り逆らう事なく「はい」と答えるべきなのか。
いや、本能が伝える危険信号に従うべきなのか。
手塚はかつてない 苦渋の選択を迫られているのだった。
扉を開けたら着替え中
久々に顔を見せたと思えば、話の種は自分の事ではなく同居人に関する事とは。心が狭いと言われればそれまでであるが、面白く思わないのも事実だった。
次期青学の柱として期待をかけ、手塩に育てた――とは言い難いけれど(何しろ手塚はあまり教育係りには向かない)、それでもいつになく心にかけていたのだ。越前という少年には。そしてそれなりに懐いてくれていたと(その多くはライバル意識だったようだが)思っていたのだが―――越前は自分よりもあいつの方に心を開いているのだろうか。
「あまり、あの人に甘えない方がいいんじゃない?」
「他人に甘えた生活を送っている認識はない」
「部長なら、そう言うと思った」
「越前から見て、そう見えるというのか・・・・?」
「誰が見てもそう言うと思うっスよ。あの人。あんなんで面倒見良いから」
「まるでお前も世話になっているような口ぶりだな。あと、今の部長は桃城だろう」
「んじゃ、
手塚サン」
「・・・・・・お前にそう呼ばれると、何だか馬鹿にされているような気分になるな」
「尊敬してるっス」
「―――全く。青学のカラーにすっかり染まったようだな。いや、あの人の息子だという事か」
「糞親父は関係ないでしょ。あの人がアンタと同居決めたのって、結局はアンタの為じゃないの?」
「・・・・・・・・・そういう話をした事はない」
「改まって話す事じゃないじゃん」
「――――例えそうであったとしても、アイツは感謝されるなどは望まないだろう。俺が気づかないでいる方を、好むだろうな」
「何だ。わかってんじゃん。結局、アンタ達、二人だけで通じ合ってんだ。お互いしか見えてないし」
「そんな事は、ない」
「部長は――
手塚サンは、あの人に拘らないかもしれないけどさ、あの人って、最終的にアンタを中心に動いてるんだよね」
「――――そんな事は、ない」
「へぇ?」
目深に被った帽子の下の表情が、面白そうな笑みを浮かべているのがわかっても、手塚にはそれを咎める事はできなかった。否定が、どちらにかかった事なのか。敢えて繰り返すまでもなく、わかっているとばかりの越前に、手塚の眉間に皺が刻まれる。
「―――大体、何処からその話を聞いた?広言はしていないのだが。あいつと話したのか?」
「違うっスよ。こんな面白い話が、広まらないわけないっしょ。喧嘩のネタから下着色からの夕食のメニューまで、だだ漏れなんだけど。油断しすぎっスね」
「――――俺達にプライバシーはないのか・・・・?」
ニュースソースが誰で何処からなのかは、知れたようなものなのだが、そこまでの内容を話した覚えなどない手塚は、深く鎮痛な面持ちで呻くように呟いた。
そしてこの後、同じようにリョーマの襲撃を受けた跡部の方もまた、身内である氷帝の仲間達にすら話した覚えのない点を突っ込まれ、自身が日頃より注目を集める存在である為、公人のようなものだと割り切ってはいたものの、部屋に戻ったら盗聴器の存在その他をを徹底して探してやる――と、拳を握りしめたのだった。
プライバシー
周囲の懸念や心配を他所に、成田離婚ならぬ別居騒動に陥る事なく、手塚と跡部の同居生活は月日を重ねていった。
3日を越え、1週間を越え、1ヶ月を越え。3ヶ月を越える頃には、どちらも互いの扱いなど慣れたもので、親元を離れた気侭な生活をそれぞれ満喫していた。もちろん同居生活故、互いに譲り合う事は必要であるが、どちらも実は忍耐力――特に跡部は外面面において定評がある。跡部がことさらに手塚に突っかかるような真似をしないならば、二人の生活はそれこそつつがなく過ごせるものであったのだ。
基本的に互いの意志疎通は、キッチンに備え付けたノート大のホワイトボードや携帯メールによって交わされた。元々の生活習慣の違いもあるが、通う高校も別々であるので、生活時間が微妙に異なる。同居しているのだから、それぞれ合せて行動すべきだ――などとは手塚も跡部も思わない。無理に合せるのは、時と労力の無駄だと思っていた。どちらも、忙しい身であるからなおさらである。
「一日顔を合わせなければ、声を聞かない事も多いが」
「え?そうなのかい?まるで倦怠期の夫婦だね」
「跡部にしたら、『亭主元気で外がいい』ってところなのかな?ふふふ」
