Milky Way
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 七月という時期はけして暇ではない。
 ことテニス部においては、大きな大会を控えて佳境も佳境大佳境―――という時期だ。
 試合当日などは公休扱いとなり部の方を優先できるのだが、そうでない日常はやはり基本として学校行事に参加しなければならない。手塚は、己に配された一枚の紙を眺め重く溜め息を吐いた。
 望んだわけでもないというのに何かと役割を割りふられてしまう者が居る。手塚はまさにそのタイプだった。落ち着いた風貌と、年相応にはどうにも見えぬ重厚さと存在感は、時に仲間内でからかわれる事があるが、それ以外の面においてはとかく人の信頼を勝ち取るのに大いなる役目を果たす。
 何はともあれと、頼られるのだ。成績も良くスポーツ万能。時に生真面目すぎる嫌いはあるが誠実で嘘をつかない人柄は誰もが認める所である。寡黙な為、率先しておしゃべりに興じる事はないが、事ある時には実に重みのある一言を放つし、この年代にありがちな無謀さも無鉄砲さも騒がしさも縁遠く、極めつけにはどこか逆らいがたい思わず従ってしまうような迫力もあって。
 そんな人物がクラスに一人居れば当然の事ながらクラス委員に抜擢されるのが道理というもの。次期部長の名も高く、内々に引継ぎめいた事も現部長か行われている。さらには生徒会の方より、よからぬ秋波も受けている手塚は実際多忙だった。
 だが、委員長という役職についてしまっている以上、行事は正しく滞りなく進行させなければならない。
 その為に必要なものがあるのだが――――足りないという現状に、手塚は頭を抱えたい気分だった。
 手塚の苦悶の理由、それは、学校行事によるものだった。
 
織り姫さまと彦星さまに前途ある若人達の願いごとをささげよう!
 
 まぁ、スローガンとしては立派である。また、学校生活というものは個々の教育のみならず、集団における団結力や融和性を学んでいく場である以上、クラス全員で何かの作業にあたるというのは重要かつ必要な事だと思う。
 だが、責任や後始末が押しつけられるというのは別問題だし、受容できるものではない。
 七夕会において笹が必要なのはわかる。願いを書いた短冊をつるす為だ。しかし、その笹を各クラスがそれぞれ自前で用意するというのは初耳だ。
 当然だろう。今年から、いかなりそう決まったからだ。思いつきもいい加減にして欲しい。だが、それでもそれなりの期間がありさえすれば、近隣に折衝して手にいれる事も可能だった。しかしながら、期限は明日。連絡不備が重なりあって、手塚の元にこの知らせがもたらされたのは行事も明日に控えた前の日というこの有様で。ふざけるな!と手塚がここで激昂してみせても至極当然の事である。
 クラスメイ トも副委員長も担任の教師ですらも、手塚にこの件が伝わっていると思い込んでいた。この時期、テニス部でレギュラーを張る手塚が、意識の殆どをそちらに集中しているというのを、彼等は考えてもみなかったようだ。手塚ならば、下準備は万端で全てにおいて滞りないだろうと勝手に判断してくれた為、手塚はこうして前の日の晩という今頃になって、笹を求めて夜道を歩く、などという羽目に陥っていた。
 幾ら年より落ち着き、大抵の事には動じぬ手塚とて、この状況には沸きあがるムカムカ感を抑える事ができない。全く、少しは疑問に持つとか、一応は確認してみても良いものではないか?そして、最終的にこの切羽詰った状態となった段階で、さらに「手塚!頼む!何とかしてくれっ!」とは、一体全体どういう了見だ?!
 怒りというものは、突き詰めると冷静さをもたらすものらしく、どうしようもない状況だと認識した手塚は、堅い声で「――何とか、します」と言い切り背を向けた。今思い返してみると、冷静とは言い切れない状態だったのかもしれない。今から行動するにしても、一人でどすれば良いのか。手塚に確たる考えがあったわけではない。人数が集めれば、クラス全員とは言わずとも、片手に合う人数で頭を寄せ合えば、何か良い案も浮かんだかもしれないというのに。このままでは、ただ闇雲に夜の道を歩くだけとなってしまう。
 
