付き合いが長くなってくると馴れ合ってくるのか。
それともただ単に相手が悪いだけなのか。
その日その時その場所で、氷帝学園の帝王である跡部景吾は一人固まっていた。
丁度、折りよく外出しようなどと思わなければ――
そう、時間がたまたま合致さえしなければ――
少なくとも昼間からこのような脱力感を味わう事はなかった筈であった。
バルルルル、と軽快な音を立てて走り去ったバイクが恨めしい。
いやに爽やかな笑顔で郵便物を手渡してくれた郵便局員の存在が憎らしい。
いや。そもそもはこれを出した人物にそれら負の感情は向けられるべきであって、その他の者からすれば単なる八つ当たりでしかないわけで、慣れたくなどなかったが扱い辛い手合いの人物との対応に慣れてしまった跡部 としては、ひとつ重い溜息を吐いて苦渋を示し、後は諦めるより他はない。
いつになく重い足取りで家へと戻る跡部の手の中で、それほど重量は無い筈の郵便物がいやに重く思えた。
「―――来るなら来ると連絡しろと前に言っただろう」
「るせぇ。来る予定なんかじゃなかったんだよ!」
出迎え一番説教をかましてくる男など、跡部を相手にした場合ただの一人しか有りえない。青春学園中等部、テニス部所属、全国クラスのプレイヤー手塚国光その人だ。
「予定外の出来事だとしても、途中で連絡を入れるぐらいはできるだろう。俺が不在だったらどうするつもりだったんだ?」
「戻ってくるまで待つ」
「跡部、お前はそんなに俺に会いたかったのか?」
「・・・・・・・・・・・・んなわけあるかっ!馬鹿抜かしてんじゃねぇっ!」
「しかしお前の言い分を要約するとそういう意味になるのだが」
牙を剥く跡部に臆する事なく生真面目に・・・・いや常と変わらず平坦な表情で返してくる手塚に跡部の顔が歪む。度を越した怒りを通り越すと笑うしかない状況というものがあるわけで、この時の跡部が正にその状態であった。比喩的表現で表すならば、額に青筋を立てつつ辛うじて笑みの体裁を保ちながらも目だけは全く笑っていない―――そんな表情であっただろうか。
そんな跡部の顔を前にしたら、大抵の者は即座に回れ右をしてダッシュで逃げを決め込むだろう。が、ここに居るのは手塚国光。跡部を怒らす事、そしてその怒りの炎に盛大に油を注ぎ込み、あまつさえ風を送って煽ってみせる大人物である。
「顔がおかしいぞ、跡部」
「・・・・・・・・・・・・」
瞬間。もしこの場に跡部と手塚の二人以外の人物が居たとしたら、びきりと跡部から放たれる音を聞いた者が居たかもしれない。いや、ぶつりと切れる堪忍袋の音か・・・・はたまた血管の切れた音だろうか。
跡部はともかく手塚が視界に入らぬようにくるりと背を向け、すうはぁと深呼吸をした。感情豊かと思われがちだがそれはあくまで表面的な事であって、真の所は常に覆い隠す事に長けている跡部である筈なのだが――ここで手塚の喉元を掴みあげてどやし付けずにいられた事は奇跡とも思えた。
――それほどまでに跡部は憤っていたのだ。
「話の途中で背を向けるのは失礼だと思うが」
「・・・・・・・・・・・」
1・2・3・・・・と数を数え、更には心の内にて「俺様は跡部景吾。氷帝の帝王。俺様は跡部景吾・・・・」と己に言い聞かせるようにして繰返し何とか心を落ち着けた跡部は、ゆっくりともう一度手塚と向き合う為に振り向いた。
「――――なぁ、手塚国光さんよ」
「・・・・・・普通に呼んでくれないか。背筋に悪寒が走ったぞ」
宥めるような猫撫で声を発した跡部に手塚はぶるりと震えてみせた。冗談ではなく本気で悪寒を感じたのだろう。が、跡部としては構った事ではない。
「そうかよ。風邪かもしれねぇな。お大事にな。それで、よ。寝込む前にひとつ聞いておきてぇんだが」
「答えられる事ならな。それと訂正しておくが、お前の口調に悪寒を感じただけで風邪ではない」
「ああそうかよ。健康体で何よりだ」
「褒められている気がしないな」
「褒めてねぇよ。―――じゃねぇだろっ!話が脱線してばかりじゃねーかっ!」
