人生は上々だ
東京へ行く。
話を聞いても、中学生の身でしかない自分には異論を挟む事はできない。
仲の良い従兄弟や友人達と別れ、遠く離れた地へ・・・・多少は苦労するかもしれないが、まぁどうという事はない。
周囲に合わせるのは得意だ。それほど間を置かずに、新しい学校でも何とかなるだろう。夏休みも終盤、休み明け早々の転入というのは目立つだろうか。そうして学期の変わり目に入り込む方が、馴染み易いだろう。なかなかに盛りあがりそうだった文化祭に参加できぬままに転校するのは少々惜しいが、行った先で楽しめば良い。
自分が通う学校がどういうところなのか、すでに入学手続きもぬかりなく済んでいるであろう母親に尋ねると、やはり手際よく用意されたパンフレットはちょっと見にも金がかかっているのがよくわかる一品で。ああ、金持ち学校なんやな、と失笑が洩れそうになるのを辛うじて堪える。
それが悪いというわけではない。母親の見栄も世間体も充分満足できるだろうし、忍足としたところで柄の悪い輩が少なかろうお坊っちゃん、嬢ちゃん学校の方が楽に過ごせる。何より、金持ち校というならば、総じて設備が良いという話になる。それこそ歓迎というところだ。
ぱらぱらと紙面を綴っていくと、なかなかに名の知れた学院である事がわかる。学力面でも都内で有数の地位を占めているようだし、スポーツ面でもそうそうたる戦績だ。何より、氷帝学園の名は、初めて聞く名ではない。中学テニス界に身を置くからには、全国大会の常連校を知らぬでは通らない。
うまくいけば全国大会の会場で、従兄弟の謙也と顔を合わせる事もあるだろう――そんな想像に幾分心楽しくもなる。前途は洋洋・・・・とまではいかなくとも、光に満ちた明日は間違いないように思えた。
転入後も、まぁまぁ。クラスメイトはいい奴ばかりで、多少お人好しな感はあるが、多少世間知らずな感はあるが、まぁ可愛いもんだった。年より幾分幼く見える、喜怒哀楽の激しいおかっぱ頭の少年、向日岳人は初日から物怖じなく話しかけてきてくれて、何くれとなく構って(逆かもしれないが)くれる。そのまま天井まで飛び上がってしまいそうな、多少落ち着くのない彼を宥めたり持ち上げたり見守ったりと、早いうちから自分の立ち位置を決める事ができた。
「なぁ、侑士は部活、何処入るんだ?」
「・・・・・せやなぁ」
本当のところは決まっていたのだけれど、わくわくと輝く瞳でこちらを見つめる岳人が微笑ましくて、少しばかり考えるような素振りを見せ、じらした。
「早いところ決めた方がいいぜっ!うちは部活、強制参加だからよっ!」
「複数塾通っとる奴は困らんの?」
「週半分ぐらいの活動の部もあるぜ。運動部の奴等はあんま塾とか行ってないみてーだけど」
そういう岳人も塾には行っていないと聞いた。部活の方で手一杯だと訴えるが、勉強嫌いの方が理由として大きいのは明らかだろう。成績の方も、どちらかといえば底辺寄りらしく、授業中に教科書を盾に居眠りしている光景を見ては、呑気なもんやなぁと呆れと同時に妙に可愛く見えるから、これで不思議である。
忍足としてはおかしな趣味は持ってはいないし、同性の、しかも同年代の相手にそんな感情を抱いた事は今までないのだが、岳人を見ているとどうにも可愛いという感情が先立つ。弟とはこんな感じなのかと、可愛気の欠片もない自分を振り返り、西と東と別れて暮らす事となった姉の事をふと思い出した。
忍足の姉は、転校するのは嫌だとごねまくった。友達と離れたくないとか言っていたが、本音のところは別だと知っている。春先に付き合い始めたばかりの彼氏と離れたくないのだ。父も母もそれを知らないが、知れば絶対反対しただろうが、姉は綺麗にそこらを押し隠して自分の主張を貫き通した。立派なものだが、その情熱は忍足には到底真似のできる事ではない。
「あんたは醒めとるから」
「そないな、事ないで?」
「大事な人、居らんやろ?誰でも一緒や。どうでもええねん」
「・・・・・・俺、人でなしみたいやな」