「――――手塚?」
「・・・・・・・・・・・・・」
 
 この声は・・・・と、聞き覚えのある声に振向けば、そこにはまさしく予測した通りの人物の顔があった。
 跡部景吾。言わずと知れた、氷帝学園テニス部の次期部長として注目されている人物である。
 別段親しいという相手ではなく、むしろ犬猿といって良いのではないかという仲だ。いや、個人がどうこう以前に、青春学園と氷帝学園といえば何かと張り合う間柄であって、生徒によっては道端で通り縋る際にも仇敵にでもあったような様をみせたりする。テニス部などその最たるもので。その、テニスにおいての繋がりしか、この跡部との間にはない。どちらにしても、伝え聞く所にうよる跡部の人物像と、数回みた限りによる印象からすれば、馬が合うとは到底思えない人物であるが。
 
「どうしたよ。この付近に住んでんのか?」
「いや。近くはない」
「誰かの家を訪ねていくってところか」
「いや。そういうわけではない」
「――――そうか。悪かったな、詮索しちまってよ」
 手塚の返答に拒絶を感じ取ったのか、跡部はすまなそうな表情を浮かべると、じゃぁなとばかりに手塚の肩を叩き横を通り過ぎようとした。
 人の話を聞かない、己の主張を突き通す傲岸不遜な帝王然とした好戦的な跡部の顔しか知らぬ手塚は、跡部のその表情を見た瞬間、戸惑いを覚えた。
 返す言葉が端的になってしまうのはいつもの事だし、こんな所で偶然擦れ違えば疑問が沸くのは当然で、そして手塚は跡部の問いに不快感を抱いているわけではなかった。己の言葉と態度の不足がいらぬ誤解を産んでしまった事を手塚は正したいと思った。そのまま跡部を行かせてしまってはいけないと、咄嗟に去り行く肩を掴む。
「・・・・・・・・・何だ?」
「いや、その・・・・すまない。誤解、なんだ」
「・・・・・・・・・何だかわからねぇけど・・・・・少し話してくか?」
「ああ」
 跡部が顔で促した先には、小さな公園があった。手塚としては一言詫びれば良いだけではあったのだが・・・・何となく離れ難く、跡部の誘いに応じたのだった。
 
「おらよ」
「すまない」
 放物線を描いて投げ込まれたペットボトルを受取る。同じスポーツに従事する間柄ゆえか、選ぶ品にズレはない。チームメイトの中には、練習中にも炭酸飲料などを好んで飲む者も居るが、砂糖の塊を飲んでいるようなその手の飲料を、手塚はあまり好まなかった。跡部の手にあるものも手塚に渡された物と同じ商品である事から、そういう思考経路は一緒らしい、と何となく近しいものを感じた。
「茶の方が良かったか?」
「いや。充分だ。代金の方だが、今細かい金の持ち合わせがない。つりはあるか?」
「ばーか。その程度、奢ってやるよ」
「そういう馴れ合いはよくないだろう。親しき間柄であろうと、金の貸し借りが絡むような事はするものではない」
「俺とてめぇは親しいのか?」
 意外そうに、器用にも片目を見開いてみせた跡部の指摘に、手塚は正直に答えた。
「親しくはないな」
「はっきり言いやがんのな。ま、友情を温める為とでも思っとけ。好意ってものが間に発生すれば、貸し借りなんのと抜かす必要もねぇだろ」
「お前との間に友情が存在していたとは初耳だが・・・・跡部は俺に好意を抱いているのか?」
 とてもそうは思えない、という口ぶりで尋ねると、跡部は「何だこの生物は?」とばかりに珍獣でも眺めるような目で見てくれた。
「手塚ぁ。てめー友達少ねぇだろ」
「・・・・・・・・・・居ないわけではない」
 失礼な台詞にむっとしながら答えると、跡部はくっくと笑いながら「それを少ねぇと言うんだよ」と、指摘してきた。けらけらと笑う跡部は話の流れからいっても手塚を馬鹿にしているとしか取れないのだが、不思議と腹が立つよりも毒気が抜かれた。
 実際、手塚には友人が多いとは言えないという事実がある。そういう面では俺様気質の跡部の方が、友人など皆無に近いのではとも思える所なのだが、跡部という人物は反感も買わせるが、どうにも抗い難い魅力というものも携えていると、手塚ですら認めざるをえなかった。常に、取り巻きやシンパばかりでない顔ぶれに、跡部は囲まれている。
「こういう時はよ、『有り難う』と礼の一つを言やいいんだよ。気紛れにでも、奢ろうって気になるのには間に確かに好意が存在する。だから、俺様はてめーに好意を抱いてはいるんだろうよ。人の好意を無下にするもんじゃねーぜ?」
 悪戯っぽく笑む跡部に、勝てないな・・・・と心の中で白旗を上げた。跡部はからかうような口調で冗談のように紛らせる事で、手塚にもっと肩の力を抜けよ、と言っている。派手なパフォーマンスや、奇矯な言動の目立つ跡部であるが、こうして相対してみると、細やかな気遣いをする面倒見の良さそうな面が目に付いた。どうやら自分は跡部を見くびっていたようだ、と手塚は一人反省する。
「―――わかった。『ありがとう』・・・・・・これで良いのだろうか」
「いいんじゃねぇの?」
 上出来、とばかりににっと笑む跡部の表情は、幼い頃に母親に褒められて心が擽られたような、そんな想いを沸き起こした。
 