「脱線させているのは跡部の方じゃないのか?」
「てめぇだてめぇっ!手塚国光っ!!」
「人を指差すな」
「・・・・・・・・・・・もーいやだ。なぁ、手塚ぁ。お前、実は俺の事、心の底から嫌いだろ?」
がっくりとうなだれ力なく呟く跡部はいつになく疲れているようであった。
「そんな事はない。だが、俺の方こそそれを聞きたい所だった。お前は俺の事を実は本気で嫌っているのではないか?」
「ああ、そーかもな。段々そんな気がしてきたぜ」
跡部の口調は完全投げやりになっていた。すでにここに来た事すら後悔しつつある。しかし跡部は無駄足は嫌いだ。来てしまったからには目的を果たして帰らなければならない。そう思い決めると、手塚の茶々入れ(本人にそのつもりはないが)など入らぬように、肝心要の品を突きつけた。
「見覚えあんだろ?」
「ああ。もう届いたのか」
感心した風に頷いてみせる手塚の前には一通の封書があった。ごくごくシンプルな白封筒に、几帳面な文字で書かれた宛名。
そこにはしっかりと「
跡部景吾様」と書かれていた。
「てめーが手紙を寄越すってぇのは珍しいよな」
「何か不意に郵便局経由の手紙を懸賞以外で出したくなったんだ」
「それでこれか、不幸の手紙か、俺はあと22人に同じモノ書かなきゃ不幸になるのか、殺すぞ糞が」
さらりと言い切った手塚を前に怒りを覚えぬ者など居るであろうか。――いや、居まい。(反語)
ぐしゃりと手紙を握り締めた跡部の怒りを知ってか知らずか、手塚は全く誠意の感じられぬ口調と、やはり謝罪の気持ちが全く感じ取れぬしれっとした表情で「そう、興奮するな」と跡部を諌めるのだった。
「何か不意に郵便局経由の手紙を懸賞以外で出したくなったんだ」
「それでこれか、不幸の手紙か、俺はあと22人に同じモノ書かなきゃ不幸になるのか、殺すぞ糞が」
「――親切なんだか考え無しなんだか、時々わかんなくなんだよな・・」
はぁと憂い顔も麗しく溜息を吐いたのは、氷帝学園にこの人有りと名指される名物会長兼名物部長である跡部景吾であった。
太陽も傾き夕暮れ時の気怠い時間帯。本来ならば、照明機材も有しているテニス部であるのでまだまだ活動時間内であるのだが、中間試験も近いという事もあり、部の方は早めに切り上げられていた。いや、そもそも部活動に関しては全面禁止の期間であるのだが、そこはそれここはそれ。魚心あれば掌という奴で――品行方正たる文武両道の生徒会長サマの言には並み居る教師群と言えども口を挟めない。
何しろ氷帝学園の生徒の大半がテニス部部員である現状に加え、跡部が部長に就任してより、テニス部に所属する者から成績不優秀者なる者は出ていないのだ。かなりな所ギリギリな者も居るには居るのだが、鬼部長たる跡部は鬼教師たる素質も有しているようで、跡部のブラックリストに載っている者達は試験が近くなると、部長自ら徹底的に扱かれているようである。
その内容たるやスパルタ式の学習塾すらぬるま湯と思える程のものであるらしく、跡部の特別指導を受けた者は総じて試験当日幽鬼のような、かつ鬼気迫る様相をもって答案用紙に向かう。その成果は絶大なるもので、一度洗礼を受けたる者が二度はけして受けぬという事実からも知れる事ができるだろう。
今期に関しては、部員が総じて皆が皆、
『跡部部長の御手を煩わせないように!』との気合を入れ込めていたが為、跡部の特別集中講座は開催される事なく試験日が近づいてきている。
そうなると、元々テスト勉強など不要な跡部であるので逆に時間が余る。
これ幸いとばかりに、折り良くテスト期間が重なった青春学園のライバル兼友人・・・・から少しばかり毛が生えた関係にある相手の元へと遊びに行ったりなどできたわけだ。
跡部がそうであっても相手は時間を潰され迷惑か――と案ずるのは無用の心配というものだ。
苦手教科無しの全教科得意科目と豪語する跡部であるので、学校が異なれども、充分臨時の良い家庭教師になり得るのだ。それならば部員達はどうなのかと問えば、素地が出来ている者とそれ以前の者との違いというものだろう。