「そのままや」
辛辣な物言いは姉の特徴の一つだが、別れの間際にそうして糾弾されるとは思ってもみなかった。
そこそこ、仲の良い奴等は居た。
付き合った女の子も居て、そこそこ好きやった。
生まれ育った地は当然肌に馴染んで居り、そこそこは離れ難かった。
体を動かすのは好きなので、痛めつけない程度にそこそこ身を入れた。
将来は医者になると、父にも母にも、そのまた周囲にも求められているのは知っているので、そこそこの成績を取れるように勉強はしている。
何でも、そこそこや。
好ましいとは思っているが、どうしても手離せないなどというものはない。
何となくこなしていけば、何となく身になっていく。
母親譲りの容姿は、なかなかに上等。
父親譲りの如才なさは、なかなかに有効。
そこそこになかなか。
それで人生上々やった。
「なぁ、テニス部、入んねぇ・・・・?」
「テニス、かいな。部員で溢れとるんやろ?」
「まーなっ。1年だから全然コートとか使えないけどよ、来年は絶対レギュになってやんぜっ!」
「張り切っとんなー」
「他人事じゃねーって!侑士、お前も一緒にレギュ目指そうぜっ!」
「・・・・・・せやなぁ・・・」
曖昧な笑みは肯定でもあり否定でもあった。少しでも気が向かなければ、同じ表情のままに「堪忍な、止めとくわ」と断るし、少しでも気が向いたら、「ええかもな、」と、曖昧に受け入れる。本当に、どちらでも良いのだ。テニスは未経験ではなくて、むしろこの氷帝学園においてもそう遠くないうちにレギュラー枠を取る自信があるくらいの実力だとは自負しているし、そこそこ好きなスポーツであって、しばらくは続けようかと思ってもいるわけで。
だったらさっさと決めれば良いものを――と人は言うのかもしれないが、ほんの少しばかり、押しが足りないのが現在だった。誰かが、何かが背を押したなら、そのまま進んでしまいそうな、そんな程度のきっかけが足りないだけなのだけれど。
「―――テニス部に入るのか?」
「あ、跡部っ!何だよ、何の用?」
「申し送りだ。今日の放課後、レギュラー陣が内部試合すんだとよ。1年部員は早めに集まってコート整備しとけ、って通達だ」
「えーっ!いつも帰りにやってんじゃんっ!」
「しょうがねぇだろ。小石一つ落ちてないように整備しとけ、だとよ」
「ちぇーっ!下っ端だからってこきつかいやがってっ!」
「来年は立場が変わるだろ。向日先輩サマ、だ」
「来年なんか知るかよっ!今が嫌なんだよっ!クソクソ跡部っ!お前、全然俺達と扱い違くね?」
「ばーか。そりゃ実力差って奴だろ。口惜しかったら、俺様から1ゲームでも取れるようになってから言うんだな」
「・・・・・・・・・」
ポンポンと畳み掛けるような会話に、忍足は蚊帳の外となる。それを良い事に、突然現れたど偉く綺麗な少年をしげしげと観察する事にした。
窓から流れ込む風がふわりとたなびかせる柔らかそうな金茶の髪。頬のラインはまだ甘く、少年ぽさを感じさせるがどこか中性的だ。細身の体を薄いシャツが包み、世に言う儚げな美少年とはまさにこのことか、という見てくれで、その可愛らしい口から放たれる言葉は何処にでも居る少年と同じ、いやその中でもかなり口が悪い類に属するのは間違いない。ついでながら、どうやら性格は俺様系。何とも強烈そうな人物だった。
「―――跡部、景吾?」
「んだよ、忍足侑士」
「・・・・・・知っとるんか」
「そこのおかっぱが、よく口にしていたからな。しかし随分腰が重いじゃねぇか。転入して一ヶ月半、見極め期間も長過ぎねぇか?」
「行事も重なっとったやんか。色々、覗いてたんやけど・・・・」
「ふん。熟考が悪いたぁ言わねぇが、トロトロしてって時期逃すぜ」
「せやなぁ」
岳人に話を聞いているとはいえ、随分詳しく自分の事を知っているらしい事に驚いた。跡部景吾といえば、有名人だ。氷帝学園内で一番名が知られているといって良いだろう。忍足とて、こうして真向かいで話すのは初めての事だが、その名は何度も耳にしたし、その姿を目にしたら自然と目が追ってしまう。とにかく目立つ存在なのだ。