「・・・・・・どうも会話に不適切な表現が含まれているように感じるのだが。大石。俺と跡部は夫婦でも何でもないのだから、倦怠期どうこうはそもそも表現違いというものだろう。それに別にお互い倦んでいるわけでもなければ、疎んでいるわけでもない。互いの時間を尊重しているだけだ。それから不二。別に俺が外に出ているからといって跡部が喜ぶというのはどういう思考の流れなんだ?それとそもそもの問題として、何故
亭主になる?」
「あれ?手塚が奥さんの方が良かった?」
「・・・・・・・・・・・そういう問題ではない」
きらびやかに楽しげな笑みを向けられ、手塚の顔が不機嫌さを増す。大抵は、ここで手塚をからかう事など止めるのが普通だ。冗談の通じない相手をからかうほど、後の始末に負えない事はないのだから。
「何だ。やっぱり手塚は旦那役がいいんだね。まぁ、手塚は見た感じからして亭主関白だし」
「・・・・・・・・・・大石。その納得の根拠を教えて欲しい――いや、今のは訂正する。聞きたくないからもうこの話題は止めてくれ・・・・」
言ったが最後、喜々として説明を受けそうな気がした手塚は、深く重い溜息をつき、がくりと肩を落とすのだった。
そんな会話が繰り広げられるのが、此処最近の手塚の日常である。
「どうにかならないものだろうか」
「・・・・・・・・アン?」
帰宅してより、一日の出来事を脳内で反芻していた手塚は、誰に聞くともなしに独り言としてそれを呟いたのだが、ちょうどおりよく夕食の支度をしていた跡部が、出来立ての一品を運んできた所でそれを耳にした。ちなみに、珍しく二人の帰宅時間が重なり、その後跡部は愛用のエプロン(間違っても愛エプロンなどではなく、至ってシンプルなもの)を身につけ、一人キッチンで手早く夕食の準備を始めた。その間、手塚は皿の用意などちょっとした補助作業はしたものの、それ以降は「座ってろ」とかなりな圧力を(よく問いだ包丁の刃を向けての発言というものは脅しでしかないだろう)もって命じられ、座りこんでその日の夕刊を眺めていた。
「んだよ、まーだ遊ばれてやがんのか?受け流す事を覚えろよ。どうせなら乗ってみせて相手を閉口させるぐらいしてもいーんじゃねぇ?」
「跡部は、そんな風に応じているのか?」
「まぁな。ウチ(氷帝)の連中は、面白いと思った事にはとことん絡んできやがる。下手にこっちが隙をみせればカサにかかってくるだけだ。特に忍足の奴は要注意だな。人をネタに裏で何をしでかすかわかりゃしねぇ。どうも、裏で千石や幸村のヤロウどもとも繋がっているようだし・・・・。甘い反応見せれば向こうを楽しませるだけだ。いいかげん、うぜぇしな。どうせ絡まれるんならと、逆に惚気てやる事にした」
「惚気、る・・・・?」
不可解な異次元の言葉を聞いたかのように、手塚の表情が能面化した。周囲に翻弄されるという面において、手塚は跡部に仲間意識を抱いていたのだが、どうやらそれは勝手な思い込みであったようだ。そういえば、近頃の跡部にはストレスを感じているような様子は見受けられなかった・・と思い出す手塚であった。
「おお。こっちが慌てたり否定したりすっから、からかいのネタになんだよ。ちっと状況を想像して考えてみろ。他人の色事を延々と聞かされて、てめーは楽しいと思うか?」
「・・・・・・・・・・・それは、苦行、だな」
「だろ?ま、忍足のヤローは元々がロマンス好きだから、ちっとばかり手こずったが、近頃じゃ手塚の手の言葉を聞くだけで顔色変えて遁走していくぜ?」
にやっと笑う跡部の顔は、それこそ悪代官も裸足で逃げ出すような・・・・いや、西洋風の顔立ちである跡部であるので、表現的には悪魔そのものとでもすべき表情であるか。
「跡部・・・・お前は一体どのような話を・・・・」
「そりゃ、ないことないことないことに次ぐないことのオンパレードだな。てめーと俺様との間で日々繰り広げられる、蜂蜜がけ生クリームよりも糞甘い、捏造版、ベタベタ愛情蜜月生活――性生活込み。―――聞きてぇか?」
「いや。遠慮しておく。・・・・しかし、そこまでやらないといけないのか?」
「はん。やるからには徹底的にやらなきゃ駄目なんだよ。上っ面だけをなぞってもな、すぐにボロがでる。俺様が作り上げたネタは、今じゃ世紀の一大抒情詩並みだぜ?ついでに、ものすげぇ不本意だったが、奴らの期待しているネタをふらにゃ話が横滑りしそうだったから、配役はテメーが日夜構わず俺様に突っ込んでる事になってる。馬並みの絶倫にしといてやったから、感謝しろよな」
「・・・・・・・・・それは、感謝するところなのか・・・・?むしろ迷惑極まりないと思うのだが。これから俺は氷帝のメンバーと会った場合、どんな顔をすれば良いんだ?それに、千石や幸村にもその話が伝わっているかもしれないという事か?」