つまりは、元々それなりの成績を保っている相手であれば、跡部の指導も随分と柔らかなものとなる。が、それすら無い者で、かつ限定された期間内という制限がある場合には、心を鬼にして詰め込めるだけ詰め込まなければならないというのが跡部の主張であった。最も、毒舌鉄拳指導を行う際の跡部は実に愉しそうに見える――というのは、特別講座に参加した者達に共通する内なる意見のひとつである。
「何の話だよ」
珍しい跡部のぼやきなる物を聞き咎めた宍戸が着替えの手を止めて跡部に問いかけた。それに対する答えが発せられるより前に、口を挟んできた者が居る。中途入部である筈なのに、いつの間にやら部内にしっくり馴染み・・・・馴染み過ぎる程に溶け込んでいる、似非関西人との名も高い忍足である。
「あかんで〜宍戸。他人のお惚気聞いて楽しい事ないやろ?」
「惚気ぇ?!」
「――ばっ!忍足てめぇっ!何抜かしてやがるっ!!」
また女変えたのかよ、とばかりに柳眉を上げる宍戸であったが、忍足の言葉に過剰なまでの反応を示す跡部に逆に興味を惹かれたようであった。『跡部様』といえば学内にファンクラブが存在する程でもてにもてる。宍戸が知るだけでも、両手の指が余るぐらいの数の顔が、跡部の横に並んでは消えていった。それはつまり回転が速いという事でもある。
結局の所、テニス第一である跡部であるので、恋愛重視の女の子との関係が長続きしないのだ。そして跡部は来る者拒まず去る者追わずを貫いており、それなりに大事にはしていたようだが、彼女との関係をからかわれて反応するような可愛気は今まで持ち合わせてなどいなかった。
これはもしかしてもしかすると本命現るって奴か?だが、跡部の奴はガードが固いからこれ以上の情報は取れそうにねぇな・・などと宍戸が内心思っていると、跡部に詰め寄られ襟首を締め上げられながら、忍足がにやにやと笑いながらネタを振ってきた。こういう所が宍戸に限らず、忍足はMの気があるのではないだろうか?と氷帝部員達が疑う所以である。
「
初めて好きな子の部屋に行った時の事やで?お惚気やろ?」
「へぇ。部屋にねぇ。跡部の奴も結構中学生らしい恋愛してんじゃね?」
「それがなぁ、傑作でなぁ。跡部、何のかんの言うてお育ちがええやろ?出されたもんは断れへんやん」
「
あ、そのハナシ聞いた。出されたジュースが養命酒だったんだろ?」
さすがは相方というか何なのか。忍足の言葉尻を捉えた向日がこれまた会話に乗ってきた。どうやらこの話に関しては、宍戸以外の数名はすでに聞いている内容であるようなので、今更跡部が隠すような事でもないように思えるが・・・・自分の口から言うのと、他人会話の種にされるのとの違いなのかもしれない。
「って養命酒かよ!そりゃ渋いっつーか。その子、体弱いのか?」
養命酒=虚弱体質。基本的に刷り込みの知識はそんなものである。
「弱くないやろ。逆に頑健とちゃう?」
「って、侑士、相手知ってんのかっ!?俺が幾ら問い詰めても跡部吐かなかったんだぜっ!」
「そんなん日頃の跡部の態度見とれば丸わかりやん」
目をきらきらと光らせ(あからさまな好奇心丸出しの瞳で)詰め寄る相棒に、忍足が人の悪そうな笑みを浮かべる。そのまま密やかに耳打ちしようとした忍足であったのだが・・・・地の底から・・・・いや地獄の底から響いてくるかのような跡部の押し殺した「
―――忍足」という声に、笑みを顔に張り付かせたまま固まった。何のかんのいっても、忍足も最終的な所では跡部に逆らえぬのだ。
「―――あ〜、・・・・言わんて。そない怖い顔せんといて」
「・・・・・・・・・・ふん」
「俺は似合いやと思うとるけど」
「そーかよ」
「養命酒かて、跡部を思うての事かもしれへんで?」
「
アァ?」
「跡部、冷え性やし、貧血気味やったし、風邪も引きかけやったろ??」
「・・・・・・・・・・・・」
忍足の指摘に跡部がぐっと黙る。怒るに怒れない、そんな表情で。
「って跡部、お前無理しすぎじゃね?そりゃ、生徒会もあるし忙しいのはわかっけどよ」