 
 
「はーん。それで、てめーは笹を求めて無駄に放浪していたってぇわけか」
「無駄はないだろう」
「あてもなく歩き回ってんじゃ、単なる無駄だろ。大体笹を見つけたとしても、その場で引っ込ぬいていくような真似ができるのか?」
「それは犯罪だろう。そもそも、引き抜けるようなものでもない」
「鉈でも持ってりゃ伐採できんがな。ま、その場合、職務質問されんのがオチだが」
「・・・・・・・・・・・・からかうな」
 跡部の指摘はいちいち最もで、それ故に面白くはないものだった。
「別にからかっちゃいねぇし。ま、手塚ぁ、てめーの運も捨てたもんじゃねぇな。山吹中のラッキー野郎に負けちゃぁいねぇぜ?」
「どういう意味だ?」
「この俺様に会えて正解だったって事だ」
 いぶかし気に目線で問う手塚に、跡部はひらひらと手を振ると懐から携帯電話を取り出して何処かへ繋ぎ話しだした。
 会話の途中でのそれはマナー違反ではないだろうか、と思わないでもなかったが、洩れ聞こえてくる会話に手塚は姿勢を正す。跡部は、知り合いのつてから笹を手配しようとしているらしい。何の為かといえば、この場合、手塚の為でしかありえないだろう。
「・・・・・・・・・・と、何とかなったな。朝一で、家の前に届けるってよ」
「―――跡部」
「んだよ。青学に直接届けた方が良かったか?ま、ちいと嵩張るかもしれねぇが、それも鍛錬じゃねぇ?」
「いや。そういう意味ではない。幾らなんでもそこまでの好意に甘えるわけには――」
 いかない、と続けようとした言葉の先を抑えるかのように、跡部の指が手塚の口の上に乗せられた。
「さっきも言っただろ?こういう場合、言葉は一言でいいんだよ」
「いや、だが・・・・」
「だがじゃねぇよ。どうしたらいい?手塚国光」
「・・・・・・・・・・・ありが、とう」
「合格」
 
 笑う跡部の顔が眩しく見えて、忘れように無いほどに手塚の脳裏に焼きついた。
 
 
 短冊に願い事を書き、織姫に祈りを捧げるのが七夕における通例だ。遥か遠い天にある、こと座のベガが織姫に見立てられる。
 だが、手塚にとっての織姫は、もっと見近にある、そして夜空に瞬く星より輝き美しい存在で―――あるようだった。
 天を見上げると、都心においては見る事もできない筈の天の川が、光輝いているように見えた。
 
 
 
 
 
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