人日の節句 / 忍足編
正月休みも過ぎ、始業式まであと数日という折。
氷帝学園における最大規模の部活動であるテニス部は、新年早々一足お先に・・とばかりに活動を開始していた。
夏場はシーズン中である為、夏休みなどほぼ潰れたも同然であるのだが、冬場は顧問である榊の都合上とも絡み合い、それなりの期間の休みが取られていた。
また、オンシーズン中である他部へとグラウンドその他を開放するという絡みもある。あまりに多人数である為、テニスコート廻りだけでは賄いきれないのが実情であるのだ。
「―――ち。出やがらねぇ」
秀麗な顔を顰め、携帯電話を睨みつける跡部の顔は不機嫌極まりないものだった。近くに居た下級生が脅えている。
「跡部ーっ!何、不機嫌オーラ撒き散らしてんだよ」
「阿呆が出てこないからだ」
「侑士の事?実家に帰ってんじゃん?」
休み中であるので、部の方は自由参加であり強制ではなかった。もっとも殆どの部員が、参加してはいたが。
「それならそれで連絡寄越すのが道理ってもんだろうが」
「うわっ!跡部に道理を説かれちまったぜ」
「向日、年明け早々、長距離マラソンしてぇのか?」
「わ、悪かったって。勘弁してくれよ、跡部部長様〜」
拝みこむようにして謝る向日をしっしと追い払っていると、跡部の手の中で携帯電話がブルブルと鳴った。
液晶版に表示されたのは、話題の主、忍足の名だ。跡部は顰めきった顔のまま、通話ボタンを押した。
「―――――」
「あ?・・・・・・・・・・無言電話か?」
耳に聞こえてきたのは微かな息遣いのみ。いつもの軽口トークではない。
「・・・・・・・・っ・・・・今日は、・・・・行けへん・・・・」
擦れた声に荒い息。時折途切れる言葉は息が苦しいのだろう。
「風邪かよ。体調管理がなってねぇな」
「・・・・・・・今日明日、寝とったら・・・・治ると・・・・思う」
「ったりめーだ。風邪ぐらい気合で治せ」
「・・・・・・はは・・・・せやな・・・・・・っ・・ごふっ・・」
「・・・・・・・・・メシは食ってんのか?」
「・・・・・・適当・・に、やけど」
「そーかよ」
常に無い弱りぶりに、思わず仏心を出してしまった跡部だが、己のそんな態度に柄でもねぇ、と気遣うような言葉を口にしてから気恥ずかしく思った。その為、続く言葉は必要以上に素っ気無くなってしまったのだが、弱りきった忍足にはそれに気づく余裕も無いようだった。
「・・・・今日も買物・・・・行けへん、なぁ・・・・」
「あ?」
「・・・・・・かんにん・・・・熱上がってきた、みたいや」
「―――ったく。だったら大人しく薬飲んで寝てろ。ふらふら出歩くんじゃねぇぞ」
「わかっとる。心配してくれて、おおきにな――――」
口調を和らげた跡部の言葉に、礼を返した忍足がそのまま通話を切った為、跡部の「心配なんかしてねぇよ」という悪態は忍足の耳には届かないままに終わった。
帰宅してからの跡部は、しばらくの間物問いた気にしていたが、考えても埒が明かねぇとばかりに首を振ると、長年跡部家に仕えている初老の使用人に問いかけた。
「なぁ。今日だか明日だかに、何か特別な意味合いあったか?」
「今日、明日、でございますか?」
「思いつかねぇならいいけど」
思案気な表情の相手に、跡部は発言を打ち消すような言葉を重ねる。引っかかっているのは、忍足の電話での様子である。何か気に病んでいるようだったのだが・・・・問い詰める前に通話は切られてしまった。体調を崩している相手に、折り返して電話をかける気にもなれず、跡部はその後もやもやとした疑問を抱きながら練習を続けたのだ。
「――無い事もありませんが・・」
「あんのか?」
「こちらのお家の場合は関わりがありませんが・・・・世間一般的には明日の七日は『人日の節句』と言い、五節句の内の一つなのですよ」
「節句、ねぇ」
それは確かに関わりの無い事だった。英国的様式が主体の跡部家では、日本の行事の類は殆ど縁遠いのである。
「古くは魔除けの意味もあったようですね。この日に七草の入った粥を食べ、一年の無事と息災を祈ったそうですよ」
「七草?」
「芹・薺・御形・はこべら・仏座・タビラコ・菘・須々代・・・・といった野草の類で」
「野草ねぇ」
あまり気の乗らぬ風な跡部の様子に、初老の使用人はくすりと小さく笑う。幼い頃から見守ってきた彼には、そんな様を見せても跡部が興味を持っているという事がわかっているのだろう。