「うるせぇ。大した事じゃねぇよ。第一もう治った」
「それ、養命酒のお陰じゃねーの?」
「断じて違う!」
きししと笑う向日を相手に牙を剥く跡部というのは実に珍しい。実際、少し離れた位置で先輩達の会話を聞くとはなしに聞いていた鳳などは目を丸くしていた。
「尽くされとんなぁ」
「純和風って奴か?」
「お、ええとこ付いとるわ」
「忍足っ!てめぇっ!好い加減にしやがれっ!」
「わっ!待てや跡部!机はアカンっっ!!!」
顔を僅かに朱に染めた跡部が、机に手をかける。それを目にした忍足は慌てて両手を挙げて跡部を宥めにかかる。
氷帝学園テニス部男子は、試験寸前何のその。今日も今日とてにぎやかしのようであった。
「初めて好きな子の部屋に行った時の事」
「あ、そのハナシ聞いた。出されたジュースが養命酒だったんだろ?」
「嘘吐き!」
言下に言い捨てられて一瞬怯む。
面の厚さには定評のある跡部であるが――自覚としても大概鍛えられているとは思っているが――それでも、普段あまり物事に拘らない、よく言えば鷹揚な、悪く言えば感情の起伏があまり無く、他者及び周囲への興味が薄い手塚に即答されるというのは微妙に顎を引きたくなるような感覚を覚える。
ついでながら、その指摘というか糾弾が全く持って理不尽な物等ではなく、正にそれこそ真実を言い当てているとすれば尚更な事かもしれない。
ま、こんなあからさまな嘘に騙されるような奴などいねぇか、と思う所もある。が、何せ相手はあの手塚国光。
テニスの腕前だけならば全国レベル。どこかが抜けた天然的な部位においても国宝級に近いとなれば、こちらもやはり全国レベル。
そんな理由も相まって、果たしてあの手塚に、嘘というか大法螺が何処まで通じるだろうか・・・・?というような、悪戯心がついつい沸いたりなぞしてみたわけだ。
最も、青春学園にはあの不二周助という難物も居る。手塚のような性格では一たまりもないだろう。よって充分鍛えられているとも考えられるが・・・・この手の事は、幾ら遊ばれても懲りるというか簡単に成長するというわけでもないので、手塚のその愛すべき性質に関しては生涯変質する事もないのかもしれない。跡部にしても身近にやはり、その厳つい概観の割りに素直で他人を疑う事を知らない樺地という存在があるので、それはそれとして良いかもしれないとも思っている。だからといって、からかいの種にしないというわけではないけれども。
「マジだって!家出た瞬間宇宙人に攫われたんだよ!!ちょっと脳味噌吸われてたんだってば!!!」
酷く焦りパニック感すら滲ませた様相で跡部は手塚に言い募った。面の厚さだけではなく演技力も持ち合わせている跡部であるので、内容はともかく疑う方がおかしいとすら思える真剣ぶりである。
そうして跡部があまりに真剣に訴えるので、手塚の表情にも変化が見られてきた。絶対に信用などできない、と眉目が深く皺を刻む程に寄せられているのであるが、厚い眼鏡のレンズの向こう側の瞳は僅かではあるけれど、逡巡に揺れている。実際扱い易いというか、掴み易いというか、からかい易いというか。鉄面皮の無表情。感情欠落人間などと手塚が言われているのを聞く度に、跡部としては「何処が?」と首を傾げたくなるわけである。このあたりを同意してくれるのは、手塚の実の母である彩菜ぐらいであるのだが。
実際の所、手塚家への訪問が約束の時間を少しばかり遅れただけで嘘をつく必要などない。基本的に跡部は時間遵守であり、遅れる事など滅多にない。けれども手塚家を目指す車中において、買い物帰りの大荷物を抱えた彩菜の姿を見れば、そのまま通り過ぎる事などできない。
この場合、車に誘い送ると申し出ても彩菜の場合は「すぐ近くだからいいのよ」とやんわりと断られるのが予測するまでもない事であったので、跡部はその場で車を停めると、「ここまでで良い」と運転手を帰し、彩菜の傍らに駆け寄って「お手伝いします」と、重い方の荷物を引き受けたのだ。