「はっ!いつも通りの偉そうな面してりゃ問題ねーよ。てめーに演技力なんざ、求めちゃいねぇ。何聞かれようと、睨みつけるか仏頂面してりゃいいんだよ。ああ、俺様が誰かと一緒に会話でもしていたら、更に不機嫌なところでもみせりゃ完璧だがな」
「・・・・・・・・・・俺を巻き込むな」
「ばーか。同居の話になった時点で一蓮托生なんだよ。不二と大石の奴にもな、何なら俺様自ら惚気てやるぜ?」
「・・・・・・・・・・・」
どこまでもとことん打たれ強いというのか、したたかというのか、手塚には無い強靭さを持つ跡部に、この男には生涯勝てないのかもしれない、と思い始めている手塚である。
何かに逃避するかの如く部屋を見回すと、すでに慣れ親しんだ空間が目に入る。この部屋は、今となっては長年過ごしてきた手塚家の自室よりも、居心地の良い場所であるかもしれない。ゴテゴテと飾り付けるかと思えば、意外にシンプルな内装を好む跡部の部屋もたまに入るが、落ち着いた穏やかさのある品の良い部屋だ。自分の部屋に至っては、当然の事ながらどこより落ち着く場だ。同居を始めた当初は、すぐに崩壊するだろうと思っていた薄い関係であったのだが・・・・・。たかだか寝泊りするだけの仮の宿のつもりが、今ではここが自分達の家であると、言い切る事ができる。
「―――しかし、周囲の思惑に踊らされるというのは面白くないな・・」
「ア?」
「人を勝手に誤解の枠に押し込めて、楽しまれているというのはお前も楽しくないだろう?」
「・・・・・だからといって、誤解を解けば面倒が増すだけだぜ?」
「ならば誤解を真実にすれば良い、とは思わないか?」
「手塚ぁ?お前、何言って、」
「期待には応えなければいけないだろう・・・・・・・・?」
熱でもあんのか?と伸ばした手を掴まれた跡部は、ぐいと引かれるままに床へと倒れこんだ。背に受けた一瞬の衝撃に息を飲んだ隙に、手塚の体重が圧し掛かり、こいつ、また少し伸びやがったな・・、とどこかずれた方向に僅かな怒りを感じた。が、すぐに今の状況の異常さを認識し、軌道修正の必要を感じ取った。
「待て手塚。てめー、キレやがったな?」
「そうかもしれないな。いいがけん、ここまで遊ばれれば、限界を超えもするだろう」
「だからって俺様を巻き込むな。って、てめーっ!脱がしてくんじゃねぇっ!」
「一蓮托生なのだろう?」
「・・・・・・・・・・・」
突き刺すように見据えてくる眼鏡越しの視線は、跡部を抑えつけるだけの力を有していた。――が、相手は跡部である。こんな所でこんな風に簡単に押し倒されたままでいる筈もなかった。
「・・・・・・・ち、わかったよ。確かに、踊らされたままってのは、面白かねぇな。だが、今は駄目だ。時期が悪ぃ」
「逃げるのか?」
「ああ。時には逃げる事も必要だ。どうせてめーは何も考えていないんだろうが、男同士の行為って奴は、後の負担がとんでもねーんだぜ?触りあうだけで済ますんなら別だが」
「中途半端では意味がない」
「・・・・・んな所だけ、やる気を起こすなよな。とにかく、大会も控えた今の時期に、体に負担がかかる真似なんざやりたかねぇ。油断せずに行けば大丈夫だなんて抜かしやがったら・・・・
殺すぞ?」
「―――わかった。ならば、いつなら良いんだ?」
「あー?秋口か、冬休み前の11月〜12月頃がいーんじゃねぇ?それと、やると決めたからには俺様も譲れない点がある」
「何をだ?」
「どっちがどっちをやるかって事だ」
「それは今更ではないのか?」
「ざけんじゃねぇ。どうせてめーは初心者だろ?だったら素直に、俺様の美技でよがってりゃいいんだよ」
「それは承服できない。跡部、お前こそ俺の手の内(手塚ゾーン)で存分に踊るがいい」
ギンと、目つきの悪さには定評のある二人が、相手を射殺さんばかりの殺気を込めてにらみ合う。
「・・・・・・・言いやがるな」
「・・・・・・・こちらもそれだけは、譲れない」
かつて、頂上決戦と称された関東大会最高の一戦を繰り広げた際ですらも、見る者が息をするのすら忘れるような張り詰めた空気の中での勝負であったが、それでもこの二人の間にこれ程までの緊張感は流れてはいなかった。
喰うか、喰われるか。
殺るか、殺られるか。
いやまさに、ヤルか、ヤラレるか――という状況であるのだが。
すでに冷めかけた夕食を挟み、中学テニス界ならぬ高校テニス界においても名の知られた有名人である手塚国光と跡部景吾。
その二人の間に走る緊張感はますますヒートアップしていくのだった。
――――そもそも。周囲の遊び心に付き合う必要などないのだが・・・・・・。
その事実を、この二人に教えてくれる者は何処にもいなかった。
僕の部屋君の部屋、自分達の家