「ま、誕生日に決定打ちゅうのも悪くないか」
「え?侑士って、今日が誕生日なのか?クソクソッ!早く言えよなっ、そーいう事はっ!」
「誕生日なのか?お前の?」
「跡部は月頭やろ?えらい騒ぎやったなー」
噛み付く岳人を、この年でお誕生会なんて恥ずかしいやん、と宥めながら(単に面倒が煩わしいだけなのだが)、僅かに興味を示してきた跡部の方へと向う。
「ふん。俺様の人徳だ」
「・・・・・・自分で言うなや」
胸を張る相手に、何もんやーこいつーと思うが、跡部サマやなーと何となく納得する。確かに人徳なるものなのかもしれない。
「よし。てめーの誕生日記念だ」
「は?」
「今日一日お前は俺様の樺地だ!光栄におもうんだな!」
「・・・・・・光栄??」
「放課後、俺様の教室へ迎えに来い」
「・・・・・・仰せのままに」
自信たっぷりに言い切られては、否定する気力も起きない。何となく圧されたように、忍足は頷いていた。
跡部の姿が教室から消えて、今のは果たして夢か幻かと思い頬を引張るが、しっかり痛覚は存在した。
「―――で、樺地って何なん?」
「知らねーっ」
多少は事情を知っていそうな岳人に尋ねてみるが、答えどころかヒントになるものすら得られなかった。
そして結局、わけがわからぬままに何やら逆らい難い気分のまま、忍足は放課後跡部の居る教室へと向った。以降の一日はとてつもなく目まぐるしく過ぎていき――つまりは「樺地」=「下僕」なんかいっ!と突っ込みを入れる気力すら失せ果てて、沈む夕陽をぼーっと眺める忍足の元へ、夕陽で伸びた影が近づいてきた。
「それで、覚悟は決まったか?」
「・・・・・・・・おおきに」
頬に当てられたポカリのボトルを、礼を言って受取る。後で金を取るようなせこい真似はしないように思えるので、これは奢りなのだろう。
一日突っ込みばかりでとにかく疲れた。
久々に、目一杯走らされて疲れた。
しばらくぶりのラケットは重く、風にも飛んでしまいそうな華奢な外観に見える美少年の放つサーブは更に重くてえげつなかった。
しんどい一日だったと、思う。
だがそれでも―――
「・・・・・・明日、届け出、出すとするわ」
「そうか。仮入部の届け出書はすでに提出してある」
何だか晴れやかな気分でそう宣言した忍足だったが、それに返ってきた言葉はとんでもないもので。
「はぁっ?!何やねんっ!そんなん、書いとらんでっ?!」
「そりゃそうだろ。俺様が代筆したんだからな」
「代筆っっ?!何、勝手しとんねんっ!」
「手間省いてやったんだろ。感謝しやがれ」
「・・・・・・・・・感謝、感謝なんか・・・・・・」
がっくりうなだれる忍足の前には、自信たっぷりの跡部景吾。誰かこいつを止めたれやーと、忍足が訴えたとしても誰も耳は傾けないだろう。
ああ、それでも。
それは確かにきっかけでは、あったのだ。
忍足が本気を掴む、きっかけのひとつ。
手離せぬものを知る、きっかけのひとつ。
離れられぬものを知る、きっかけのひとつ。
どうという事のない日々。
何という事のない日常。
気紛れに過ぎていく時間。
そこそこに、上等で、そこそこに、緩慢で、そこそこに、なかなかで、緩やかな日々。
一枚幕の向こう側から覗いているような日常とは、これより別れを告げる。
鮮烈で刺激的で、汗臭さと泥臭さと愚かしさと情熱に満ちた日常が――これより始まる。
そんな疲れる事は真っ平なはずだった。
深い関わりなんて必要ないはずだった。
だが、それでも―――
忍足にとって、確かにこの日からが 『人生は上々だ 』 と言える日常となった。
2006.10.15 (背景画像 flesk 様)
忍足、HAPPY BIRTHDAY!
はぴば、ぷちアンケート。
「誕生日に跡部から忍足に言って欲しい言葉/忍足から跡部に言って欲しい言葉」より、
「今日一日お前は俺様の樺地だ!光栄におもうんだな!」でした。
御投票有り難うございました。