その後は、テニスで鍛えた跡部の健脚と彩菜の足が同等である筈もなく、ゆったりペースの彩菜の足に合わせて歩いた為に、跡部は少しばかり予定より遅れて手塚家へ到着したのだった。その事を正直に手塚に言えば何ら問題などないわけだが、そう素直に事実を話すのも面映いし面白くはない。ついでながら、折良くとでも言うのか、カレンダーの日付が4月1日という記念日であったというのも、跡部に手塚で遊べと後押ししているかのようであった。
「マジだって!本当、信じられねーだろうけど!」
「・・・・・・・・だ、大丈夫、なのか?」
重ねて強く訴えると、手塚の表情が不審そうなものよりこちらを気遣うものと成り変わる。
素直にも程があるというか、幾らなんでもそりゃないだろ、と憐れむべきなのか憂うべきなのか。
跡部はそれこそ「・・・・マジか?!」と盛大に噴出しそうになるのを堪えるのに必死であった。
さすがの跡部といえども、そんな状態において平静さを保つのは容易な事ではない。歪んで緩みそうな表情筋を必死で押さえ、それが故に表情が消えて妙に真剣味を帯びた顔となった跡部は、口を開けば間違いなく爆笑しかありえぬ為に口元を引き締め、代わりとばかりにこくこくと子供めいた仕草で何度も頷いた。その動きが余計に手塚に信用させたというか、跡部に対する疑念を捨てさせてしまったというのは、怪我の功名というか棚からぼた餅とでもいうのか、はたまたひょうたんからコマという所か。
手塚の心配気な視線と気遣いの言葉に包まれながら、跡部はどの時点で嘘だジョークだとばらすべきか、いやこのままこれは嘘を突き通した方が手塚の為でもあり跡部の為でもあるのだろうか・・・・などと、考えるのだった。
ちなみにこの時、跡部は手塚でこれならば樺地はどう反応するだろうか・・?などと懲りぬ事も同時に考えており、何故だか宇宙人=青学の大石という図式が脳裏に浮かび上がっていたりしたのだった。大概懲りないのは、跡部の方であるのかもしれない。
「嘘吐き!」
「マジだって!家出た瞬間宇宙人に攫われたんだよ!!ちょっと脳味噌吸われてたんだってば!!!」
外観だけならば正に天使のような――と言い切るのが誰より相応しい。情緒面において多大なる欠落部位を持つ・・・・生まれながらにして持ち得ていないとすら言われる手塚をして、跡部景吾という少年はそう言い切れる愛らしさと美々しさを持って生れ落ちていた。
ただし、中身の方はその限りではない。これほど外面が内面を裏切る存在というものを、いまだ生を受けて数年とはいえ、国光は景吾の他に見た事がない。これからも無いだろうと思い込みばかりではなく確信すらできる。
西洋人形の如く、触れる事すら憚られる、穢してしまうか壊してしまうかとつい危ぶんでしまうような繊細な見てくれに反し、中身はそこらの悪餓鬼と全く変わる事はない。いやむしろ、その頂点に立つとすら言える。あまり活動的ではない手塚と違い、跡部は非常に活発で溌剌としている。
母親荷の風貌は少女めいていて、口の悪い奴などに最初はオカマ呼ばわりされた事もある。これは、一見大人し気に見える景吾が、見た目だけなら類まれな美少女として通ってしまう外観であるのが悪かったとも言える。一目惚れした相手が実は自分と同じ男の子だと知って、ショックを受け、その後腹立ちに切り替わってしまうというパターンだ。
が。景吾の場合は相手が悪かったとしか言いようがない。馬鹿にした相手、手を上げてきた相手に対して跡部は実に容赦が無い。
徹底的に叩き潰す。
喧嘩をふっかけてきた相手が翌日からは跡部の舎弟のようになってしまっているのだから、何があったか押して知るべし。
国光の知らぬ内に、景吾はこの界隈の悪餓鬼共の頂点に立っており、どうやらボス扱いされているようであった。
腕っぷしだけならば、国光にも充分その資格はあった。ただ、やらないだけで。
国光は、祖父より武術の手解きを受けている為、無闇に喧嘩に関わる事を良しとはしていないのだ。ただし、景吾に対して卑怯な手段が用いられた場合にはその限りではないが。
