人日の節句 / 手塚編
「―――それでは、お邪魔致しました――――ぁ」
「どうした、跡部?」
玄関口まで見送りに来た手塚と母である彩菜に、丁寧な礼をした跡部はそのまま流れるような仕草で扉を開けたのだが、そこで静かに固まった。
不思議に思った手塚がつられるようにして外を覗くと、そこは一面昼間変わり果てた銀世界。早い時間から窓を閉め切っていた為に、天候の変化に誰も気づかなかったらしい。確かに足元から来る冷え込みには閉口していたのだけれど。
「これは、積もったな」
「僅かな間にやってくれるじゃねぇのよ」
ちっと舌打ち混じりの言葉は、それでも抑えられたものだった。手塚の母、彩菜の目を気にしての事らしい。綺麗な顔立ちに似合わぬ、砕けたとは聞こえが良いが・・はっきり言えば柄が悪いとしか言い様の無い跡部の口の悪さではあるが、年長者に対してはこれで不思議と丁寧な物言いをする。相手によっては慇懃無礼と取れる態度を取るようだが、気に入った人物に対しては敬意の心を忘れない、いかにもな良家の御子息そのままの姿となる。躾と礼儀に厳しい手塚の祖父ですら合格点を出すのだから、相当なものだ。
「跡部、このまま帰るのは厳しいのではないか?」
「タクシー、呼ぶか」
「この雪ではなかなか捕まらないんじゃないかしら。そうだわ、もう遅いんだし、泊まっていったらどうかしら。明日もお休みなんだし」
「いえ。そんな御迷惑をおかけするわけには・・・・」
「迷惑なんかじゃないわよ。歓迎するわ。こんな雪の中を帰す方が心配だし、ねぇ国光?」
「ええ、まぁ・・・・」
時折、跡部の事をか弱い女性の如く気遣う母に戸惑う事も多々ある手塚であったが、この場合は確かに同意できる事だった。跡部の履いて来た靴は、雪の中で歩くには適しているようには見えない。無様に転ぶ様を想像はできないが、普通に考えれば雪道では転んでしまうだろう。そして深夜に近い頃合という事で、車通りも危険と言えた。雪道に気を取られたドライバーがハンドル操作を誤るか、もしくは周囲への注意が散漫となる事も考えられる。
「泊まっていったらどうだ?」
「そうよ。そうなさい。お義父様も喜ばれるわ」
「もう、休まれているのでは?」
「まだお休みではないわよ。跡部君が早々に国光の部屋に上がってしまったので、お部屋で拗ねていらっしゃるの。もし良かったら、眠くなるまで少しの間、話し相手をしてさしあげて?」
「―――喜んで」
彩菜の言葉に跡部は微笑みながら頷いた。
世代の違いは話題の違いという事で、手塚の祖父国一と跡部の話が合うと思う方が不思議なのだが、実はしっくり合っている。意外に聞き上手な跡部が、寡黙な国一の話を上手き聞きだすのだ。日頃厳格な国一が、跡部と話した後は不思議に思う程に上機嫌となる。もしかすると孫である手塚よりも気に入られているかもしれない。
幼い頃から多忙を極め、国内・海外を飛びまわっていた両親に代わり、跡部は祖父と祖母に育てられたようなものだと聞く。年配者の扱いが上手いのはその為だろう。最も、跡部本人も人生の先達者を敬い、尊んでいるようだ。日頃の挑戦的な態度が嘘のように、真摯な態度で接する様を見ればそれも明らかである。
ニュースを見ても、雪は深夜にかけて益々降り積もるようで、すぐには止みそうにないようだった。それを確認した跡部は、誘ったのはこちらだというのに、恐縮した様で彩菜に今晩泊まらせて貰う事に礼を言い、それから自宅の方へと連絡を入れた。親御さんが心配するだろうから説明しましょうか?と問う彩菜に、両親は年末からずっと居ないし、祖父・祖母はもう休んでいるので使用人に連絡をしただけです、と断ってきた。
日頃の信用があるので、明日帰ってからでの説明で充分ですよ、と綺麗な微笑みを浮かべる跡部に、彩菜は感心したように微笑みながらも見惚れていた。全く人の母親を垂らしこむんじゃない・・・・と、手塚は声には出さず静かに心の内だけで嘆息するのだった。
風呂を出た後、寝着を差し出した時はそのまま受取った跡部なのだが、着込んだ後に微妙袖が余ったらしく不満そうな表情を浮かべていた。裾の長さはぴったりなのだから良いではないか、と―――よく考えればそれは自分の足の長さを自虐するようなものであったのだが―――言えば、すぐに機嫌を直して満足な笑みを浮かべるあたりが妙に可愛らしく見えた。まぁ別段手塚の足が短いなどというわけでは全く無いわけで、単に跡部のスタイルが日本人離れしているというだけなのだが。
国一との話が少し長引き、時間的にはかなり遅くなった為、手塚と跡部は部屋に戻るとすぐに眠りについた。はしゃいで夜通し語り明かす・・・・という二人ではないので、横になったらすぐに眠りについて朝までぐっすりだった。そして二人は目覚めも早い。窓の外が明るくなってくると、どちらともなく起き出していた。
カーテンを引くと、反射による太陽の光が眩しい程だった。夜の内に積もった雪はかなりの量なようで、窓の手すりに高い層を作っている。昨晩帰さずにいて正解だったな、と手塚は母の判断に感謝した。