「明日の朝、お作りしましょうか?」
「材料揃ってねぇだろ」
「これからでも御用意できますよ。山へ野草摘みに行かずとも、買い揃えられますからね」
「ふーん」
「いかがしますか?景吾様?」
「・・・・・・・・いや。いい。だが具材だけ、揃えてくれねぇか?夜の内に」
「かしこまりました」
優秀な使用人である彼は、その理由を問う事もなく、教科書のお手本になりそうな程に綺麗な一礼をすると、跡部の前から下がっていった。
明けて翌朝。
まだ薄暗さの残る早い時間から、跡部は自宅の門から外へ出ていた。
その足が向かった先は・・・・氷帝学園の方ではなく、聳え立つマンションの方だった。
丁度折り良くマンションから出てきた人物と入れ違いに中へと入る。跡部はやたらと人目を引く容姿であるので、何度かこのマンションを訪れた際にでも見かけたのだろう相手は不審気な表情を浮かべず、忍足くんの所?と笑顔で尋ねてきた。跡部はそれに小さく頷き、目線で会釈をすると足早に目指す部屋へと向かった。
チャイムを鳴らしてもしばらくの間は反応が無かった。まぁ寝ていて当然だろうな、と怒る気持ちは浮かばない。間を置いて何度かチャイムを押し、跡部は中の住民が起き出してくるまで大人しく扉の前で待っていた。
「・・・・ち、ちょぉ・・・・待って・・・・下さい・・」
「・・・・・・・・・・・・」
何度目かの呼び出しで、聞こえてきた反応に「ようやくかよ、」とは思ったが、相手に当たる気にはならない。幾ら忍足でも相手は病人だからだ。
「――――跡部?!」
「よぉ」
扉を開けたら部長さん。
心底驚いたのだろう。忍足は常の余裕などかなぐり捨てて、呆然と突っ立っていた。
「何、間抜け面曝してんだよ。寒ぃだろうが。中へ入れろ」
「あ、あぁ、かんにん・・・・せやな、寒いやろ」
外気の冷たさに初めて気づいた風に、忍足は己の身を抱いてぶるりと震えた。跡部をそのまま中へと招き入れ、扉を閉める。
「―――あ」
「キッチン、借りるぜ」
「・・・・・・・・・・・」
問いかけようとしてきた忍足を目線で黙らせ追いやると、跡部は勝手知ったるキッチンへ足を踏み入れた。
ガサガサと音を立てながら、持ち込んできた食材を台の上に空ける。適当な鍋を物色し、鶏肉と香味野菜を煮る。スープが出来たらサラダ油を塗しておいた米を追加して、さらに煮込む。コトコトと煮立てていく内に、米が粥上にとなっていく。頃合を見切った跡部は軽く塩をふって味を調えると、細かく刻んだ七草を混ぜ込んだ。
「食事だ」
ベッドに追いやった忍足は、跡部が怖かったのか大人しく寝ていた。トレイに粥を入れた丼を乗せ、扉を足で蹴り飛ばした跡部に忍足が弱々し気な笑みを浮かべる。
「お行儀悪いで」
「は。手が塞がってんだから仕方ねぇだろ。おら、食え」
「おおきに。・・・・・・・・粥?」
トレイを受けとった忍足は、下を覗き込んで軽く首を傾ける。だが、自分が病人である自覚がある為か、直ぐに納得したようだ。風邪っぴきには粥。これは古くからの決まり事のようなものである。
「青物、こないにあったか?」
「持ち込んだんだよ」
「そら、気ぃきかせて悪かったなぁ・・・・ん?」
「んだよ」
スプーンで粥をすくいとった忍足の手がそのまま止まる。先程よりもさらにまじまじと、粥を見つめていた。
「なぁ、跡部。これ・・・・七草粥なん?」
「それ以外に見えんのか?ま、中華風だがな」
「―――――――――おおきに」
指摘されて気恥ずかしくなった跡部が、そっぽを向いてそう言い切ると、忍足は嬉しそうな声で礼を言った。
脇を向いている為に跡部がそれを見る事はなかったが、その時の忍足の表情はふんわりと柔らかで、それはそれは嬉しそうなものであった。
七草粥は一年の始まりを祝う喜びの行事でもあった。
また、跡部が聞いた通り無病息災を願う為の行事でもある。
そして、邪気を祓う意味合いをも持った七草粥は魔除けの意味をも持ち得ている。
大人しく寝ていた忍足は知らぬ事ではあるのだが、跡部は昨晩調べた古い資料に基づき、七草を刻む前には包丁を七度叩き、また七草なずなで始まる古い言葉を、やはり七度唱えながら調理していた。
その光景を、もし忍足が見ていれば――彼の笑みはますます深いものとなったであろう。
[ date: 2006/01/07 ]
ほのぼの。