日本人の特質を色濃く現した国光の外観と、西洋的風貌でる景吾の二人は、その性格も静と動とで正反対と見られていたが、当人同士は実に仲良い関係を築いていた。母親同士が大変仲の良い間柄であった為、赤ん坊の折より共に育ったようなものであるので、血は繋がらないながらも、兄弟のようなものだ。
互いの家に行き来する関係であるが、どちらかといえば景吾が国光の家に遊びに来る方が多い。それは、景吾の居住が仰々し過ぎるという事が理由として大きいかもしれない。
今日も母親に連れられて、景吾は手塚家へとやってきた。母親同士は下で茶を飲みながら楽しい会話をしており、子供は子供同士で・・という事で、景吾は国光の部屋で遊ぶ。これもいつものパターンだ。時には喧嘩もするが、基本的には仲の良い二人であるので、国光も景吾が遊びに来るのを楽しみにしている。が、今日は少しばかり楽しいとは言えなかった。
部屋に来てから景吾は何やらごそごそやりだしたかと思えば、延々とその作業をしている。部屋の主である国光の事など忘れたかのように自分の作業に没頭している。はっきり言えば面白くない。そんな国光の不満オーラを感じ取ったのか、景吾がくるりと振り向いた。
「コレで苦しんでる人はオレ以外にもたくさん居るはず、だから、戦う。どこかに居る仲間のために」
ぐっと拳を突き上げ宣言する景吾の姿は勇者とも呼べるものかもしれない。
しかしながら、その手に握られているのは伝説の剣とか不思議の杖とか聖なる秘宝とかうんたらなものではなく。
たらんと下がったへの字の眉が何処か悲し気にも見える「テルテル坊主」なのだった。ちなみに景吾の足元にはその親子か兄弟か友人かはわからぬが、同系列のものがゴロゴロ転がっている。全て、景吾が来るまでは存在しなかった物達だ。
それらを見やり、国光ははぁと子供らしからぬ溜息を一つ吐いた後に景吾に向かい、あまり同情心も見られぬ口調にて
「体育祭に備えて逆さテルテル坊主大量生産か、運動音痴は大変だな」と言った。
「違ぇよっ!」
国光の言葉に景吾が声を張り上げる。まるで言われなき批難を浴びたかのようであった。
「だが、それだけテルテル坊主に熱意を込めていたんだ。体育祭が嫌なんだろう?」
「体育祭が嫌だからって運動音痴とは限んねーだろっ!俺はスポーツ全般得意だぜっ!」
「そうか」
喧嘩の腕っぷしは知ってはいたが、それがスポーツと比例するとは限らない。青春学園と氷帝学園と、異なる学校に通っている為に、国光は普段の景吾がどんな生活をしているかは知らなかった。
「だったら何がそんなに嫌なんだ?」
「――――そ、それは・・・・」
「景吾?」
「・・・・・・・・女装させられんだよっ!盛り上がるからって毎年毎年、チアガールの格好させられるんだっ!男子校ならともかく、女の子も居るんだぜ?何でこの俺様がスカート穿いてひらひら足上げなきゃなんねーんだよっ!」
国光の問い詰めに黙り込んだ景吾であったが、じっと見つめる内に白状した。憤りに顔を朱に染め目元に涙を滲ませながら怒りの言葉を放つ景吾の姿は、大層可愛らしくも見え、国光としては氷帝学園の彼等の主張がわからなくもなかった。
「大変だな」
「てめーっ!全然同情こもってねぇぞっ!!」
「景吾は同情されたかったのか?」
「されたくねーよっ!国光なんかに同情されたら、そっちの方がよっぽど虚しくなる!」
「随分だな」
あまりといえばあまりな物言いにさすがの国光もむっときた。最も、表情ばかりはいつもと変わらなかったけれども。
「うるせー馬鹿光!」
「俺はそんな名前ではない」
景吾の罵倒に律儀に返事を返しながら、国光は後で景吾の母にビデオのコピーを頼もう・・などと考えていた。それは後日、手塚家一同の団欒の場においいて、微笑みをもって見られる事となるのであった。
「コレで苦しんでる人はオレ以外にもたくさん居るはず、だから、戦う。どこかに居る仲間のために」
「体育祭に備えて逆さテルテル坊主大量生産か、運動音痴は大変だな」
「
――って、あのなぁ、手塚。プリンに醤油かけんじゃねぇっ、つったら何度わかんだ?てめーはよっ!」