とんとんとん、と階段を上ってくる音にそちらを向くと、軽いノックの後に扉が開かれた。こういう時、素行に問題のある同年代のクラスメイト達だと慌てふためく・・・・という事態に陥るようなのだが、自他共に優等生と認められる手塚の場合はそんな事はない。鍵を取り付けようかという母の問いにも「別段必要ないでしょう」とあっさり答えた程だ。
しかしよく考えてみれば、今日は手塚一人というわけではなく跡部も泊まりこんでいる。肉親以外に寝起きの姿を見せるのを嫌がるかもしれない、と一瞬の間に考えた手塚であったが、視線を向けた先にはそれは杞憂であると知れた。
すでに衣服を着替えて身だしなみを整えた跡部は、寝具すらも片付けて準備万端という様だ。全く隙の無いあたりはさすがと言えよう。
「国光・・・・跡部君・・・・起きている、かしら?」
「おはようございます、叔母様。気持ちの良い朝ですね」
「おはようございます」
「あら二人とも、早いのね」
休日だというのに、すでにしっかり着替えを済ませている二人に微笑みかけた彩菜は、「食事の用意が出来ているから、降りていらっしゃい」と声をかけて階下へと戻っていった。
「朝食は食べないとか、ないか?」
「いや。食うぜ。純和食の朝食なんだろ?楽しみだな」
そう言って世辞ではなく本当に楽しそうに笑むので、手塚も吊られたように笑みを浮かべる。今日の朝食はいつもより美味しく感じるかもしれないな、などと思いながら。
食卓へと着くと、父・祖父と手塚家揃い踏みといった状態だった。椅子の方は5席分あるので問題ない。こうして5人の席が埋まるというのは久々で、見回すと父も祖父も母も何処か嬉しそうだった。
いつもと違うのはそれだけではなくて、朝食のメニューに少しばかりの違いがあった。味噌汁の椀が無く、炊きたての御飯もない。その代わりに炊きたての粥が少し大きめの椀に盛られ、あとは小皿に香の物が添えてあった。
「―――あぁ。今日は人日の節句、でしたね」
「跡部君、詳しいのね」
「ふむ。感心じゃの」
「跡部君の家でもやっているのかい?」
「いえ。基本的に洋食ですし、祖父も祖母も日本古来の行事にはあまり興味は無いようですね」
「・・・・・・・・七草粥、ですか」
「あら国光。今頃気づいたの?今日は七日でしょう?」
「日付の方は認識しておりましたが、それと七草粥をは結び付けていませんでした」
「仕方ないわね、男の子は・・・・一人暮らしをするようになったらすぐ忘れてしまうのかしら。跡部君、思い出させてあげてね。七草粥は一年の邪気を払い、万病を除くと言われている大事な行事でもあるのだから」
「―――え?・・・・あ、はい・・・・」
彩菜の妙な迫力に、跡部は戸惑いながらも頷いていた。その心は恐らく何故自分が手塚の面倒を見るのだろう?と疑問を抱いているのだろう。だが、父国春も、祖父国一も、全く疑問も何も抱いていないようであった。この辺り、手塚と跡部、それから手塚家一同との間の認識の違いというものである。
「国光君はともかく、跡部君はよく七草粥の事を知っていたね」
「ええ、まぁ。―――昨年、友人に作ってやったもので」
「・・・・・・作って、あげたの?」
「あ、はい。西から来た奴でして・・・・節句とか行事とか気にする奴なんですよ。育った家庭がそうだったのかもしれませんね。それで昨年風邪を引いて身動き取れなかったようなので・・・・たまたま前の日に連絡を受けたのですが・・・・・丁度良いからと七草を用いた粥を作ってやったんですよ。調理法を調べてみると、普通に作るよりも中華風の方が七草の栄養分を壊さず摂取できるとありましたので、中華風のお粥になりましたが」
「―――そう。跡部君はお友達思いなのね」
「そ、そんな事はありませんよ。まぁ、部長として部員の健康管理にも気を使わなければいけない立場でしたから・・・・」
彩菜の言葉に、素っ気ないような口調で返す跡部であったが、照れているのは明らかだった。手塚も知るように跡部は面倒見が良い。口では何と言っても、その部員・・・・まぁ西の出身と言えば忍足の事だろう・・・・が心配で、見舞いに行ったというのが真相だろう。素直に認める事はないだろうが。
手塚はそんな跡部を微笑ましく思って見ていたのだが・・・・何やら微妙な圧力を他所から感じる。不思議に思い首を巡らせると、その視線は母彩菜からのものであった。
にこにこと微笑む彩菜の顔は優しげで、正に良妻賢母そのままの姿だ。
―――だが。
―――何というか。
空恐ろしく思う迫力を感じるのはどういう事だろうか。そしてこの感覚には何処か覚えがあって・・・・・・そう。微笑みを浮かべながらも重圧をかけてくるあたり、チームメイトの不二に通じるものがある。
この後、跡部を見送った後自宅に戻った手塚は、母の彩菜に説教される事となる。その内容を要約すると、「油断していると鳶に油揚げを攫われてしまうわよ」という話であって、理解不能としか言えないものの手塚としては、「―――油断はしません」と言い切るしかないのであった。
[ date: 2006/01/08 ]
ほのぼのパート2。こちらも「家族の肖像」番外編。