トポトポと、簡素な器に盛られたプリンに無造作に醤油をかける手塚の姿を目にした途端、跡部は顔面をさぁっと蒼くして叫んでいた。
その表情には悲壮さすら漂っていたかもしれない。
「いや。だがこうするとウニの味になると教わったのでな。跡部、お前も一度食してみたらどうだ?」
跡部の怒りというか、震えて嫌がっているという状況にすら気づいていない手塚は、どうだ?との言葉と同時に跡部の方へと器を差し出した。
その動きにより、艶かしくも、プリンがぷるんと揺れ動く。
てっぺんからつつと壁面に沿って、滴り落ちて流れていくのは、黒き液体。
甘く焦がしたカラメルソースではなく、見かけばかりはかなり近しい黒色ではあるのだが・・・・それは、焦がせば香ばしくも鼻腔を擽るであろう日本人には御馴染みの一品、
醤油なのである。
それこそ、心の底から――腹の底から跡部は嫌がっているというのに・・・・手塚は黙々とその醤油がけプリンをスプーンですくい、口に運んでいたりする。特に表情が変わらぬので、判別は難しいかもしれないけれど、そこに不快感は全く見られず、ラリーの応酬に勝るとも劣らない淀みないスプーン運びからいって、手塚の舌には馴染んでいるようである。
「するわけねーだろうがっ!止めろっ!今すぐっ!本物のウニを食わせてやるから、ふざけた事抜かしてねぇできっちり事実を認識しやがれ!」
ばんっ!と跡部が勢い良くテーブルを叩いた為に、テーブルの上にあった皿やら椀やらグラスやらが一瞬浮いたり揺れたりする。幸いにして、この2大部長と相席するチャレンジ精神を持った者は居なかった為に、被害は最小限に抑えられていた。
怖いもの知らずで知られる越前リョーマは、少しばかり二人の傍に行きたい素振りを見せたが(何のかんのいってかの二人に懐いているのはバレバレである)、周囲の制止と、あとはどちらの隣に座るべきなのだろうかとの判断がつきかねた為に、大人しく仲の良い桃城の居る席に落ち着いた。それはそれで懸命なる選択であっただろう。
「相変わらずすごいね、あの二人は」
「あー跡部の奴、ちょぉ前に新聞部のインタビューで、
『好きな男性のタイプは?』て聞かれた時にな、
『・・・プリンに醤油かけて「ウニでも食べよっか」とか言わない人』とか言うとったなぁ」
「へぇ。つまり跡部は手塚を好みのタイプに変えたいって事なのかな?」
くすくすと笑みを浮かべながら言う不二の言葉に跡部が反応しないわけもなく。ばっと勢い良く振向くと、今にも噛み付かんばかりの形相で、不二の発言を否定した。
「そこっ!気色悪い事抜かしてんじゃねぇっ!」
「跡部。お前の気持ちは尊重したいし、光栄に思わなくもないが、俺にも譲れぬ所があるのでな」
「てめーも素であの馬鹿どもの言葉鵜呑みにしてんじゃねぇよっ!!俺はただ純粋に
『プリンに醤油かけるような奴』が大っ嫌いなんだよっ!」
「ふむ。ではプリンを食べた後に醤油を舐めれば・・・・」
「屁理屈抜かすんじゃねぇっ!てめーは忍足かっ!」
「待て跡部。それは幾らなんでも言いすぎだろう。俺にも受け入れられるべき暴言と受け入れ切れぬ言われなき罵倒というものがある」
珍しくも表情を変え(不快気に眉を潜めたわけであるから、青学部員達にはそこそこ馴染みの表情かもしれないが)、手塚が跡部の言葉に反論する。また、その反論を、然程離れた位置に座っていたわけでもない忍足が聞き逃す事もなかった。
「わー自分ら、何気にめちゃ酷い事ぬかしとる自覚ある?――なぁ、聞いとる?」
「無駄だって。それより食べる?ワサビ巻き」
「・・・・ここにまともな奴は居らんのかいな。あ、俺には別のまともな寿司、握ってな。納豆巻以外で頼むわ」
カウンターに並んで座った青学天才と氷帝天才の2名は、背後の騒動に楽し気な笑みを浮かべながら、カウンターの向こう側に立つ河村とその父に対し、それぞれの好みに応じた追加のオーダーを頼むのだった。
「好きな男性のタイプは?」
「・・・プリンに醤油かけて『ウニでも食べよっか』とか言わない人」